ヨルシカの歌に、青春を聴く
ちょっと長い話になる。
中学生の息子が『葬送のフリーレン』のマンガを12冊まとめて買ってきた。読み進めるうちに面白くなってAmazon Primeでアニメも見始め、シーズン2でヨルシカの『晴る』を聴くことになった。
ただ、家族で毎週新しい配信を観ていた段階ではイントロをスキップしてしまうので、ほとんど印象にはなかった。
しかしもう一人の小学生の息子は二度見する。そして繰り返し聴くうちに「ビイドロってなに?」とたずねてくるので、YouTubeで歌詞付きの動画を探してアニメPVのフルコーラスを聴くことになった。
すると、2番のサビの「さぁこの歌よ 凪げ!」というフレーズに、なにかグッとくるものがあって、久しぶりにギターで練習しはじめたり。
そんなこんなで毎週楽しみにアニメの配信を観ていたが、シーズン2が終わって少し経った頃、中学生の息子とけんかをしてしまった。
きっかけは些細なことだったのに、冷戦状態はそれから長く続くことになる。
いつの間にかiPodが膨らんでいた
車の中に入れっぱなしにしていたiPod nano(そんな製品があったことを覚えておいでだろうか)が、いつの間にか膨らんで爆発寸前になっていた。
たまたまダッシュボードの中の何かを探していて、運良く見つけたので大事には至らなかったが、危険な状態ではある。そして、ギリギリ動作はしていた。
中のデータはパソコンにコピーできたが、iTunesってどこにいったっけ?という状態で、iTunes Storeで購入した楽曲は救えなかった。
それでもmp3が数千曲あったので、車の中で使えるmp3プレイヤーを購入しようと探したけど、今はAndroidのスマホで十分。それをBluetoothでカーナビに接続すればプレイヤーを車内に放置する必要もない。
技術的な変化には隔世の感を感じる。
そして、それだけ新しい曲を車の中で聴こうとしてこなかった時間があるのだ、ということがちょっとショックだった。
救い出したmp3のファイルたちの中には中学生のころから聞いてきた洋楽ロックの曲から、21世紀以降のJ-POPまで詰まっていたけど、それもどこかのタイミングを境に止まっていた。
フィクションの中の中学生
ヨルシカの話に戻そう。
『斜陽』をOPテーマソングに採用している『僕の心のヤバいやつ』も、アニメを見始めてしまい続きが知りたくて電子版のコミックも買ってしまった。
コミック版の初期の作画は、ちょっと時代がかっていて"漫画チャンピオン”というテイストが感じられてよい。
陰キャ男子と学校一の美人のラブコメの何が楽しいのか?と問われると、うまく説明できないけど、つまるところ「青春」のドラマが楽しいのだと思う。(この8巻の図書室の背比べのシーンがとても良い)
カミさんにそんな話をしても、「失われた青春を取り戻したいんでしょう」とか「記憶の中の黒歴史を塗り替えたいんでしょう」とか、ひどいことを言われるが、そういうことじゃないんだ。
「青春」の中には、将来どんな自分になるのかわからない不安とか、誰と恋に落ち、結ばれるのか失恋するのかわからない不確実性があったり、いろいろと未確定な状況の中で、主人公や登場人物たちが期待し、失望し、成長していくところにドラマがあるから楽しい。
間違ってもオッサンの黒歴史を塗り替えたいなんて欲求ではないのだ。
『斜陽』はシーズン1の主題歌だけど、これもアニメ版ではなくフルコーラスを聴くと2番のサビがいい。
文字にすると、いまひとつ良さが伝わらないが、「斜陽も」の部分の歌い方が一番と違って、若い日の気が遠くなる黄昏感(なんじゃそりゃ)みたいなものが感じられてとても良い。
しかし、作品の中の目黒区の中学生と、リアルに一緒に住んでる中学生は相当違っている。息子は素直な子供で、反抗期なんてこないのかと思ってたら、突然にやってきた。
部活動でうまくいかないことがあるのか、交友関係か、勉強のフラストレーションか、ある日突然、大声で怒鳴り散らすことが起きた。彼が親に向かって大きな声を出した理由を探ってみても、手掛かりはなく、取り付く島もない。
歌詞に唐突な英語が出てこない
あれから、ヨルシカの楽曲をいくつも聴くようになり、mp3をダウンロードで購入するに至った。(Amazon Musicで聴けるのに。そのへんの理由は割愛する)
特に自分が気に入ったのは、メロディラインに乗せやすい唐突な英語の歌詞が出てこないところ。もちろんカタカナは出てくるけど、日本語訳がふさわしくない語か固有名詞だけ。
それでいて、耳に入ってきやすい音階とシンプルなバンド構成、ギターがちゃんとロックを歌い、ボーカルが切ない青春を奏でる。Stop the season in the sunしないのである。
例えば『ブレーメン』には、「レイドバック」とか「グルーヴ」という単語は出てくるけど、それは日本語にしようがないから全然違和感がない。
思い出せない青春と音楽
思い出せないのか思い出したくないのか、そういうのがわからないのもまた青春の特徴かもしれない。
『ブレーメン』の歌詞の中には、こんな部分がある。
視野が狭くなってしまったり、必要以上に自分を追い詰めてしまったり、そういう時が来るのも青春の特徴の一つだよな、と。
夢や希望を明確に追いかける思春期を過ごす人もいれば、未確定な自分の定まらなさ具合に解決できない気持ちを持て余す人もいる。
あるいは『だから僕は音楽を辞めた』では、好きで夢を追いかけて音楽ができるようになったのに、それが逆に自分の首を絞めているかのような表現が出てくる。
別に「青春」がいつもキラキラしてたり、情熱の汗が滴ってるとは限らないわけで、あの頃の気持ちの手触りが蘇ってくる。
中年のオッサンはいろいろな事がすでに確定していて、期待も不安も限定的で「音楽はしてない」。
でも、それが「いいね」と呼べるものではなく、むしろ思考停止になっていたに過ぎないのかもしれない…
若い頃に買い集めたジャズのCDからiPodに入れていた曲がたくさんあったので、モダンジャズを中心に5時間分ぐらいのプレイリストを作ったら、とてもいい感じ。
そういえば、高校生ぐらいのころはまだカセットテープのウォークマンで、プレイリストならぬ"マイベスト"みたいなテープを作ってたっけ。
フリーレンが流す涙
自分には青春時代が戻ってくるわけではなく、それが「いい」と思えるのは過ぎ去ったからなんだと、改めて思う。
『葬送のフリーレン』では物語の冒頭、勇者一行との旅が終わるところから始まる。
時が経ちフリーレンはヒンメルが死んでから、改めて一緒に過ごした時間を大切にしなかったと後悔の涙を流す(公式サイトに画像がありました)。
時間は一定方向にしか流れないから、すべてのことが形を変え、気持ちを変化させていく。ちょうど、膨らんだiPodみたいに、それは不可逆なもの。
でも、一部の音楽は移し替えることができて、90%ぐらいしか復元できなかったけど、SURF TRIPのプレイリストもできたし、仕事がはかどるモダンジャズのオリジナルプレイリストもできた。
ヨルシカの曲も個別に13曲ほどDL購入し、心地よく聴ける順番に並べ替えてみたり。
過ぎ去った青春を取り戻せるわけはなく、フリーレンのように新しい仲間と、また旅に出るのも悪くない。
雨に濡れた窓の向こう
中学生は足を負傷した。
期末テストで雨だし、ということで車で学校まで送る。
無言の車内。
雨の中で、すこし渋滞。ヨルシカの曲が流れると「あ、ヨルシカだ」と息子が久しぶりに口を開く。
「オレ、最近気に入ってて、ダウンロードしちゃったんだ。ヨルシカいいよな」
と、以前のように自分も普通に話しかけてみる。
「うん・・・変な英語の歌詞が出てこないところがいい」
車が止まっていてよかった。
走行音がないおかげで、小さな声だけど久しぶりに会話が成り立った。
「唐突な英語の歌詞は罰金モノだよ」
バックミラーに映った息子は雨に濡れる窓の向こうを見ていたが、少し微笑んでいた。彼はいま自覚のない青春の真ん中にいる。
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