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天国のお母さんへ

Facebookから2年前の記事が出てきた。

今も変わらず、いや、螺旋階段をのぼるように緩やかに昇っている。笑顔になりたくて、笑顔を求めて、笑顔にしたくて。笑顔の探求ばかりしているな笑

私の周りの全ての人に笑顔になってほしい。そう願う。

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2018/5/14

命の残り時間を知ったとき、どんな反応をするだろうか。
ガンかもしれないって思ったあの時、
ああ、お迎えが来たのかな。
まぁいいか。思った。

命の残り時間が分かったら、ガムシャラになれるのかもしれない。そんな事考えてばかりいた。

・・・・・母は何を思っていたのだろうか。

平成16年2月、あなたは脳梗塞で倒れた。
三日間の点滴の後半身不随となったが一命を取り留め、いざ、リハビリしようとした矢先、乳がんが4cmという大きさで見つかりました。
既にリンパに転移。
3月の終わりだったか、、全身の転移を見るレントゲン写真には写り込まなかったのにもかかわらず、7月の終わり、父は医者から母の余命を聞く。後3ヶ月だと。。。
父に甘えの限りをしていた。今まで甘えられなかった分なのか、父にだけは八つ当たりとも思える態度で娘の私でさえも母にイラついた。
何も言わずに全てを受け入れ、文句も言わず、受け止めた父に怒りを覚えることさえあった。2人の夫婦の絆を感じ、尊敬もした。
痴呆??と思える場面もあったのに、私と息子だけはわかってくれた。苦手な人は最後まで嫌っていましたね笑
あなたと最後に話した言葉、お腹をさすっていたのはきっと痛かったからなんだろうなぁと、今思えば、、、な場面が思い起こされる。
余命宣告より数ヶ月が経った 12/8 10:00ごろ、あなたは静かに息を引き取りました。父と私に看取られて。
本当は既に逝ってしまっていたんでしょうね。けれど、父は私が来るまでは、、、と、先生を呼ばなかった。。。
病院から帰った15:00過ぎでしょうか。
実家に戻ってから次々と訪問客が。
父の顔の広さを実感した一場面でもありました。私自身の仕事繋がりの人も40名ほど来てくださり、本当にありがたかったです。ありがとうございました。

お母さん、私はあなたのようになりたいと憧れ、あなたのようになりたくないと反発し、やはりあなたには敵わないと思ったり、あなたが、「大人になっても大学に行ける」と行った言葉に導かれ、今は通信大学生をしております。

何のために
私は生まれたのでしょうか
何のために
私は今を生きるのか

それの答えを追い求め、散財し、道に迷い、
それでもいいじゃない
と思える人生を歩めたら
いいんだろうと思う

あなたが病気を発生した歳は幾つだったんだろう
57歳まであと16年
華やかに
悔いのない人生を歩みたい

迷い迷っても想う気持ちは同じ

笑っても一生、泣いても一生
ならば
笑って過ごした方がずっといいじゃない

平成16年2月、ご飯食べに行こうって誘ったあの日、私が無理矢理にでも病院に連れて行っていたらまだ貴方は生きていたんでしょうか。
ときどき無性に会いたくなるよ、お母さん。
折しも昨日は母の日。
カーネーションの花を見ながら、わたしには今送る人がいないなぁとしみじみしながら、今父といっしょにいてくれるパートナーへ感謝の気持ちを込めてラスクを買いに行った。
父の顔もたっただろうか。

お母さん、わたし、貴方のことが大嫌いでした。
大好きでした。
憧れてました。

ただ、ただ、抱きしめて欲しかったあの頃。
自分で自分の肩を抱き寄せ癒していくね。

甘えたくて甘えられなくて、好きになったら一直線。好き好きビームはあなたを追い詰めるから笑
程よい距離感を保ちながら、末長く一緒に歩いていきたいです。



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↑ここまでが2年前のFacebook。読み返しながら涙が出てきて、、、あぁ、時間ぐすりが聞いてきたなと思った。ここから下は心のブロックがあるので有料w

今の心のうちを留めておこう。

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