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「良いところを見つけましょう」はおこがましいのだろうか?

相手の良いところを見つけようとするとき、自分の側には何があるんだろう?

「良いところを見つけましょう」って実はおこがましいのではないか?

ある日、こんな問いが浮かんできた。

どうやら僕らは、無意識のうちに、相手の嫌な面や気になるところが目につくようにできているようだ。たしかに良いところを見ようと意識することはプラスの効果があると思う。

相手の良いところが見えるようになると、自分自身にも余白が生まれたりするものだ。

しかし、

「相手の長所を探すコツ」

という記事を読んだときに、長所を探すことを口実にして、「相手に問題がある」「相手を変える」が前提になっていて違和感が生まれた。

相手のダメなところばかりに目がいく自分自身の状態をないがしろにして、良いところを見て「相手を変えてやろう」という前提が含まれていたとしたら、おこがましいのでは?と思ったのだ。

自分のあり方と向き合うこと

良いところを見つけようとするとき、
相手のために努力しているような気がしてくるかもしれない。

しかし、矢印を自分に向けることを忘れてはならない。

自身に向き合わず、相手に良いところを探そうとするのは、相手をジャッジする立場を取っているとも言える。

環境や見る人が変われば、長所が短所になり、短所が長所になる。そういうものである。

ある側面をネガティブにとらえようとする「無意識」に流されている自分に気付くことが必要なのだと思う。

つまり、自分のあり方を見直すことが、「相手の良いところに目を向ける」に含まれていると言えるのではないだろうか。

そのまま受け取るという選択肢

良いや悪いの前に、
そのままのカタチで受け取るところから
始めてみる。

「相手に、いま何があるのか?」

結果をすぐに求めたい人にとっては、「そんなことして意味あるの?」と思うらしい。

けれど、「あなたは、今そうなんだね」とただ受け取ってみて起こる現実を観察することでしか気づけない大切な何かがある。

相手のがわにあるものをそのまま受け取ってみて、その後、起きたことにも評価を加えず、ただ観察してみる。起きなかったことも観てみる。

結果をすぐに求めたい人にとっては、ここも歯がゆい時間となるだろう。

その歯がゆさに向き合う時間も自分を成長させたり、相手との関係性を編み直したりする行動につながっていくのだと思う。

良いところを見つけられていない自分。
良いかダメかで相手をジャッジしている自分。

それを自分を責める材料にするのではなく、

「じゃあ、どうする?」

につなげていく。

そこで生まれた気付きから選択された行動は、きっと深みや厚みに違いがあるはずだ。

立ち止まってみる

良いところを見つけましょう
良いところを伸ばしましょう

保育現場でも、声高らかに言われることがある。

何だか良い感じがする言葉だ。

ストップ。

ここで、ちょっと止まって考えてみる。

その言葉にどんな前提を持っているだろう。

とらえ方を変えたら、強みや長所になるかもしれない。

どんなことだって、
それ自体はニュートラルで、
そこに色をつけるのは
自分や、誰かや、何かなのだろう。

相手に改善してほしい行動があるときこそ、自分にも矢印を向けたり、「あなたは、今そうなんだね」と受け取ったりしたうえで、見えてきた大切な何かをもとに、どんなアクションが望ましいかを見出していきたいものである。

容易じゃないから、こうして言葉にして、トライしてみる。

うまくいってもOK。うまくいかなくてもOK。

そこから得た情報や学びを、次に活かすあり方を大切にしたい。

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