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労働を「制限」された成れの果て

生活保護が開始してからそろそろ2ヶ月が経とうとしている。と、同時に2ヶ月も労働をしていないということでもある。医者からもケースワーカーさんからもゼミの教授からも友達からも「今は療養の時期だから」と言われゆっくりしてなさいということだけ言われる。たしかに私の体はBMIが18を切っているし朝起きられないし週5、8時間というフルタイムの労働の仕方はできない。自分の持病が発症してからそれでも、波がありながらもバイトはできていた。2ヶ月間のリゾートバイトにも行ったし色んなイベントスタッフにも行ったりメディア系のバイトもしていた。

生活保護を受ける前の3ヶ月は本当に目まぐるしい毎日だった。クリスマス頃から毎日働いてお正月も帰る家もないし住んでいたシェアハウスのみんなも実家に帰っていたのだから当たり前のように働いていた。そこから後期の大学試験勉強と共に空いてる時間はひたすらバイト、バイト、バイト、バイトが当たり前だったから生活保護を受けてから働いてはいけないという労働の制限は私にとって拷問に近い。

自分の持病と生活のバランスを壊してしまったから保護になったのだけれども、家さえあれば安定した生活基盤さえあれば働きたい気持ちは何も消えてないのである。ゆっくりしてなさいと言われてもゆっくりの仕方がわからないからいつでも外に飛び出したい気持ちはあるし、外に元気に飛び出して動ける体力はないからそこでも負の連鎖だ。

元気に社会人になったみんなを羨ましいとも思う。健康な体でフルタイムで会社に属せること。どうしたってそれができないからどうにとならない。社会保険に入れてるのが羨ましかったり、会社員という安心した肩書があるのが羨ましかったり、福利厚生が充実したりして仕事とはいえ毎日誰かと喋れるその社会に参加しているという事実が羨ましい。

生活保護を受けている間はただただ生かされているという他人に生存権を渡している状態だ。勝手に死んではいけないし、誰もそれは望んではない。だが、身体的にはこの現代社会において働ける体ではないから圧倒的社会弱者になっている。欲しいものは買えないし20代前半なのにやりたい美容もできない恋も簡単にできない労働もできていない。そもそも大学も卒業できていない。明日、退学届をだしにいく。

暇と退屈の倫理学という本を店頭で見てそれを読みたいと思ったがもちろん買うお金はなくタイトルだけで想像することしかできない。魔法のクレジットカードはもてないし人間ないものねだりだから、あの時ああしていれば、親の言いなりになっていたらもっと楽だったのかもしれないけれど。わからないな、わからないことばかりだ。気圧でちょっとしんどいからちょっと暗めの文章になってしまった。でも、心はわりと元気、躁鬱の躁かもしれないけれど。わからない。わからないということだけわかる。そんな感じ。今の願いは働きたい、それだけ。

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