【第36話】油井園長の葛藤④
「色々とお話いただきありがとうございます。もしお話できそうでしたら、保護者からの指摘があったときのことについて教えていただけますでしょうか?」
「ええ・・・。構いません」
「先ほど少しお話されていたのが、保護者から保育についてのご指摘をいただいたとのことでしたね?」
「そうです。私が園長になって1年目のことです。私はその頃、園長としての仕事に慣れるために必死でした。だからといって、保育に対して力を抜いていたわけではありません。毎日クラスに入って、子どもや保育の様子を知るように努めていました。そんなある日、保護者から保育についてご指摘いただいたのです」
「具体的にはどのようなご指摘だったのですか?」
「えっと・・・。保育者が子どもに丁寧に関わってくれないというご指摘でした。その頃も今と同じように、まだ経験の浅い保育者が多かったので・・・。たとえば、暑い日に炎天下で帽子を被らせずに園庭で遊ばせていたとか・・・。子どもが園内で怪我をしたことを保護者に伝え忘れていたとか・・・」
「なるほど。そのようなご指摘をいただいて、園長先生はどのように感じられましたか?」
「とても残念だったです」
「残念・・・というのは、何に対して残念だと感じたのですか?」
「もちろん子どもへの配慮も十分ではなかったと思います。園の先生たちは、先生たちなりに一生懸命やっていました。なのに、それが保護者に伝わっていないことがとても残念だと感じました」
その時の感情が蘇って来たのか、油井園長は苦しそうな表情になった。
栗田は静かにうなずきながら黙って話を促した。
「それから・・・保護者からは指摘がなかったですが、私は教育的な側面も不十分だと感じていました。私は園長なので、園の保育の質には責任があります。だから不十分な保育を改善していく必要があったのです」
「園の保育の質を確保することは、園長の責任だと感じていらっしゃったのですね」
「そうです。たぶん、園長であれば誰でも同じことを感じるのではないかと思います。保育者一人一人が丁寧な保育ができるように変えていくためにはどうしたら良いかわからなくて・・・。先生たちに保育の見本を示そうと、率先して今まで動いてきました。でも背中を見せても伝わらないのはなぜかわからないんです。園長として自分のやるべきことは何なのか・・・自分の役割についても疑問を感じるようになってきて・・・。ご存知の通り、うちの園は離職率が高いのですが、やる気のある先生たちが定着しないという現状があるんです。保育者が楽しく保育ができれば、子どもたちも毎日が充実して生活できるのではないかと思っているのですが・・・」
「そうですか・・・。園長先生は、保育者も保育にやりがいや手応えも感じて欲しいのですね。そしてそれが結果として、保育の質の向上につながり、子どもたちのより良い育ちにつながると考えていらっしゃる」
油井は黙って頷きながら聞いている。
栗田は続けた。
「そのために園長先生は、クラスの保育に入って、保育者の見本となろうと努力されてきた・・・。でもご自身の目指しているような保育の質の向上や、保育者のやりがいや手応えにつながらないということが起こっていて、その状況にどう対処したら良いのかわからなくて困っているのですね」
「はい・・・」
「お一人で責任を感じて頑張っていたのですね」
油井が頷くと、いつの間にか目に溜まっていた涙がこぼれた。
「すみません・・・」
と言って、油井はハンカチを取り出し、目元を拭った。何とか感情を制御して、笑顔を見せようとしていた。
しばらく間を取ってから、栗田は口を開いた。
「お話いただきありがとうございます。これからは、園長先生お一人で頑張る必要はありませんよ。園の職員皆で一緒に考えていきましょう。私も微力ながら尽力いたします。園長先生も含めて、職員全員がやりがいと手応えを感じられる保育に、少しずつ変えていきましょう」
「はい・・・。よろしくお願いします」
この瞬間油井は、自分も職員と共に変わっていこうと、覚悟を決めた。
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