オタクの歴史のまとめ そして未来

 お久しぶりです。オタク史の総まとめとしてオタクを世代分けし、将来の展望を書きます。今回は岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』(2008年 新潮新書)を参考にしました。岡田斗司夫氏は最近はYoutuber化しているので若干軽んじられているように感じていたのですが、この書籍を再読して氏の頭脳明晰さを再認識しました。オタクに関する名著だと思います。

↑この本の元となった講演です。

・オタク世代論
 まずは岡田斗司夫のオタク世代論を見ていきましょう。
①オタク原人(1950年代生まれ、当時50代)
 SF界・アニメ界の長老クラス。オタク的特徴は少ない。理由は1970年代に若者だったので、当時はオタクに限らず全員ファッションに興味が無かったから。
②オタク第一世代(1958年~60年代生まれ)
 岡田斗司夫世代。テレビっ子で70年代に10代、80年代に20代だったので世間にオタクという言葉が浸透しておらず、世間からの目が厳しくなかったので何となく育ちが良い。
②オタク第二世代(70年代生まれ)
 80年代末~95年に青春を送った世代。連続幼女誘拐殺人事件や宅八郎の影響でおたくという概念が一般に浸透し、差別された苦い経験を持つ。オタクをスティグマとして問題意識を持ち、世間に理解してほしい願望を持っている。
③オタク第三世代(80年代中盤以降生まれ)
 生まれた時から最高品質のオタク向け商品に囲まれ、コンテンツの進化を経験していない世代。オタク文化に疑問を持たず、消費者として育ったのでクリエイター志向が少なく、熱さが無い。

"生まれながらの「オタク文化の消費者=金をむしられるだけの存在」であることこそ、オタク第三世代の問題なのかもしれません。

『オタクはすでに死んでいる』80p

以上が岡田のオタク世代論です。

 また、その他にもオタク史について興味深い指摘がありましたので、箇条書きで紹介します。
・1980年代、オタクは世間から全く認知されていなかったため、マンガ好き・アニメ好き・ミリタリー好き・鉄道好きのような各種マニアが集まって、自分たちはオタクだと相互に認め合っていた。しかし、2000年代の萌えブーム以降、「萌えがわからない者はオタクにあらず」とオタク達が狭量になっていった。また、森川嘉一郎のような評論家や各種マスメディアの報道も「オタク=萌え」としか扱わなかった。
・オタクは周囲から「あいつは暗いからオタクだ」と押し付けられたレッテルだった。オタクは仲間意識によって自分の専門じゃないオタク分野でも必須教養として学んでいた。それも00年代頃から無くなっていった。岡田はオタクを擁護するためにオタクは賢いと主張していたが、00年代からオタクはバカになった。
・オタクが「俺はオタクだ」と自認したり差別を跳ね返すには、努力して教養や知識を身に着ける必要があった。00年代からは自分が好きな作品だけ好きなオタクの時代が始まり、オタクとしての共通文化が死んだ。これが「オタクはもう死んでいる」という事である。
・日本で漫画文化が栄えたのはコミケが発表の場として存在したから。
・唐澤俊一によると、2000年代には民主党議員の方がオタク擁護派が多かった。(『オタク論!』岡田斗司夫・唐澤俊一 170p 創出版)
 以上です。私は萌えオタクなので15年前にこの本を読んだときは反発心があったのですが、改めて読み返すと岡田が言いたかった事が逐一納得できます。オタクはもう死んでいるというより、オタク文化の終りの始まりが00年代中盤に起きていることを岡田は感じ取ったのでしょう。
 (補足の補足なんですが、アイドルオタクは80年代にはオタクの一種として扱われていたようなんですが、00年代の萌えブームで当時のオタク界から取りこぼされたようです。)

<寄り道コーナー>
 ここでオタクの世代分けを研究する前に日本人全体の世代分けをおさらいしておきましょう。
・団塊の世代 1947年~1949年 76~74歳
 呉智英 46年生。荒俣宏・安彦良和 47年生。糸井重里 48年生。24年組  ・村上春樹 49年生。
・しらけ世代 1950年~1964年 73歳~59歳
 押井守 51年生。米澤嘉博 53年生。岡田斗司夫・みうらじゅん・大塚英志 58年生。庵野秀明・中森明夫 60年生。宅八郎 62年。
・バブル世代 1965年~1970年 58歳~53歳
 湯浅政明 65年生。大槻ケンヂ 66年。伊藤剛・細田守・伊集院光 67年生。本田透・小山田圭吾 69年生。
・氷河期世代 1971年~1982年 52歳~41歳
 東浩紀 71年生。新海誠・平野耕太・那須きのこ 73年生。熊代亨 75年生。ひろゆき 76年生。宇野常寛 78年生。
・プレッシャー世代 1982年~1987年 41歳~36歳
 山田尚子・長島雄一郎 84年生。しょこたん・成田悠輔・古市憲寿 85年生。大川ぶくぶ 86年生。
・ゆとり世代 1987年~2004年 36歳~19歳(長いので26歳で切ります)
 田中将大 88年生。米津玄師・上坂すみれ 91生。芥見下々 92年生。粗品 93年生。えなこ・にゃるら 94年生。
・Z世代 1997年~2012年 26歳~11歳
 諸星すみれ(声優) 99年生。ta1yo(プロゲーマー)  00年生。MAKO(アイドル) 01年生。
<寄り道コーナー終了>

・元オタの新オタク世代論
 それでは、岡田のオタク世代論を下敷きにして、元オタが2023年までのオ新しいオタクの世代分けを行ってみました。ただし岡田は自分より年上の世代をオタク原人としましたが、それは少し我田引水かなと思いますので私はオタク原人をオタク第1世代とします。なので岡田の論とは1世代ズレます。世代論は生年ではなく時代で分けたいと思います。その当時10代後半~20代ぐらいの人がその世代だと想定して書いています。

①1974~1979 オタク第一世代
 長老の世代。まだオタクという言葉が存在しない時代に既にオタクだった。SFファン主体で他に漫画ファン・アニメファンなどの集合体。知的エリートで活字に権威があった時代の人。しらけ世代だがまだまだ政治的熱意がある人たちでもあり、泰然自若としている。念のためミリタリー・鉄道・模型などはそれこそ戦前から続いているいわばオタク第0世代の趣味である事に注意。しらけ世代前半に該当する。例:米澤嘉博。
②1980~1988年 オタク第二世代
 クリエイターの世代。オタクという言葉が生まれコミケが本格始動し、オタクが若者のカルチャーだった時代。この時代はガンダムやスターウォーズなど映像SFが強い。パロディ・ロリコン・やおいもこの頃から。この世代は明るい。根底に80年代的な「明るく楽しくなくっちゃね」という意識がある。ネットが無いので情報収集したり同人作品を作るのに社交性・協調性も必要だった。後のクリエイターを生み出す母体となった時代。しらけ世代後半~バブル世代前半に該当する。例:庵野秀明。
③1989年~1999年 オタク第三世代
 バッシングの世代。前半は連続幼女誘拐殺人事件のせいでオタク文化は低調。後半からはエヴァンゲリオンなど名作が次々生まれ、オタク文化の一つの山になる。この世代はバッシングを受けたのでオタクである事を自己弁護する必要があり、オタク評論家の時代になった。またこの時代に「俺はオシャレだからオタクじゃない」と主張する人々が現れ、オタク派とサブカル派・ボンクラ派の対立が生まれた。渋谷系など90年代はサブカル黄金時代でもあったと言える。オタク第三世代はオタクバッシングやバブル崩壊後の世相もあり、どことなく暗さと真面目さを感じる人々である。バブル世代後半~氷河期世代中盤に該当する。例:東浩紀。
④2000年~2010年 オタク第四世代
 萌えの世代。電車男などマスメディアでオタクがブームになり、オタクにユーモラスな印象がついた。オタク=萌え・アニメオタクというイメージがつけられた時代。インターネットが本格的に普及し、匿名掲示板の影響力が強く、知識が無くてもコミュニティに入れなくてもオタクになれるようになった。前半はアダルトゲーム、後半はライトノベルが人気コンテンツだった。
 私、元オタは第四世代にあたるが、この世代はネットが一気に普及したのでネットで作品を発表する人も多く、岡田が言うようにクリエイター志向が弱まったとは思えない。しかし、一気にオタクの裾野が広まったので「浅い奴・無知な奴」は多くなったのは事実だろう。実体験として第四世代はダメ人間共が深夜アニメやゲームを通じてダベっている印象がある。第四世代はネット的なおバカな明るさを感じる世代だ。氷河期世代後半~プレッシャー世代が該当するが、これ以降はネットの時代になったので年齢はあまり関係無くなっていく。第4世代以降は氷河期世代~ゆとり世代までまんべんなく該当すると考えた方が良いかもしれない。例:しょこたん。
⑤2011年~2019年 オタク第五世代
 推しの世代。震災等による社会不安が原因かもしれないが、この時期にアイドルブームが発生しアイドルオタクがアニメと並ぶオタク文化の二大中心地になる。アニメでもアイドル物がブームになったりソーシャルゲームが普及するなど、特定のキャラを応援するのがオタクの基本姿勢になり、萌え文化は推し文化に取って代わられた。また「君の名は」などアニメ映画が特大ヒットになり一般人のオタク化が着実に進んだ。第5世代後半にはオタクへの偏見は全くなく、徐々にオタク文化が日本の誇りになっていく。第5世代からは女性オタクが前面に出るようになり、相対的に男性オタクは影が薄くなった。
 過去の世代のオタクは「自分だけ作品の良さが分かれば良い」という自己本位の世界だった。しかし第五世代からは「誰かを応援するからオタクなんだ」という相手本位の活動に変化した。これはまさにコペルニクス的転回で、こうしてオタ活が応援主体の文化になったからこそ社会に受け入れられたのだろうと考える。だが、その代償として「オタクだから知識が無ければいけない」という共通認識が完全に失われ、どれだけ推しに金を使うかが偉さにつながる拝金主義の世界に突入した。
 この時代はSNSが普及したので、SNSを通じてオタ仲間とつながるようになった。その結果、オタク活動に限らず他人との距離感に苦しめられる時代になった。印象論で申し訳ないが、第5世代は冗談が通じない人々という印象がある。例:特になし。第5世代は「応援」なので自分が主体にはならない。
⑥2020~現在 オタク第6世代
 コロナ禍で全国民が自粛を余儀なくされる中「鬼滅の刃」が空前のヒットとなった。この時代オタクの割合が40歳以下のおよそ半分にまで達した。よって、もはやオタクが何か特定の特徴を持つ集団を表す言葉では無くなってしまい、「オタク」という概念が消滅しつつある世代である。この世代のオタクは普通の人、それに尽きる。日本人ならアニメ映画を見て、ソシャゲをやって、スポーツの日本代表を応援するという、普通の人の生活としてオタクをやっている人。オタクという言葉にプラスのイメージがある世代で、「オタク=社会不適合者」という定義は消滅した。例:あなたの周囲にいる普通の人。

 これが私の考える6つのオタクの世代です。気を付けてほしいのは、世代が変わっても上の世代は消滅せずにそのままスライドするという事です。オタク文化・ネット文化は氷河期世代の影響力が大きい文化です。2010~20年代が推しの世代と言っても、リメイク作などで上の世代を狙った作品は沢山出ています。時間が経つにつれ世代が重なっていくようなイメージです。

・総まとめ
 「コミュニティの一生のコピペ」というものがありますが、オタク文化というものは、そのコミュニティの超巨大版だったのかもしれません。
 頭の良い人が旗振りして、クリエイティブな人が集まってくる。外部からの攻撃・内部での対立が起き、消費者根性の人やただ騒ぎたい人達が集まってくる、最終的には一般人が大挙してやって来て、コミュニティは消滅してしまう。
 それがオタク文化の歴史だったのかもしれません。
 ただしオタク文化はコミケ・ゲーム・ネット・アイドルなど次々と新しい媒体が生み出され、そのたびに新たな「面白い人」がオタク文化になだれ込んで来ました。その結果、50年もの長きにわたってオタク文化は天才の山と言えるほど大量の名作が生み出されてきたのでしょう。

・オタキングのオタク批判
 岡田斗司夫は著書のラストで、なぜぬるい萌えオタクが増えたかという問いに対して、日本社会全体が変質したからだと説きます。日本人は自分の気持ち至上主義になった。平成不況の影響で大人になっても損ばかりになり、楽して子供っぽく得して生きるのが賢い生き方になった。日本人が幼稚になったからオタクが増えたのだと解説します。(『オタクはすでに死んでいる』8章159p~181p)
 オタキング自身がこんなに強烈な日本社会批判・オタク批判をするなんて、私はこの箇所を読んで驚愕しました。特に不況がオタクを産んだという分析は、私のオタク論と重なる部分があり、報われた気持ちになりました。
 金が無いから結婚できない。労働から疎外されている。自己肯定感を得られない。だからオタ活をして美少女やイケメンに癒してもらう。アイドルを応援して生きている実感を得る。なれば、オタクがここまで普及した背景には病魔に侵された日本社会の姿があるのでしょうか?

・終章 オタクの未来
 最後にこれまでのオタク文化の流れを踏まえて、今後10年程度のオタク界で起きそうなシナリオを考えてみます。

シナリオ① 日本がオタク文化から捨てられる日
 日本市場のパイは失われた30年で縮小し、今後も少子高齢化によりますます縮小する事が予想されます。しかし、世界的にはオタク市場は急激に伸びています。そこから、今後作られるオタク作品のメインターゲットが日本国内から海外市場に移っていくのではないかと考えます。海外のポリティカルコレクトネス・中国市場の意向・イスラム教など様々な制約が課せられる事も予想されます。その結果、今後のオタク作品が日本人向けでない作品ばかりになり、ライブは海外中心になり、日本人がオタク活動を続けても何も楽しくないような状況になってしまうかもしれません。

シナリオ② 日本がオタク文化を輸入する日
 オタク業界は日本から世界にコンテンツを輸出するものと考えられています。しかし、現時点でもソシャゲは中韓・アイドルは韓国が強いです。将来に渡って日本がオタク文化の発信地である保証はなく、海外から優れたオタクコンテンツを輸入するようになるかもしれません。
 また、Vtuberがいくら大人気になろうが儲けの何割かはプラットフォーマーに奪われてしまいます。動画配信サイトでアニメを見れば見るほどお金がNetflixやAmazon Prime Videoに流れていきます。そうなると日本でオタク文化が栄えれば栄えるほど貿易赤字が増える最悪の事態になってしまいます。唐鎌大輔はこれを「新時代の赤字」と呼んでいます。 

シナリオ③ オタク文化が飽きられる日
 シナリオ①②とは逆に、世界で突然オタク文化が飽きられる可能性もあります。オタク文化は芸術の一種です。クラシック音楽・ジャズ・浮世絵・純文学。芸術のジャンルという物はいつかは廃れるか、伝統芸能になってしまう日が来るものです。いつかはオタク文化も廃れる日が来るかもしれません。ですが、オタク文化は日本にとって輸出産業であり、それ以上に世界が愛好してくれる貴重な日本文化です。もしもオタク文化が廃れたら、日本はアピール材料を失い、世界中から日本が忘れられてしまうかもしれません。 

シナリオ④ オタクがオタク文化から捨てられる日
 オタク文化は芸術であるともに、社会に馴染めない人・内気な人・コンプレックスがある人への救いの手でもありました。2023年現在、オタク≒一般人になっており、今後はますますオタク作品の内容が一般人向けになったり海外向けになる事が予想されます。例えばスラムダンクのようなスポーツ物の流行が挙げられます。そうすると、これまで悪い意味でオタクだった人たちが、もはやオタク文化さえも安らぎの地ではなくなり、社会の安全装置を1つ失ってしまう事になります。そうすると、これまでならオタクになっていたはずの人が「真夏の夜の淫夢」のような別のもっとアングラな文化に吸い寄せられてしまったり、インセルのような過激思想に染め上げられてしまう可能性があります。そうなれば我々は大きな社会不安に直面するでしょう

 以上、オタクの未来として4つの悲観的なシナリオを挙げました。いずれにせよ、日本市場の縮小と世界でのオタク人気の上昇により、今後はオタク文化の主軸が海外に移ってしまう可能性は高いでしょう。もしかしたら、数年~十数年後の「オタク海外時代」を「オタク第7世代」と呼ぶことになるのかもしれません。

 元オタクが語るオタクの歴史でした。