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#53 子ども主体の保育の誤謬〈後編〉

保育所全体で、子どもの情緒の安定を図り、その心の成長に寄り添いながら、子ども主体の保育を実践していくことが大切である。

保育所保育指針解説|厚生労働省

保育所保育指針解説(以下、指針解説)で、「子ども主体の保育」という語は第1章の養護の項目(「情緒の安定|ねらい」)で出てきます。

保育における養護とは、

“子どもの生命の保持及び情緒の安定を図るために保育士等が行う援助や関わり”

だとされています。

「子ども主体の保育」という語は指針解説で一度しか使われていないにも関らず、この語だけから受けた印象でとらえると、前編で書いたような認識のズレが起きてしまうことは容易に想像できます。

「子ども主体の保育」という言葉だけで考えようとすると、どうしても”子どもの好きなようにさせる”ことをイメージしてしまう人が出てきてしまい、うまくいかないケースも起こりやすくなります。

そこで、後編では指針解説の「養護」の中でも主に「情緒の安定」で書かれている内容から始め、子ども主体の保育に迫っていきたいと思います。

今回は、3つのポイントから見ていきます。

①主体として尊重される
②主体性を尊重する
③主体的に環境に関わる

主体・主体性・主体的は、もちろん意味は異なりますので、読んでくださる方が、それぞれの言葉の中身について理解を深めることに少しでも貢献できればと思います。




①「主体」として尊重される

一人一人の子どもが、周囲から主体として受け止められ主体として育ち、自分を肯定する気持ちが育まれていくようにする。

保育所保育指針解説|イ情緒の安定(ア)ねらい③

保育の現場において、私たち保育者は「子どもの最善の利益」を考慮した乳幼児期にふさわしい生活の場を豊かにつくり上げていくことが役割です。これは全ての現場で共通することですね。例外はありません。

「子どもの権利」を象徴する言葉として、子どもの最善の利益という表現は使われており、子どもの人権を尊重することや、大人の利益が優先されることへの警告や抑制を表す重要な言葉になります。

「主体」とは?

子どもを1人の人間として、権利の主体として、尊重しているか?
子ども一人一人が生活の主人公になっているか?

という観点が大事になりますが、「主体」をどのようにとらえているかで変わってきそうです。

【主体(しゅたい)】
(1)自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたりするもの。
(2)物事を構成するうえで中心となっているもの。

大辞泉|小学館

⑴作用を及ぼすということは、自分と外側の「人・モノ・コト・場」との関係性が「主体」には含まれています。自覚や意志の他に、興味・関心、好奇心・探究心・冒険心なども含まれるでしょう。

⑵保育においては「子どもにとって」の視点で環境(人・モノ・コト)が構成されているかが問われます。

子どもの主体を尊重するうえで、⑴⑵共に考えなければいけないことは、「子ども一人一人」という言葉についてです。この表現を使うということは、1人の子どもを真空管に入れるように切り出して扱える場ではないという前提があります。


Aさんが生活の主人公であるということは、BさんもCさんも生活の主人公です。

AさんもBさんもCさんも、一人一人が生活の主人公であると同時に、誰かにとっての登場人物の一人にもなっているのです。

誰もが自分の物語の主役であると同時に誰かに物語の登場人物でもある。

異なる立場を誰もが持っている中で、それぞれの関係性を尊重されることも「主体を尊重される」ということになります。

主体として園生活を送るということは、好き勝手に過ごすことでも、すべての決定を子どもが行うことでもありません。

意志や意図をもって周囲に影響を与える自分と、周囲から影響を受ける自分を尊重されることが、主体として生活し、育つことだと言えるのです。

「尊重する」とは?

「尊重する」は綺麗な言葉ですが、実際にどのような関わりを意味するのかが分かりにくかったり、戸惑ったりすることも少なくなさそうです。大人が何もしない、大人の思い通りにする、子どもの思い通りにする、子どもがすべて決定するといった偏った選択肢で考えてしまうこともあるでしょう。

では「尊重する」とは、どうすることなのでしょうか?

「個人の尊重」とは、一人ひとりをかけがえのない存在として大切にするということです。一人ひとりをかけがえのない存在として大切にするということは、人を人として大切にするということであり、誰もが、国家や力の強い者、多数者から、何かの目的のための道具や手段、モノ扱いをされないということです。

「個人の尊重」を伝える-何かを大切に思う気持ちに違いはないこと


尊重するとは、かけがえのない存在として大切にすること。
尊重するとは、モノ扱いをされないこと。


そして「一人一人」には「自分」も含まれます。


他者をかけがえのない存在として大切にすること。
自分をかけがえのない存在として大切にすること。


「子どもの主体を尊重する」とは、意志や意図をもって周囲に影響を与える自分と他者、周囲から影響を受ける自分と他者を、かけがえのない存在として大切にすることだと言えます。

違いがある「私」と「あなた」が、違いがあるままで、どのように共同するかを生活のなかで学んでいくのが「保育」の営みです。

違いがある「私」と「あなた」の分かり合える部分が増えていくことは素晴らしいこと。
分かり合えなくても、相手を攻撃しない。分かり合えない部分があっても、共に未来をつくろうとする態度。分かり合うことと同じくらい大切なこと。

また、保育者が子どもの成長を願うのは大切ですが、一歩間違えると簡単に子どもを支配してしまうことができます。

子どもの成長を願っていたはずが、その子に合っていない求め方をしたり、周囲と比べ均一化、同質化の成長を目指すことになったりする状態に陥りやすいこといを自覚している必要もあります。

そして、

  • 大人が何もしない。(見守るとは別)

  • 大人の思い通りにする。

  • 何でも子どもの思い通りにする。

  • 子どもがすべて決定する。

これらは「子どもの主体を尊重する」ことを放棄するような態度です。

一人一人が、意志をもって誰かや何かに影響を与えるかけがえのない存在として大切にされることを保障するのが、保育の基本・原則であり、「子どもの主体を尊重する」ことだと言えます。


②「主体性」を尊重する

保育士等が、子どもに対する温かな視線や信頼をもって、その育ちゆく姿を見守り、援助することにより、子どもの意欲や主体性は育まれていく

保育所保育指針解説|養護の理念

意欲に関しては、#44の「関心から熱中。そして、深い学びへ。」を参照していただければと思います。

主体「性」となると、行動する態度や性質が含まれます。

それは、自分の意志や判断、興味関心に基づき行動する態度や性質です。

  • 自分で決められることは自分で決める。

  • 自分なりの選択が尊重される。

とも言えます。

また、川田は著書で〈参考⑵〉は、主体性とは、「その子どもが周囲とのあいだに結んでいる関係の状態」と定義しています。

主体性を尊重する「集団」では、たとえ複数の子どもで「同じ」活動をするとしても、各人がそれぞれにその活動や仲間や道具などの環境とのあいだに「一つの関係」を結んでいます。(中略)また、かりに同じ場面を描いた子が複数いたとしても、その絵にこめた物語はちがっているでしょう。このように、「集団」と「主体性」は、すすむべき方向の異なるものではなく、絡まりあいながら発展・発達するより糸のような関係として理解することができます。

『保育的発達論のはじまりー個人を尊重しつつ、「つながり」を育むいとなみへー』(川田学|ひとなる書房)

一斉でも、設定でも子どもの主体性は尊重できます。しかし、一律で画一的な参加を求めていれば「主体性」からは離れていきます

  • 保育者が「求めていること」を子どもができた。

  • 周囲と同じ行動ができた。

ではなく、一人ひとりの物語性、どのような出会いや発見、感動や学びがあったか。一斉にするにしても、設定された活動に取り組むにしても、そこが主体性を尊重できるかの分かれ目になります。

身近な人との信頼関係の下で安心して過ごせる場において、子どもは自分の意思を表現し、意欲をもって自ら周囲の環境に関わっていく。このことを踏まえ、保育に当たっては、一人一人の子どもの主体性を尊重し、子どもの自己肯定感が育まれるよう対応していくことが重要である。

保育所保育指針解説|保育の方法

その子なりの出会い方や参加の仕方が保障されるような計画、環境になっているか。

その子なりの発見や感動を十分に味わえる時間や関わりが保障されているか。

そして、「信頼関係の下で安心して過ごせる場の」大切さが指針解説でも言われていますが、信頼関係に関しては『#50 保育における「信頼関係」』にこう書きました。


” 保育で信頼関係を扱う場合に欠かせないのが《保育者が”先に”子どもを信頼しているか?》です。

保育者が子どもを信頼しているときの特徴としての例として、子どもの「やりたくない」「できない」がどのように扱われているかが挙げられます。

今、この場でできていなくても大丈夫。
いつもできていて、今できていなくても大丈夫。

子どもは今目の前の姿で確定していなく、育ちゆく存在で、自ら育つ力が備わっているなど、子どもの成長や未来を信頼できているかに現れるものです。

子どものありのままを、今のそのままの姿を受け取っていく肯定的なまなざしや態度が保育者が子どもを信頼している証であり、この積み重ねによって子どもの保育者への信頼が深まっていくとき、信頼「関係」が築かれていきます。”


保育者と子どもの信頼関係は、保育者がどれだけ子どもを信頼できているかが鍵を握っています。

その厚い信頼関係が基盤にあるからこそ、子どもの深い安心が保障され、主体性を発揮できる状態になっていくのだと思います。

そういった状況を準備すること、実践することで、主体性を尊重する段階に入っていけるとも言えるかもしれません。

○ 保育所等における保育において、「子ども一人一人の主体性を尊重する」ということは、保育士等が子どもに何も働きかけず、単に子どもを好きなように遊ばせておけばよいということではありません。乳幼児期の発達の特性や過程と、 個々の子どもの状況や興味・関心を踏まえ、子どもが自ら関わりたくなるような環境を構成し、活動が豊かに展開していく中での学びや育ちを保障することが大切です。

○ そのため、子どもの主体性を尊重する保育の実現には、まず実態から子どもの育ちや内面を理解することが必要となります。日々の保育において子どもが体験していることや、子ども同士のやりとり、保育士等との関わりなどを「子どもにとってどうなのか」という視点から丁寧に捉え直してみることによって、保育の現状や課題を把握し、改善・充実の手がかりを探る糸口が見えてきます。

子どもを中心に保育の実践を考える~保育所保育指針に基づく保育の質向上に向けた実践事例集~|厚生労働省

尊重する、認めるとは、ありのままの存在として「そのままのあなたを大切にする」というメッセージになりますが、行動や考え方はそのままでいいよというメッセージになるとは限りません。

気持ちや背景はそのまま受け取る。そのうえで、提案したり、一緒に考えたり、その子が見えてない視点を伝えたりするなどしながら、どうするのかを共に見出す関わりも必要な場面もあります。


また、見えやすい行動面だけで主体性をとらえるわけではありません。

例えば、ある活動ができなくて残念な表情を子どもが浮かべていたとしても、その活動とその子との関係の深さが見えてくるものです。

「主体性を尊重する」とは、その活動とそんなにも豊かな関係を築いていたことを認めることをコミュニケーションの入り口に持ってきて、その上で「じゃあ、どうしようか」を一緒に考えるプロセスだとも言えます。

子どもの思いが叶うこともあれば、始めは考えていなかったアイディアが生まれ、新たな選択肢にわくわくする姿が見られることがあるでしょう。


子どもの姿だけでなく、人・モノ・コト(遊び・生活・活動など)とその子の関係を捉え直し、「子どもにとって」の視点に立って環境や関わりを編み直していくことも「子どもの主体性を尊重する」保育の営みなのです。

(「子どものために」の主語は保育者になるので、「子どもにとって」の視点に立つことが、子どもを主語にした、子どもの主体を尊重する表現となります。)


③「主体的」に環境に関わる

能動的、受動的、意欲的、自発的などとは分けて、「主体的」という言葉が使われていますが、どんな意味になるのでしょうか?

保育士等は子どもの気持ちを十分に受け止め、触れ合いや語りかけを多くし、情緒の安定を図ることが必要である。そして、子どもが適切な方法で自己主張することができる ように、その主体性を尊重しつつ、言葉を補いながら対応する。
子どもは気持ちが安定すると、好奇心が高まり、新たに気付いたことや、自分でできたことを保育士等に伝えたりする。このような子どもの姿を十分に認め、共感していくことが、子どもの自発的な活動を支えることになる。子どもが安心感、安定感を得て、身近な環境に自ら働きかけ、好きな遊びに熱中し、やりたいことを繰り返し行うことは、主体的に生きていく上での基盤となるものでもある。

保育所保育指針解説|1歳以上3歳未満児の保育「表現」

意欲的や自発的と似ている意味になると思いますが、主体・主体性で扱ってきた内容から表現すると、より自分の意志や判断に基づいて行動する姿が強調されるときを「主体的」と表現されます。

自分の意志や判断は、自分一人の考えだけで導かれるものではありません。

興味や関心を持つ対象があったり、一緒にいる人の関係から導かれていたりするなど、自分と、自分の外側の環境とが相互に影響し合いながら行動することが「主体的に関わっている状態」になります。

能動的にやってみたいことに取り組むことも、現実を受動的に受け取ってやってみたいが生まれることも、1人で取り組むことも、共同的な営みにも「主体的」な姿があるのです。


子どもが環境に主体的に関わる生活をするには、計画と実践と省察を繰り返すことが大切になるでしょう。

例えば、「子どもを惹きつける」という言葉が使われることがありますが、保育者が子どもを惹きつけようとしたとき、主体的な子どもの参加は保障されていることになるのでしょうか。

惹きつけるためのパフォーマンスをして、子どもが楽しんでいるように見えたとしても、与えられた刺激で、楽しんでいるというより、興奮の要素が濃いのではないか?

保育者が楽しませる、子どもは楽しませてもらっているばかりになっていないだろうか?(ちなみに、子どもが、「楽しんでいるから、喜んでいるから」を軸に考えると、保育者主導の濃い環境になりやすいようです。)

子どもの主体的な遊び、生活、活動になっているかを問い直す観点はたくさんあります。

子どもたちと会う頻度の少ない外部講師や実習生には、子どもを惹きつけるパフォーマンスをが必要な場面があるかもしれません。

しかし、「惹きつける」を意識するということは、子どもの参加の仕方に画一的な姿を求める認識が前提に隠れていることを忘れてはなりません。

毎日一緒にいる私たちは、子どもが保育者に聴いてもらう体験を十分に重ねていく過程で、保育者の話を耳を澄ませて聴こうとしたり、自分が聴かれているからこそ、他者の話を聴こうとする姿勢が養われたりするような時間をかけて醸成していくという子どもの成長の特徴を大切にしたいものです。


おわりに

保育者がどのように子どもという存在をとらえていて(子ども観)、どんな見方をしているかで、保育における「子ども」のとらえ方が変わります。

保育者の「ものの見方」によって、同じ姿でも、肯定的にとらえられるか、否定的にとらえられるかが変わります。

子どもの実態と、保育者がとらえている子どもの姿がずれている可能性があることを常に忘れてはならないのでしょう。


「主体・主体性・主体的」に関することも同じことが言えます。

「主体的な学び」を表面的にとらえ、能動的に動いて積極的な姿ばかりを主体的だと評価するようなことが起きていないだろうか?
(中略)
見えている部分では、能動的で意欲的。しかし、実のところは先生の中に答えを見出すなど、誰かの正解に沿った行動の濃度が濃い場合がある。

主体性はどこから生まれるのか?


一人一人の子どもが、主体として尊重され、主体性が発揮できる対話的な関わりのもと、主体的に環境に関わる生活の主人公として、保育者や友だちと相互主体の関係で生活を営んでいく。

一人一人が自分なりの意志や判断、興味や関心をもつかけがえのない存在として大切にされることで、人・モノ・コト・場など周囲との関係が充実していく状態も大切にされ自分なりの環境との出会い方や参加の仕方、発見や感動を保障されているような営みが保育の基本や軸であり、目指す方向です。

上記の内容を整理すると、このようになります。

  • 自分の意志や判断、興味や関心をもつかけがえのない存在として大切にされる
    =主体として尊重される

  • 人・モノ・コト・場など周囲との関係が充実していく状態が大切にされる=主体性の発揮と尊重

  • 自分なりの環境との出会い方や参加の仕方、発見や感動を保障されている=主体的に環境に関わる


「子ども主体の保育」について、長々と扱ってきました。最後までお読みくださり、ありがとうございます。

「子ども主体の保育」を実践しようとしても中身で考えなければ、実現は難しいものです。到達点はありません。日々、試行錯誤し、探究し、学び続けら、それをおもしろがれるのも、私たち保育者の専門性なのだと思います。

保育は人生そのものだ! ー vol.53ー
2023年8月29日


【参考】

⑴『保育所保育指針解説 平成30年3月』(厚生労働省)

⑵『改訂 保育者の関わりの理論と実践ー保育の専門性に基づいてー』(高山静子|郁洋舎)

⑶『保育的発達論のはじまりー個人を尊重しつつ、「つながり」を育むいとなみへー』(川田学|ひとなる書房)

⑷『対話的保育カリキュラム(上・下)実践の展開』(加藤繁美|ひとなる書房)

⑸『幼児教育と対話ー子どもとともに生きる遊びの世界ー』(榎沢良彦|岩波書店)


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