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[場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)・緘動(かんどう)・発達障害・不安障害・不登校などの生きづらさ]への理解 第31話 「5歳の言葉」


(ご理解、ご賛同いただけたら、周りの方に伝えたり、この投稿をシェアしていただけるとうれしいです。)

長女は4歳の時、幼稚園入園をきっかけに場面緘黙症・緘動(※1)を発症しました。
二女は8歳の時分離不安障害(※2)と診断されました。
我が家の三人の娘はHSPの特徴を持ち合わせています。
学校に行かず、家庭を中心に学び成長中。
※1:家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。
※2:分離不安障害とは愛着のある人物や場所から離れることに対し、過剰な不安と苦痛を感じる精神医学的障害のひとつ。
症状のでかたや困難さはそれぞれかと思いますが、娘の場合を伝えていきます。

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「5歳の言葉」

場面緘黙症・緘動を発症し、みんなのようにおしゃべりしたり、動いたりできなかった娘。
賑やかで楽しそうなお友達の姿を小さく眺める日々。

「みんなと同じように、できるようになりたい。」
娘はいつもそう感じていました。

しかし、どんなに強く望んでも、今日こそはと決意しても、やっぱり出せない声、動き。

そのうち娘はこんな風に話すようになりました。

「いつか、みんなと同じようにできるようになるのか…わからないことが悲しい。」
そう言って泣きました。

今はできなくても、できるようになる日はきっとくる。
そんな希望も約束も見つけられず、ただ悲しみを感じるようになりました。

また、
「だいじょうぶだよ」
「ぜんぜんわからないよ」
「みんなと変わらないよ」
「はやく良くなるといいね」
そういった優しさをかけられることもありましたが、その言葉は希望を感じている時には励ましになるかもしれません。
しかし、希望を感じられずにいる時には、辛いかもしれません。

「大丈夫である」根拠を見つけられず、むしろ、「見た目に分からず皆と変わらないように見えること」が大きな苦しみ。
「良くなるような病気」ではそもそもないのではないか。

希望とはまるで反対の気持ちを感じてしまうことになるかもしれません。

いつか希望は叶うと思えることはきっととても大きなことです。
希望の形は誰かが決めることではなく、自分自身が抱くもの。

生きづらさを抱える人もそうでない人も、希望を感じ過ごせるような社会であってほしいと願います。

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例は、娘のケースです。
すべての場面緘黙症・緘動の症状にあてはまるわけではありませんが、知ってもらうことはとても大切だと改めて感じています。

(注)私たち家族は長女が診断されて以来、下の二人の娘も含め、療育、相談、医療の機関に定期的にカウンセリングに出向き、登校できなくても、在籍する学校の先生と連携を取っていただいています。


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