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08 mother tongueがいっちゃん強いねん #喋ってなんぼ駒井の「独り言ちてなんぼ!」

音声は以下に上がっています!このnoteと同内容を喋ってますので、ぜひ音声でも聴いてみてください〜

https://u8kv3.app.goo.gl/frDmA

mother tongueの形成

 しょうもない自分語りやねんけど、とか言うたら別にこの「独り言ちてなんぼ!」自体が壮大な自分語りであるゆえにもともとそうやないかっちゅう話やけど、なんにせえ俺はかなり関西の言葉が強い方で、小学生のときとかは同級生に「なんで駒井そんな関西弁なん?」とバリバリ関西のイントネーションで聞かれることもしばしばあった。いや自分(聞いてくる方)がつこてんのも関西弁やないかいって話やねんけど、まあ関西弁話者の児童からも駒井は特に関西弁が強いと思われとった節があるわけやな。確かに俺はかなり広い音の高低差をつけて喋るとこがあって抑揚がえぐいから、まあかなり関西のイントネーションを強く保持しながら喋るきらいはあるわけやねんけど、ほな一体なんでこんな感じの喋り方になったんかっちゅうことで、いや誰が興味あんねんではあるんやけど、これには幼稚園時代のことが非常に影響してると思うわけやね。というのも、俺は幼稚園時分、まあぼちぼち同級生とも仲良うはしとったけど、正直ほかの児童のお母さん方と喋ってる方がおもろいと思っててんな。まあそれは大人っていろんなこと知ってるし概しておしゃべりやし、っちゅうことでいろいろ理由はあったんやけど、一番の理由は「ちやほやしてくれるから」一択やったな。やっぱりちやほやされるんってめちゃくちゃ気持ちええからなあ。ほんまこれから先もずっとちやほやされてたいまであるよな。ほんで話を戻すと、そういうお母さん方って得てして「関西のおばちゃん」みたいなもんであって、わりかし強いめの関西弁で喋らはる人が多かったから、そういう層から喋り言葉を習得したがゆえにこんな喋り方になっとるっちゅうことやと自分では認識してるんよな。

方言を「直す」?

 まあそんなこんなでかなり強めの関西弁を喋りながら生きとった俺も、大学進学を機に東京へ出てくると、東京の言葉のシャワーを浴びざるを得んようになるわけやな。最初の方はこのシャワーが初めてのことやったから大変に苦痛で、(10-0で俺が悪いとは言え)めちゃくちゃストレスを感じてたんやけど、まあそんなぐらいやから、俺自身は全く喋る言葉を変えようとは思わへんかった。まあ正確には、もちろんそのシャワーの影響を受けてごくわずかに関東の語彙が流入してきたりもしたんやけど、こっちから東京の言葉に合わせようという意思は一切なかったということやね。まあ東京の人が関西弁っちゅうもんに触れる機会もぼちぼち多い昨今、いうてそれでなんの問題も無かったんやけど、正直一部の人間が心無いことを言うてきよったりして、どつきまわしたろか思たこともある。それがなんや言うたら、「全然直らないね」みたいな物言いな。いや、「直す」って何? 矯正するみたいな意味合い? 「間違い直し」っちゅう言葉に代表されるように、「直す」って言葉には「本来そうあるべきでないもんを正しい状態にする」みたいなニュアンスがあるやろ。俺のmother tongueをなんやと思とんねん。本来そうあるべきでないもんなんか?ええ? 東京では東京の言葉しか使たらあかんのか? ほんまええ加減にせえよ。これ元のバイト先(飲食店)のほんま憎たらしい社員が言うたことやから余計腹立つってのもあるんやけど、今思い出しただけでまた腹立ってきてもうたわ。

自分より田舎のとこを見下す都会人の最悪な風習

 まあ今言うたようなやつがいっちゃん酷いパターンではあるんやけど、「そのままでええよ」の意で「直す必要は全然ないと思うよ」みたいなワーディングしてくるやつもほんまは微妙やな。まあこれ東京で出来た知り合いが結構言うてきたことあるセリフやからあれやねんけど(ほんで悪気ないんもよう分かってんねんけど)、やっぱり「直す」ってワードは良くないと思うわ。よっぽどローカルな場所やったら東京を含む他の地方から来た子に「言葉直せ」っていじめるみたいな風潮もあるかと思うしそれは最悪なことやねんけど、少なくとも灘においては「直す」「直る」みたいな語彙は使わへんかったけどなあ。「あいつも関西弁なってきたな」とか「全然関西弁ならへんな」とかは言うてたけど。ってここまで言うたとこで、あ、でも標準語っぽい言葉喋る人には言わへんかったけど、関西より田舎の出身者に対しては言うてるやつもおったかもしれんと思い出してきたな。結局これほんまに東京やろうが関西やろうが、ていうかどこでも、自分より田舎のとこを見下す都会人の最悪な風習なんやろな。これは自らもほんま自戒していかなあかんことやけど、「合わす必要はないで」みたいな、少なくとも優劣関係を感じひんで済むような言葉を使う方がええと思うわ。

mother tongueで全部伝わるやろがい

 ほんで実際、自然と影響されるぶんにはかめへんと思うねんけど、意図的に移住地でメインで使われてるタイプの言葉に合わせにいくみたいな努力は正直全く要らんと思うわけやな。別に大概の方言は意味通じひんことはないし。通じたらそれでええわけやねんから、必要以上に郷に従う必要はないやろ。ほんでしかも、言葉が発される時っちゅうのは、その言葉自体の意味合いを超えた、言外のニュアンスとか雰囲気みたいな情報もセットで伝わると思うねんけど、そういう言外のノリはmother tongueを使っとるときにいっちゃん出てくると思うねんな。まあそりゃ自分にいっちゃん根ざした言葉なわけやから、自分の中にある感情とかニュアンスとかを伝えるにはいっちゃん向いてるやろ。だから、多少言葉の意味が通じひんかっても、言葉よりも手前にある感覚とかはよりクリアに伝わるわけで、そのニュアンス同士を交換する一助として会話してるんやっちゅう立場に立てば、そのニュアンスをいっちゃん伝えるのに向いてる言葉でみんな喋るんがいっちゃんええやろと思うわけや。これは外国人相手とかでも同様で、まあさすがに基本の文法が違いすぎてあれやけど、極論言うたら、たとえ異国でもmother tongueで全部伝わると思うねんな。言葉は伝わらへんかもしれへんけど、少なくともその言葉を用いて伝えたかったニュアンスはいっちゃん伝わると思うわけや。まあでもさすがにその国の言葉を学ぼうとする姿勢ぐらいはあった方がええと思うけど、それで言うたらどんな田舎でも一応標準語は学んでるわけやねんから、語彙レベルで通じひん可能性あるな思ったらそこだけ標準語から借りてきたらええわけで、なんぼでもmother tongueで喋る道は開かれてると思うわけや。

自分らも一人ひとりのmother tongueやろ?

 せやのに、それを都会の、相対的に標準語に近い言葉を喋る層が、馬鹿にしたりとか直すのが望ましいみたいな思想持ってたりとかするから、せっかくいろんな文脈で育ってきたやつがいろんな背景の中で育んできた数々のmother tongueが殺されてるわけやな。関西の人間は割と野党第一党ぐらいの雰囲気なとこあるから堂々としてがちやけど、そもそも東京のことを「東京さん」みたいに思ってもうてる(そう思わされてんのも明治以降の日本の中央部のせいやと思うけど)ような地域の人とかはもうかなり標準語的に喋ろうと試みがちよな。いや〜つくづくもったいないことやでほんまに。ていうか、冷静に考えてみたら首都圏に住んでるやつも誰一人として標準語で喋ってるわけやないやろ? 東京の人間でもニュースみたいな喋り方するやつなんて滅多におらんやんか。すなわち、いくら東京の人らでも、みんなmother tongueで喋ってるわけや。相対的に標準語との距離が近いだけで、やっぱり言語を習得するにあたって最も影響を受けた人物は誰一人としてちゃうんやから、みんな微細に異なった喋り方をしとるっちゅうことで、だから、このように都会人もmother tongueで喋ってるわけやから、地方から来た人も堂々とmother tongue使ったらええんよな。

言葉と思考の枠組みの連関性

 ほんでまあそんなことを声高に主張して、東京でもmother tongueを貫いてる俺やけど、やっぱり周りに東京の言葉が溢れすぎとるがゆえに全部が東京のニュアンスで語られてるように感じてもうて、そんな中で生活してると、自然と「東京での思考の枠組み」みたいなもんと地元での思考の枠組みに乖離が生じるようになるんよな。特に1年目、大学1回の時は東京の刺激が強すぎてこの傾向が顕著やった。まあ年を追うごとに自らの足場も固まってきて、思考の枠組みがめちゃくちゃ左右されることはなくなっていったんやけど、1年目に帰省したときに「あれ?俺東京ではこういう考え方やけど関西ではこうやな」みたいな事象の存在を自覚したときは衝撃やったな。これ、自らの使用言語を頑なに維持した俺でさえそうやから、況やもっと強い方言を標準語風にして生活してる人をや。なんかようバイリンガルの人がや、「〇〇語喋ってるときは〇〇語で考えて、●●語喋ってるときは●●語で考えてますね」みたいなこと言いがちやったりするやん? あれがよりミクロな次元で起こってるような感じやと思うねんな。まあだから言語と思考の枠組みってめちゃくちゃ連関してるんやなとも思うわけやけど、東京で考えてることをmother tongueでうまいことニュアンスを表現できひんこととかがある場合、東京の言葉を使うしかないんかなあ。それが原因で東京では東京の言葉使ってるんですみたいな地方の人もおりそうやな。特にmother tongueと標準語との距離がかなりある場合。それで言うと関西弁っていうのは割とそのままでも通じるし、なんやかんや言うて情報を伝えるための言葉として洗練されてきた節もあるよな(そもそも長いこと首都やったし)。関西弁にも割と「標準語」っぽい側面があるから、標準語に近い東京の言葉を用いずとも東京での思考を記述できとるだけなんかもしれんな。

これからもよろしくお願いします

 まあなんにせえ、俺がこうして喋り言葉でこのnoteを書くことにこだわってんのも、結局mother tongueがいっちゃん言外のニュアンスを伝えんのに向いてると思ってるからやねんな。これ毎度Spoonのリンク上に貼ってるけど、毎回自分で実際に喋ってるわけで、やっぱりmother tongueで喋る方が絶対ええと思ってるわけや。なぜならそれが自分の言葉やから。というわけで、これからも俺がいっちゃん得意な自分の言葉でベラベラ喋っていこうと思ってるから、暇やったら読んだり聴いたりしてくれはったらと思います。ほな今日はこの辺で、ではでは出羽山脈〜〜


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