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[場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)・緘動(かんどう)・発達障害・不安障害・不登校などの生き辛さ]への理解 第16話 『場面緘黙症発症』


(ご理解いただけたら、周りの方に伝えたり、この投稿をシェアしていただけるとうれしいです。)

長女は4歳の時、幼稚園入園をきっかけに場面緘黙症・緘動(※)を発症しました。
我が家の3人の娘たちは園や学校に行かず(行けず)家庭を中心に過ごしています。
※:家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように
動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。
症状や困難さはそれぞれかと思いますが、我が家の場合を伝えていきます。

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5月は“場面緘黙症“啓発月間です。

啓発月間に合わせ、『チャリツモ』さん(様々な社会問題をわかりやすく、楽しく伝えるウェブメディア)で書かせていただいた、娘の場面緘黙症についてのコラムを転載させていただきます。
https://charitsumo.com
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*場面緘黙症発症*

公園や児童館に行くたびに「こわい」と言って、私の影に隠れる長女。

何とか同世代の子どもたちのいる場所で母親と離れて過ごせるようにしたいと、毎日のように娘たちを連れて出かけていました。

娘の幼稚園入園は仲良くしていたお友達と合わせ、年中からの2年保育と決めていました。
入園の頃にはきっと、お母さんがいなくても笑顔で過ごせるようになっているだろう。
そう信じたい一方で、相変わらず物音に敏感で、子どもたちのいる場所には怖がって近づこうとしない娘に焦りを感じていました。

そして迎えた入園式。
年少入園が主流なのか、年中からの入園者はごく少数で、入園式は5人ほどのお友達と輪になって座り、娘は恥ずかしそうにしていましたがうれしそうな笑顔でした。
あれこれ心配したけど、なんとか無事に済んだな~と胸をなでおろす私。

そして初めての登園日。
娘は一人バスに乗り、戸惑う笑顔で私に手を振ってくれました。

ところが園に着き娘に見えた景色は、入園式で過ごした小さな幼稚園ではなく、進級してきた大勢のクラスメイトで賑わう場所でした。

当然、幼稚園では泣いたと聞きました。

入園したばかりの小さな子なら泣くのは当たり前。
いつまでも泣き続ける子はいない。
時が経てば慣れる。

次の日もまた次の日もそう信じ、泣きながら私の体に巻き付けた小さな腕をはがし、見送りました

それでも家ではいつものように明るい娘。
…きっと大丈夫!

しかし、娘の異変は「泣き続ける」だけにとどまらず、ある日、とあるきっかけから、体を動かすことができなくなってしまったのです。

* * *

その以前から、娘は幼稚園では声を出すことができていませんでした。
参観で幼稚園に行くと、自分の肩に、顔を隠すように埋め、人形のように固まった娘はまるで別人。
でも家に帰ればいつものように明るく、むしろおしゃべりで活発な娘を見ると、そのうち幼稚園でもこんな風に過ごせるようになるだろう。
そう信じるしかありませんでした。

ところが、幼稚園での娘の状態は日に日に悪くなり、声かけでは体を全く動かせず、靴の脱ぎ履き、移動など全ての動きには介助が必要でした。

入園から4ヶ月が過ぎた夏休み、先生から呼ばれ幼稚園に出かけました。

先生の口から告げられたのは、

『場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)』

という耳慣れない言葉。

娘の様子が幼稚園でよくある、「泣くタイプの子」とは違うことを心配してくださっていた先生は、娘の状態が「場面緘黙症」の症状とよく似ていることを教えてくださいました。

家に帰り、ネットで調べてみると、まさに、娘の状態そのもの。

「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」、「選択制緘黙(せんたくせいかんもく)」とは、家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患である。

また、強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。
~wikipediaより~

時点有病率は0.03%~1%と言われ、発症年齢は2~5歳と低い場面緘黙症は、認知度も大変低く単なる引っ込み思案と思われがちです。
そのため適切な支援を受けることなく望まれない対応などを受けると、うつ病や不安障害などの病気を併発することもあります。

* * *

幸い、娘は幼稚園の先生によって早い段階で場面緘黙症、緘動の症状がわかり、その後、医療機関や療育相談機関と連携しながら幼稚園を卒園することができました。

娘は幼稚園では、おしゃべりしたり、自分の意思で体を動かすことは出来ませんでした。
誰かに手を引かれなければ歩くことは出来ず、その手が離れた場所でたたずみました。
食べ物はスプーンを握らせた手を誰かに動かしてもらい、口へ運びました。
お遊戯会や運動会は先生が手を添え体を動かしてくれました。
家では絵を描いたり、工作したりすることが大好きでしたが、幼稚園では自分の手で作った作品はひとつも残せませんでした。

先生からは娘は「完全介護状態」と言われました。
本当に、その通りでした。

娘はある時言いました。

「お母さんのおなかに戻って、もう一度うまれたい…」
「ただ、生まれ変わるんじゃなくて、普通に、みんなみたいに幼稚園に行ける子になって、もう一度お母さんのおなかの中からやり直したい」

そうやって2年間の幼稚園生活を過ごし、心を新たに、動けなかった自分のことを誰も知らない小さな小学校に、娘は入学しました。

「今、ここでがんばればみんなみたいに、
""普通の小学生になれる!""」

娘はそう自分に言い聞かせながら入学式に臨み、号令に合わせて立ち、座ることができました。

初めての授業参観では、手を挙げ、とてもとても小さな声でしたが、発表することができました。
入学からしばらくしてからでしたが、自分の手で給食を食べることができました。

娘はようやく、二年間ずっと叶えたかった、みんなのように自由に話し、自由に動ける自分を手に入れたのです。

しかし二ヶ月後には、娘はまた、動けなくなっていました。

* * *

もう一度、お友達と自由に話し、動ける日々を取り戻してあげたい!
動けない娘が、一番安心できる方法は?
答えはひとつしかありません。

夏休み明けの二学期から、私は3歳の二女を連れ、長女との母子同伴登校を決意したのでした。

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例は、娘のケースです。

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チャリツモでは『"おうち育ち"な我が家の事情』と題したコラムを連載させていただいています。
また、社会の中でマイノリティでも確実に存在する様々な問題、現状、課題などについても分かりやすく、当事者や経験者また深く関わった方のリアルな声が集められています。
ぜひサイトをご覧ください!

https://charitsumo.com

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(注)私たち家族は長女が診断されて以来、下の二人の娘も含め、療育、相談、医療の機関に定期的にカウンセリングに出向き、登校できなくても、在籍する学校の先生と連携を取っていただいています。

いただいたサポートは今後の活動にきちんといかしてまいります! ありがとうございます♡