物語のおわりを見届けるということ
大学2年生のときからずっとずっと私の心の一等地を占めていた物語が終わる。
最終回がくるとわかった日から今日まで、
読みたいけど読みたくないって駄々をこねていて。
0時更新のジャンプを祈るような気持ちで待ち、読む前からもう涙目で。
見開きページが目に飛び込んできた瞬間、そこにすべてが詰まってて、
『物語の、ハイキューのおわりを、見届けられてよかった』
という気持ちでいっぱいになった。
たまたま本屋さんで手にとったのがきっかけだったと思う。
思い返してもどうしてこんなに大好きな作品になったのかはわからないのだけど、いつのまにか私の本棚のいちばん目立つところにあって、ハイキューの話をする時間がふえて、漫画だけじゃないたのしみをたくさん知った。
日記のなかのすこし前の私も、それはそれは楽しそうにいろいろ書いていて、
思わずふふっとほほえましくなっちゃうくらい、本屋さんでひとめぼれしたのがはじまり。
ハイキューのどんなところが好きかと言われたら、
『今が未来と地続きだということを思い出させてくれるから』だと答える。
バレーボールはスポーツだから、勝ちもあれば負けもある。
才能だけでは叶わない、努力はしてもしたりない、物理的に勝てない壁だってある。
それでも、ひたむきにただひたすらに高みにいくために、できるめいっぱいで
できることを積み重ねていくことのつよさを何度も見せてもらってきた。
そして、独りではないから見える景色があるということも。
これまで私が自分の今を大切にすることができてこれたのは彼らのおかげ。
高校生だった彼らは、私と同じ年になって、そして少し先の未来にいる。
私の背中を押し続けてくれ物語の背中を、この数年は私が追いかけることになりそう。
「バレーボール(排球)。
コート中央のネットを挟んで2チームでボールを打ち合う
ボールを落としてはいけない。持ってもいけない。
3度のボレーで攻撃へとつなぐ、球技である」
「近道なんて楽なほうへよそ見している暇なんてないぞ」という言葉と一緒に、
ちょっと先の未来の自分へボールを繋げるように。
物語のおわりはいつだってさびしいけれど、見届けられたしあわせと一緒に
ずっとずっと覚えていたい。
ハイキューのみんなのバレーがずっとずっと大好きです!
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