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[場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)・緘動(かんどう)・発達障害・不安障害・不登校などの生きづらさ]への理解 第7話 「あいさつこわい」



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長女は4歳の時、幼稚園入園をきっかけに場面緘黙症・緘動(※)を発症しました。※:家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。

症状のでかたや困難さはそれぞれかと思いますが、娘の場合を伝えていきます。

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[場面緘黙症・緘動]への理解⑦
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長女は4歳の時、幼稚園入園をきっかけに場面緘黙症・緘動(※)を発症しました。
※:家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。

症状のでかたや困難さはそれぞれかと思いますが、娘の場合を伝えていきます。

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言葉が出にくい状態である=単純な言葉なら言いやすいだろう
そう考えるのは自然なこと。

しかし娘には、「ご挨拶の言葉」は最も言いづらい言葉のひとつでした。

挨拶はコミュニケーションのきっかけとしては、有効で手軽な手段です。
でも一方で、相手との関係が始まるとても重要で最も”改まった場面”でもあります。

また、ごくシンプルな決まりきった挨拶の言葉は、当然正しく返ってくるだろうという”期待される場面”でもあります。

また、言わないという選択肢が与えられない”逃げ場のない感覚”もあるのかもしれません。

向き合い、目を見て交わされる挨拶は、視線に対して強い不安を抱く娘にとっては実はとてもハードルの高いものであると言えるかもしれません。

「挨拶は基本」、そう言われることも多いですが、場面緘黙症を発症するほどに不安の強い人にとっては、大変乗り越えづらい場面である場合もあることをお伝えするために、娘のいくつかのエピソードを紹介します。

まだ、発症する前、未就園の頃の娘は通りで知らない人から挨拶の声をかけられても返せませんでした。恥ずかしがり屋にはよくあること。

でも娘はそんな時、「こんにちは、は?」と一応しゃがんで促す私の耳元で、

「知らない人に、”こんにちは”って言うなんて、恥ずかしいから言えない」
と小声で言いました。

「こんにちは」のたった5文字よりずっと長い、しかもその中に「こんにちは」を含む、言えない理由は言える娘。

あまのじゃく、ひねくれもの、そんな言葉が聞こえてきそうでしたが、娘にとっては正直な理由だったのでしょう。

幼稚園に入園し、場面緘黙症・緘動を発症してからは娘と先生のご挨拶は、先生がご挨拶の声をかけてくれた後、娘の手を動かしタッチするのがスタイルとなりました。

小学校では、入学後二ヶ月ほどは動けていましたが、起立して礼をする娘はほとんど目線だけで礼をするような形で体はすくんでいました。

学校に行けなくなってからも、低学年のうちは自由に発言したり動いたりできていた場所でも、ある時、「挨拶を待つ」ことを試されたことがありました。

娘にとって、最も苦手である場面を乗り越えられるかもしれない…と判断しての愛情あるチャレンジでした。
自由でいられる場面で苦手な状況になった時、娘は声は出しませんが笑顔を見せます。その時もそうでしたが、「待たれている」時間は続き、それは娘にとってとてつもなく長く辛い時間だったのかもしれません。
表情はだんだんとこわばり、笑顔が無くなり、肩に顔を埋める娘の緘動のポーズになりました。

そしてその瞬間から話せず、動けなくなりました。
(後に周囲の協力と本人のがんばりで、この場所での緘黙・緘動は克服しました。)

挨拶にまつわる、成功体験もあります。

娘は幼稚園や学校では動けませんでしたが、個人レッスンしていただいていたピアノの教室では発表会にも出ていました。

初めての時は、ステージ上で緘動状態になることも想定し、先生とも打ち合わせをしました。
しかし娘は周囲の心配をよそに、ゆっくりと堂々とした様子でステージを歩き、練習通り始まりと終わりのお辞儀も完璧に、ピアノの演奏も淡々と披露できました。

それから、その後5年生まで娘は発表会で演奏しました。

娘ははじめての発表会の時、なぜできたのかという問いかけに、こう答えました。

「たくさんのお客さんがいて緊張したけど、その中に自分が動けないことを知っている人が一人もいなかったから」

そして

「何か話さないといけないなら無理だけど、動くだけならできた」

また、先ほどの挨拶を待つことで症状が出てしまった場所での成功体験もありました。

とてもユーモアのある先生が担当の時、その先生は型にはまった挨拶は抜きにしてくださいました。
帰り際の挨拶も「じゃ!」という感じで手を振るだけにしてくれたりと娘に負担を感じさせないように接してくれていました。

その先生が、娘がとても笑っていて絶好調の時に、「さよ”おなら”〜!」と「おなら」の部分をわざと強調させて面白くおっしゃいました。
娘はウケて笑いながら、自分も「さよ”おなら”!」と真似をして言いました。

ご挨拶としては100点ではないかもしれませんが、娘が面と向かって「さよなら」の挨拶が言えた初めての時だったかもしれません。

それから、しばらくその先生とのお別れの言葉はその「おなら」バージョンが続きましたが、これが「ご挨拶」というプレッシャーになったり、そろそろちゃんとした言葉で言おうか、という雰囲気になる前に、先生はこの挨拶を自然消滅させてくれました。

14歳になった娘は今でも、かしこまった場面、改まった場面がとても苦手です。
面接のような面と向かう状況ではどうしても言葉が出なくなります。
楽しい場面でも、例えば乾杯のシーンが苦手です。
また、敬語を喋る人を怖く感じるとも表現しました。


一年の中で、ある意味で最も憂鬱なのはお正月。

出会った人に「あけましておめでとうございます」と決まった挨拶の言葉をかけられ、返さないといけないからです。
もう、恥ずかしそうに母親の影に隠れて「恥ずかしいから言えない」と言える年齢ではなくなったことは、別の生きづらさとなっているのかもしれません。

でも、SNSなど以前にはなかったツールを通じて思いを伝えたり、発信できる時代をうまく利用してほしいとも思います。

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例は、娘のケースです。
すべての場面緘黙症・緘動の症状にあてはまるわけではありません。


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