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FFPで得たファッションに対する見解 「身体性の再構築とアイデンティティの拡張」

初めに

現代のファッションは絶えず変容する流れにおいて新たな表現の可能性を模索し、その進化を継続的に追求している。この進化の中で新たな芸術形態のへと移行しつつあるファッションの抽象性をポストフーマンボディーズの視点を交えながら洞察する。

身体の再構築とアイデンティティ

ファッションデザインは、従来の身体の形態やアイデンティティに挑戦し、その拡張と再解釈を積極的に探求している。このプロセスは、伝統的な美の規範やジェンダーの境界線を崩壊させ、多様性と包括性を前進させる役割を果たす。たとえば、性別に中立的なウェアラブルアイテムの広まりはこのような抽象性の典型例だ。また、身体に厳密に適合する必要のないデザインの増加は、多様性へのリスペクトを具現化し、ファッションを通じて新たなアイデンティティの言語を提供するこのアプローチはポストフーマンボディーズの概念と密接に結びついており、個人のアイデンティティを表現するための革新的な手法を展開している。

テクノロジーの進化とファッションデザイン

ファッションデザインの発展は、テクノロジーの進化に大きく依存し、新たな可能性を積極的に模索している。身体拡張テクノロジー、バイオテクノロジー、サイバーテクノロジーの導入により、個人のアイデンティティに新たな次元が付与され、身体の再概念化が進んでいる。身体に装着されるテクノロジカルなアクセサリーや、バイオフュージョンを通じた身体の変容は、この分野の象徴的な展開事例と言える。

(話はズレるが、あらゆる芸術分野において全てのものは出切っていて、現代の創作は過去の創作物の組み合わせでしかないという悲観的な諦念が広まっているが、
私はその意見に部分的には賛成するが、部分的には反対する。
というのも創作物というのは元来、既存のものの組み合わせのから生まれるもので、厳密に言えば完全にオリジナルなものなどは存在しないのである。
また、オリジナリティーというのは受け取り側が何を経験してきたかに大きく依存するため絶対的な評価基準はなく一般的な概念(主観的概念の集合)に過ぎない。この視点から見るとAIがオリジナルな創作ができ無いという言論も否定することになる、むしろ組み合わせ元となる情報をデータベースから無限大に選択でき、その無限大の元ネタの組み合わせも無限大に出力できると言う点ではAIの方が一つの脳に縛られた人間より優れているとも言える。AIというテクノロジーは人間の優位さを長年支持してきた創造性と言う特性すら曖昧にしてしまったのである。
ではなにが「出切っている論」を生じさせたかと言うと、それは莫大な情報に瞬時にアクセスすることを可能にしたインターネットである。
我々は何か一つの情報を得た際にそれと類似していたりや元ネタとなった情報を瞬時に大量に得ることができるため、全ての情報に既視感が生まれたのである。
テクノロジーの発展は新しい素材や造形、表現を可能にするが、その最新技術ですら簡単に類似情報を見つけることができてしまうのである。
例えば3Dプリンターは斬新な素材とプロセスによって従来では表現できなかった造形を可能にしたが、それらの作品をGoogle画像検索すれば、するまでもないかもしれ無いが、シェイプがザハ・ハディドやアール・ヌーヴォーなどの流線型に酷似していると認識してしまう。)

結論

ファッションデザインとポストフーマンボディーズの交錯は、人間性の定義を内と外両側から侵食する様にして身体とアイデンティティに新たな理解と表現の機会をもたらし、ファッションが個人と社会に与える影響を一層深化させている。これらのトレンドが一層結びつくことにより、ファッション業界と文化全体に革新的な転換がもたらされるだろう。ファッションは、私たちの身体とアイデンティティに関する洞察を促し、進化させる力を有しており、テクノロジーの進歩もこれらのトレンドを推進する役割を果たすだろう。


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