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[場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)・緘動(かんどう)・発達障害・不安障害・不登校などの生き辛さ]への理解 第3話


(ご理解いただけたら、周りの方に伝えたり、この記事をシェアしていただけるとうれしいです。)

長女は4歳の時、幼稚園入園をきっかけに場面緘黙症・緘動(※)を発症しました。
我が家の3人の娘たちは園や学校に行かず(行けず)家庭を中心に過ごしています。
※:家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように
動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。

症状や困難さはそれぞれかと思いますが、我が家の場合を伝えていきます。


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娘は、幼稚園などで動きが止まるとき、自分の小さな片方の肩に顔を埋めるようなポーズで過ごしました。

娘は後に教えてくれました。

本当はみんなから見えない場所に隠れたかった。
だけど、動くことができないから、自分の肩に隠れてた。


場面緘黙症や緘動の方全てに当てはまるとは言えませんが、娘の場合、視線に対して強い不安を感じていました。

たとえ、相手が本当は娘を見てはいなくても、こちらを見ているように感じ不安が強くなります。
一時期は、家にいてもどこかにカメラがあって自分がテレビに写されているかのように感じていることもありました。

場面緘黙症・緘動を発症する前から感じてはいましたが、「人見知り」「恥ずかしがり屋」「自意識過剰」そんな言葉でなんとか片付けていました。

しかし、他のこどもがいる公園などに行くのを「こわい」と表現していた意味が、娘が診断を受けたときに分かったような気がしました。


娘は今でも、面接のような面と向かった場面で対話することや、改まった雰囲気が苦手で、緘黙の状態になります。

幼いうちは、語りかけられて、喋れずうつむいていても、「あー、恥ずかしがり屋さんなんだね」で済ませてもらうことがほとんどでした。

成長し、通常なら丁寧語も交えながら、しっかりと会話のできるような年頃になると、「話せない自分」はとても不便そうです。

そうなってしまうだろう場面には、なるべく参加したがりませんが、どうしても居なければならないこともあります。

娘は、そのような場面では許されるならスマホを触ってやり過ごします。
ゲームなどではなく、SNSで誰かと会話をすることが多いようです。

目線を相手から外し、相手からも、話しかけづらいと感じてもらった方が好都合なのです。
だって、親しく話しかけてくれたとしても、何も返せないからです。


スマホのない時代、ない世代ではうつむくことしかできなかったけど、ほんの少し、生きづらさを解消してくれるツール。
この心強いツールのおかげで、一人でバスにのって移動することも実現しました。


ただ、皆が集う場で、じっとスマホ見つめる姿は失礼に映ることがあるしょう。
最近の若いもんは…とあきれられるかもしれません。

また、話しかけても反応しない様子は、かけている言葉の意味を理解できていないように感じられるかもしれません。

本人も気にしながら、でもそうでしかあれずに、そうしているのです



「その場から消えてしまいたい。みんなから、見えない透明な自分でいたい。」と感じながら過ごしていた頃より、「居られる場所」は格段に増えました。

では、場面緘黙症や視線恐怖症の人は特別に、TPOをわきまえず、スマホをいじることを認めてほしいというわけではありません。

私にはまだ具体的なアイデアはありませんが、様々な症状や困難を抱えている方が、そこにいることさえいたたまれない持ちにならず、互いに受け入れ合える何かが必要だと思っています。

ヘルプカードなどで困難を表示することもそのひとつですが、一緒に考えていただけるように、まずは「場面緘黙症・緘動」への優しい理解のために、伝えていきたいと思います。

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例は、娘のケースです。


すべての場面緘黙症・緘動の症状にあてはまるわけではありませんが、知ってもらうことはとても大切だと改めて感じています。

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