2024年の秋葉原の現状
先日、私は現在のオタクについて調べるため東京に遠征に行ってきました。前回の池袋編に引き続き今回は秋葉原編をお届けします。
↑今回はタウンガイドを参考にして読んでもらう良いかもしれません。
・秋葉原の美味しいラーメン屋
まずはグルメ情報から。秋葉原の「王道家直系 IEKEI TOKYO」というラーメン屋に行きました。15人ほど並んでいる人気店でしたが、スープがかなり塩辛くて驚きました。塩辛いだけでなくコクもあり、チャーシューも燻製されていて美味しかったのは確かなものの「これを毎日食べていたら病気になる」と思いました。
翌日、二郎インスパイヤの「バリ男」さんにも行きました。背脂がこれでもかと乗っていて、小ラーメンなのにすごくボリュームいっぱいでとても美味しかったんですが、やっぱり毎日食べていたら病院送りだと思いました。
東京という町は独身男性がとても多い街だから、こういうヒステリックな味の外食産業が大人気になるんだろうなと思いました。ラーメン一つとってしても東京は狂った街なんだなと思いました。(バリ男さんはとても美味しかったです。僕も家系は全体的に大好物で、もしもこの世に生活習慣病が無かったら家系ラーメンも二郎系も毎日食べたいと思っています。)
ラーメンだけでなく、東京のような独身者が多い大都会から発信される生活スタイル・文化・創作のようなものも、どんどん極端になっていくのかもしれないなと思いました。
・秋葉原中央通りにて
私は末広町から秋葉原中央通りを南下しました。道中にAOKIがあり、やっぱり普通の街になってきているなと感じました。ドンキホーテもあって、何だか秋葉原が田舎臭くなっちゃったと勘違いしました。しかし、その時は忘れていましたがそれはAKB劇場があるドンキで、昔私が秋葉原に行った時「やっぱり東京は大都会だ!」と思った店でした。なぜ気づかなかったというと今は劇場がリニューアル中ですし、ドンキにAKBの広告が垂らしていなかったからです。ドンキは業績を拡大して全国区になり、特に東海はユニーという地場スーパーを買収したのでドンキだらけなのです。
昔は「アキバといえばドンキ、ドンキといえばAKB」だったのですが、ドンキはすっかり地方のファスト風土に適応する一方でAKB48という名前を聞く事はまれになり、栄枯盛衰を感じます。
道中のホビーショップに何軒か入りましたが、それらの店の売り物はほとんどフィギュアのようでした。光東電気や愛三電気のように特殊な電球や電気ケーブルなど専門的な電器店もありました。歩道や店内はとにかく外国人観光客が一杯で歩きづらかったです。あまり興味を持てないまま秋葉原駅の方に行き、ヨドバシカメラマルチメディアAKIBAに行き、ちょうど携帯電話の充電ケーブルを忘れてしまっていたので買いました。品揃えは物凄く沢山あったのですが、値段自体は別に秋葉原だからといって別にバカ安いという訳ではないんだなと思いました(ケーズデンキ等と同じ程度の価格でした)。
その後、駅周辺をさまよっているとガード下に物凄くマニアックな電気製品を売っている通りを発見して、後で調べたところラジオセンターでした。ラジオセンターでは訳のわからない電気抵抗とか戦後すぐの真空管ラジオのようなアンティーク商品が沢山売っていて楽しかったです。
周辺のビルにはBL漫画の看板が垂れ下がっていました。次に私はラジオ会館に行きました。ラジオ会館は建て替えられたので昔の思い出とは違っていて、まるで北九州のあるあるCityのような大きくて綺麗な建物になっていました。中はフィギュア店ばかりで電器の専門店が数件。客は外国人観光客と若いオタクの男性・女性がそれぞれ3分の1ずつでした。私は秋葉原の街を歩きたくなくなったのでここで調査を終えました。アトレ秋葉原でガールズバンドクライのポップアップショップをやっていて、秋葉原駅にはアズールレーンの広告が沢山ありました。
・秋葉原の夜
翌日、私は高速バスの出発直前になって「もっと秋葉原を調査しないといけない」と思い、既に夜9時でしたが秋葉原に戻りました。私は中央通りから1本西側のツクモとコトブキヤの通りに行きました。すると、コンカフェ嬢の客引きがわんさかと、ざっと20人は通り全体に立っていました。秋葉原全体だと50人程度いたんじゃないかと思います。みんなメイドの格好をしていましたが、一人だけバニーガールの格好をしていてかわいそうでした。
すでに9時だったのでPCのジャンクパーツショックもオタクショップも全部閉まっていました。しかし、飲食店・居酒屋・東京レジャーランドのようなゲームセンターは開いていました。かろうじてCOMIC ZINは開いていましたが、売り場はコンビニよりも狭かったです。秋葉原駅に帰るとラムタラが開いていて、中に入ると地下一階全体がアダルトゲームコーナーでした。私は秋葉原にやって来て初めて秋葉原らしい店に入ったなと思いました。2階以上は普通のアダルトショップで、すぐ閉店時間になってしまいました。巨大な免税店のダイコクドラッグを背にして、私はジョナサンで晩飯を食べて帰りました。ジョナサンも、スターバックスも、磯丸水産も、やっぱり秋葉原らしくねえなあと思いました。
・秋葉原とアイドル
秋葉原を歩いていてわかったのは、意外と秋葉原とアイドル文化は関係が無いという事でした。もちろん秋葉原にはAKB劇場やディアステージがあるし、でんぱ組もデビューした訳です。が、アイドル自身にとってはあくまでも色んな街のライブ会場や最終的には大きいコンサートホールでライブする事が目的なわけです。大事なのは歌やハコやファンな訳で、秋葉原という土地自体はどうでもいいわけです。そこが自分が勝手に思い描いていた秋葉原像と違う所だと感じました。
・秋葉原は風俗街化した?
秋葉原を歩くとコンカフェの客引きがわんさか立っているので、この光景を見て「秋葉原は風俗街化した」と言いたくなる人がいてもしょうがないかなと思いました。でも私の考えは少し違います。まず、にゃるら氏が言われるように秋葉原には昌平小学校があるので店舗型の風俗店はありません(秋葉原裏の歩き方 p187)。コンカフェといっても、酒を飲むだけのガールズバーと同様の物なので何ら性的な事はしません。秋葉原のデリヘル店を調べても、秋葉原55・池袋209・品川88・渋谷147で特に多くはありません。新宿歌舞伎町や鶯谷のような本物の風俗街とは違います。なので私は秋葉原は風俗街化したんじゃなくて、ビジネス街でガールズバーの多い街、例えば新橋化したんじゃないかと考えています。
それと同時に、秋葉原には先述のラムタラ・エムズ・ムーランのようにアダルトグッズやアダルトDVDを売っている店も多いようです。また、「アキバコム」と「ヒロイン特撮研究所」のように非常にマニアックなアダルトショップもあり、これは秋葉原独自かなと思いました。
・秋葉原の歴史
戦前の秋葉原は青果市場がある平凡な町でした。戦後、アマチュア電子工作好きや軍の通信兵が自作ラジオを売っていて、その部品をヒロセムセンやヤマギワや米軍のジャンクパーツから調達していたので、秋葉原に露天街が出来たそうです。それが秋葉原電気街の始まりでした。その後GHQが立ち退きを迫り、山本長蔵がGHQと交渉して秋葉原ラジオセンター等のガード下の店が出来たそうです。
1980年代からは総武線南のエディオン・ラオックス・オノデンがある辺りを中心に家電の街として栄えました。そして90年代からは中央通りの1本西側の通りを中心にパソコン専門店やパーツ屋が集まりだし、その結果90年代後半からは「アキハバラ電脳組」が放送されたように秋葉原が徐々にオタク的になりました。しかしあくまでまだ秋葉原はコンピュータの街であり、漫画好きのオタクはまだ秋葉原に集まっていません。90年代末までは海洋堂が渋谷にあったので渋谷にオタク街の雰囲気があり、神田神保町古書店街も無論そうでした。
01年のキュアメイドカフェの創業、05年の電車男とAKB劇場の創設を経てアキバブームが発生し、秋葉原はオタクの街になりました。その一方で2006年の秋葉原UDXを皮切りに駅の東側が再開発エリアになり、2010年代を経て秋葉原はビジネス街化が進んだといわれています。秋葉原駅周辺の無個性化もこの頃からでしょう。
・変わる秋葉原
それを経て2024年現在、秋葉原がどうなっているのかを私は確かめに行きました。実際、秋葉原駅周辺やヨドバシカメラ周辺は街並みが本当に無機質でまるで秋葉原らしくありませんでした。が、前述のラジオセンターや中央通り西の怪しい店など結構残っていまして、「いうほどビジネス街になっていないな」というのが正直な感想でした。
閉店した店も確認してみました。まずは何といってもとらのあな。私は秋葉原に土地勘が無いので、私にもわかる範囲の物を順不同で列挙していくと、アキハバラデパート・サトームセン・石丸電気・ホワイトキャンバス・セガ(事業売却でGIGOに)・ラオックス(免税店化)・アソビットシティ・メッセサンオー・三月兎・PC NET・T-ZONE・モンスターズラボ・フレンズ・マッド・古炉奈・キッチンジロー・シャッツキステのような店が閉店したようです。また、マリカー・絵画商法・JKビジネス・脱法ハーブ店・違法パーツ屋・おいも屋本舗など、もともとグレーゾーンな店も閉店を余儀なくされたようです。これらは時代の流れなので仕方ないでしょう。全体的な傾向として秋葉原は過激でマニアック街からAOKIが建っているような平凡な街に実際変化しているようです。
秋葉原の衰退に関して、店舗の閉店というわかりやすい出来事よりも、残った店舗の質的な変化の方が深刻かなと思います。どこに行っても目につくのフィギュアばっかり。フィギュアは外国人観光客狙った商品かもしれません。あるいは同人誌の購入が電子版や通販になったり、PCパーツも通販になって売れなくなったので、利幅の大きいフィギュアを売っているのかもしれません。現在のオタクの欲望が創作物からフィギュアや推しのグッズのような物理的なものに変化したのかもしれません。何にせよフィギュアに興味がない人は秋葉原に行く意味が薄れました。よりわかりやすい方へわかりやすい方へ行っている印象を受けました。
・秋葉原の原点回帰
秋葉原の街を歩いてもう一つ気が付いたのが意外と電器系の店が残っているという事です。ラジオセンターもそうだし、専門的な電気屋やPCパーツショップもそうです。私は「秋葉原は電気街へと回帰しはじめている」と考えました。どういう事かと言いますと、秋葉原の合羽橋化です。合羽橋は飲食関係の問屋街で、基本的にプロ料理人向けの街です。それと同様に、秋葉原という街全体が電気工事会社や電気系の学生にとっての「合羽橋」になっているのではと考えました。彼らは仕事として秋葉原に部材を買いに行くわけで、オタク街の秋葉原が無くなってもそういうビジネスユースの需要は残るわけです。なので、今後の秋葉原がもしもビジネス街化してオタク街では無くなってしまっても、電気街の要素は残るんじゃないかと感じました。今よりも小規模になった秋葉原に電気店が点在するような、そういう街になるかもしれません。あるいは地価の高騰で電気店も散り散りになって全部オフィスビル・マンション・複合商業施設になる可能性もあります。
・消える秋葉原
昔、森川嘉一郎の「趣都の誕生」という本がありました。その本の中では「秋葉原はオタクの自室が街に漏れ出してきたような「個」の意識によって生まれた街だ。渋谷やお台場のような町が商業(民)によってデザインされているのとは違う」と書かれていました。建築というものは巨大で建造費も莫大なので、普通はモダニズム建築とかポストモダン建築とか何らかの建築思想を込めて建てられるものですが、秋葉原のビルは窓が無くてシェルターのようで、そこに幼女の巨大なポスターを垂らす異形のビル群になっていました。それを森川は「趣都」だと言ったわけですね。
そして2024年の秋葉原はどうなったのでしょうか。秋葉原UDXも富士ソフト秋葉原ビルもモダニズム建築そのものです。住友不動産の「民」主導の再開発によって、どんどん「個」の街が消えています。
かといって昔の秋葉原の光景が消えた訳ではなく、GIGO周辺の街並みを見ると昔の秋葉原っぽさも残っています。そういう光景を見た私の頭に思い浮かんだ単語は「半壊状態」でした。まだ街としては死んでない。でも建物は結構残っているけど通行人や売り物が半分変わってしまいました。オノデンとパセラ周辺が再開発されたら崩壊もますます進むでしょう。結局「趣都」なんて出来ませんでした。森川は「オタクの自作精神・同人精神はアメリカのDIYムーブメントやヒッピームーブメントにつながる」と言っていましたが、そういう精神は秋葉原から失われてインバウンドの「お客様は神様です」精神になりました。
再開発・アキバブームやメイドカフェブームの終了・オタクの質的変化・コロナ禍・インバウンドの増加等を経て、秋葉原という街は2005年から少しずつ変わっていきました。本来なら女性オタクの増加によって秋葉原はもっと女だらけの街になっていただろうと思います。しかし東京は池袋があるので、女性オタクがそちらに吸い取られて、秋葉原は比較的昔の姿が残ったのかもしれません。その代わり、現在の秋葉原は外国人観光客向けの街になったんだなと思いました。伝聞ですが、円安を背景にレトロゲームやフィギュアも外国人に根こそぎ買われて価格が高騰していると聞きます。
私の未来予測として、今後秋葉原は10年ぐらいの長いスパンで衰退していくとは思います。しかし、名古屋・大阪・福岡のような地方都市にもオタク街・電気街はあるわけで、さすがに秋葉原全体が雲散霧消するという事は考えづらく、名阪福より少し大きいオタク街ぐらいで下げ止まるとは思います。交通の便が良すぎましたね。秋葉原が中央線沿いにあれば良かったかもしれません。
学生の頃の私は、その気になればいつでも秋葉原に行ける関東在住の人を心の底から羨ましく思っていました。シュタインズゲートをプレイした時も、岡部倫太郎に対する嫉妬心でいっぱいで、苦しみながらゲームをしました。あのゲームは東京に住んでいる人が東京の人たちだけに向けて作ったゲームだと感じました。オタクを題材にした作品にはAKIBA'S TRIPやデンキ街の本屋さんのように秋葉原ばかり登場します。そうした作品に触れるたび地方民のオタクは心の中で少し疎外感がありました。
ですが今の私はそのような事は思っていません。現在の秋葉原がこのような状態でしたら、三重県に住んでいる私としましては大阪日本橋に行ければ秋葉原には行けなくても別に構わないなと思います。るるぶを読んだ事はありますか?2023年のるるぶ東京では秋葉原はなんと谷根千の次に紹介されています。今の日本人にとって秋葉原の観光地的価値は谷根千以下なのです。
女性オタクの方にとっても、池袋と比べて秋葉原が勝る箇所は無いと思います。関東在住の男性オタクの方にとっては他に代わりとなる街が無いので、今後も秋葉原は大切なオタク街であり続けると思うんですが、再開発の進み具合によっては全く予断を許さない状態になるでしょう。
↑2008年という早い段階で「再開発によって消える秋葉原」を描いた変わった作品です。当時、オタクは表現規制によってオタク文化が無くなる事は危惧していましたが、まさかオタク自体の変質・再開発・外国人観光客・池袋との競争などの理由で秋葉原が無くなるとは全く予想もしていませんでした。それほど秋葉原の存在感は圧倒的でした。
・参考文献
『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』 森川嘉一郎 幻冬舎 2003年
『秋葉原 裏の歩き方』 にゃるら 彩図社 2018年
『秋葉原、内田ラジオでございます。』 内田久子 廣済堂出版 2012年
『アニメオタクの一級建築士が建築の面白さを徹底解剖する本。』NoMaDoS 彩図社 2024年
『ニッポンを解剖する!東京図鑑』 JTBパブリッシング 2016年
『るるぶ 東京'23』 JTBパブリッシング
『アキハバラ無法街』 杉村麦太 秋田書店 2008年
『デンキ街の本屋さん 1~3巻』 水あさと KADOKAWA 2011年~2012年