連載「『公共』と法のつながり」第14回 校則――身近なルールから法の学習へ(下)
筆者
大正大学名誉教授 吉田俊弘(よしだ・としひろ)
【略歴】
東京都立高校教諭(公民科)、筑波大学附属駒場中高等学校教諭(社会科・公民科)、大正大学教授を経て、現在は早稲田大学、東京大学、東京都立大学、東京経済大学、法政大学において非常勤講師を務める。
近著は、横大道聡=吉田俊弘『憲法のリテラシー――問いから始める15のレッスン』(有斐閣、2022年)、文科省検定済教科書『公共』(教育図書、2023年)の監修・執筆にも携わる。
【5】校則の見直しから法の学習へ
「生徒指導提要(改訂版)」は,校則の見直しの際には,当事者である生徒自身がそのプロセスに参画し意見を表明したり,生徒会などで校則について議論する機会を設けたりすることを述べていました。そうであるなら,校則の見直しについて考える機会を授業や特別活動においても取り入れていくことは十分に認められることになるでしょう。そのときの学習の視点として,とりあえず次の3点をピックアップしておきます。
第1は,校則そのものの合理性を検討することです。校則をつくるには,その必要性や正当性を裏づける根拠が必要となります。何のためにこのような校則が必要なのか(校則の目的),その制定の背景や理由を明らかにしていくような学習に取り組みましょう。はたして校則の目的の合理性が認められるかどうか,意見交換をしながら複数の視点を持って検討し,その意味を吟味していくとよいでしょう。
第2は,校則を守らせる指導(目的を達成するための手段)が適切であるかどうかを検討することです。校則の目的の合理性が明確になったら,今度は教育上の目的を達成するための手段が適切であるのか,検討してみましょう。たとえば,髪型を指定することに教育目的が認められ合理的だと判断されたとしても,特定の髪型を強制するために教師が一方的に生徒の髪をカットすることは許されるでしょうか。目的と手段のバランスがとれているのかどうか(目的を達成するための手段が必要以上にやり過ぎていないかどうかなど)をめぐっても意見を交わしながら検討してみると,いろいろな発見ができるでしょう。
第3は,子どもの人権の観点から校則の問題を検討することです。もちろん,子どもにも憲法上の人権が保障されているのは当然です。さらに,子どもの権利条約には,差別の禁止(2条),子どもの最善の利益(3条),命を守られ成長する権利(6条),意見表明権(12条),表現・情報の自由(13条)などが規定されているのです(註8)。
そこで考えてみたいのが,校則によって生徒の髪型や服装が制約されている理由です。一般社会では,市民の髪型や服装については基本的に制約を受けることはありません。にもかかわらず,学校で生徒の髪型や服装を制約することが認められているのはなぜでしょうか。
この問いについては,さまざまな答えが想定されるでしょう。比較的多くみられるのは,子どもはまだ成長途上にあり未熟であることから保護の必要性が高く,それゆえ子どもの人権(自己決定権や選択の自由を含む)を制約することが許されるという見解です(註9)。未熟な子どもの利益や幸福を守るために子どもの自由を制約することが認められる(正当化できる)という考えはパターナリズムと呼ばれます。確かに,本人を保護するためにパターナリスティックな制約を加えることが必要な場面はあるでしょう。しかし,これまでは,大人と子どもの違いを当然視することで,あまりにも容易に子どもの人権の制約を認めてきたということはできないでしょうか。基本的人権の保障をめぐっても,大人には全面的に認められるのに,子どもには制約が認められるのは当然であると単純に割り切ってしまうのは妥当ではありません。この点,憲法研究者の佐藤幸治さん(京都大学名誉教授)が,子どもの成長には様々な発達段階があることをふまえ,「基本的人権の制約は未成年者の発達段階に応じ,かつ,自律の助長促進にとってやむをえない範囲にとどめなければなら」ず,「不当な自由制約の生ずることのないような十分な配慮が要求されるといわなければならない」(註10)と述べている点は傾聴に値する見解だといえるでしょう。
校則による生徒の自己決定権(選択の自由など)の制約は,多くの場合,パターナリズムにより正当化されてきたわけですが,このことを当事者である生徒の皆さんはどのように捉え,考えるのでしょうか。校則の見直しを考える際には,このような視点からの検討もふまえ,校則による自由の制約は,何のために,どこまで認められるのか,考察してみるとよいでしょう。このように見るならば,身近な問題である校則を取り上げることは,法教育の1つの領域として十分に成立するといえるでしょう。
また,子どもの人権の観点から校則問題を捉えるときには,子どもが発達途上にあるとはいえ,1個の人格を持った人間であることが教師によって承認されていなければなりません。このことは,「子どもと相対する教師自身が,相手を自分と対等なコミュニケーションの相手方として承認すること」(註11)を意味します。そのことをより具体的に述べるなら,児童会・生徒会,クラス討議,保護者会などの機会を通して,生徒同士のみならず,教師と生徒,保護者も加わっての対話(コミュニケーション)を進め,校則の見直しが進められていくことが大切です。学校側には,校則見直しのためのコミュニケーションを行うにあたり,このプロセスの手続的な保障が求められるでしょう(註12)。
【6】半世紀も前の高校生が「服装自由化」に取り組んだこと
第13回と第14回は,身近な学校のルールを取り上げる授業案を紹介し,そこで身に付けた法的なものの見方や考え方をリアルな校則にも応用し,考察を深めていくようなアイデアを提案してみました。18歳成人という新しい局面に入ったことを受け,高校の校則や子どもの人権問題はこれまで以上に丁寧な検討が求められるようになったといえるでしょう(註13)。
本稿は,高校生が校則問題の当事者としてその意味を考えること,問題があるなら意見を述べる機会を学校が保障し,校則の制定・改廃を進めるための手続を整備することなどを述べてきました。このような提案を読者の皆さんは,どのように受け止めてくださいましたでしょうか。実は,ここで示したアイデアは,決して目新しいものではないのです。すでに半世紀も前の,当時のふつうの高校生が実際に取り組み,経験してきたことを現代の課題として捉え直し,再構成したものだったのです。
では,その半世紀前の実践とは,どの学校の,どんな取組みなのか。そこで紹介したいのが新潟県立柏崎高等学校の生徒会が1970年代に取り組んだ服装自由化の取組みです。
当時の柏崎高校は,1971年12月8日付け「柏高新聞」(127号)がアンケート調査をもとに「制服問題」を特集するなど,制服着用をめぐる賛否が話題に上っていました。制服問題を皆で考える土壌はすでにあったのです。アンケートを見ると,1年生は制服を不必要とするものが多かったのですが,2・3年生は必要という回答の方が多く寄せられていました。また,保護者へのインタビューも制服自由化には反対という声が多数を占めていたのです。このようなデータをもとに,生徒会執行部は全校生徒の賛否は分かれており早急な解決はできないと判断します。しばらくの間,ホームルームの討議などに時間をかけ,意見を集約するとともに,保護者や教職員の理解を得るための努力を続けることにしたのです。
こうして1年以上の地道な取組みの後,生徒会執行部は,服装自由化の賛否を問う全校投票を実施する旨を伝えます。こうして実施された1973年1月24日の全校投票は,服装自由化案への賛成が65%を占めました。これを受け,執行部はただちに自由化の要望書を校長に提出し,学校としての判断を求めることにしました。学校側は,投票から半年後の7月4日,職員会議で服装自由化の方針を決定,校長は生徒会執行部にその旨を伝え,ついに7月20日,全校生徒に服装自由化を認めることを表明したのでした。
ふつうであれば,これで服装自由化に向けたすべての条件がクリアされましたので,2学期からはただちに服装を自由にしてもよさそうです。しかし,生徒会は急ぐことなく慎重に自由化への準備を進めることにしました。全校投票の結果は約3分の2の生徒が自由化を支持したわけですが,裏を返せば28%の生徒が反対の意思を示していましたし,保護者もやはり反対の意見が多かったことを考えると,2学期の始まる9月から一気に自由化を実施するよりも,もう少し時間をかけながら学校全体で服装自由化に対する理解を深めることがよいと考えたのです。そこで,2学期に入ると,ホームルームで「服装自由化に際しての問題点」をテーマに掲げ,議論が行われることとなりました。さらに,修学旅行中の私服許可,全校集会における校長訓示,保護者宛の文書の配布などが進められました。そして,このような取組みを総括するように,11月30日の生徒大会において「服装自由化宣言」(註14)が決議され,翌12月1日から服装の自由化が実現されるに至ったのです。
では,柏崎高校の複数年に及ぶ服装自由化の取組みをいかに評価すればよいでしょうか。教育研究者の登坂学さんは,50年も前の,この学校の取組みを研究テーマに選び,詳しく分析し,その成果を大学の研究紀要にまとめてくださっています。そして,当時の生徒会役員の声を拾いながら,次のようにその成果をまとめています。
他方,教育研究というよりも,法の学習という視点からその意義を問い直すとするなら,どのような点に注目したらよいでしょうか。私見では,校則の改廃問題に対し当事者である生徒の意見(賛否を含む)が反映され一定の合意に達したこと(対立と合意),教員集団や保護者が生徒の意見を大切に受け止めたこと(人格の尊重,平等,相互承認)があげられます。また,生徒による議論を通して制服制度の意義と問題点が明らかとなり,服装の自由化を支える理念や価値が確認されたこと(人間の尊厳,個人の尊重)もこの実践の成果ということができるでしょう。さらには服装の自由化へと至るプロセスにおいて生徒の意見がどのように反映されていたか(手続的正義)ということも法的な視点からすれば大切なポイントとなるはずです。
柏崎高校の服装自由化は,生徒会やホームルームを軸とした特別活動としての実践でした。ここには,社会科教育などとの深い連携を必ずしも見ることはできませんでしたが,このような実践を21世紀の現代版へとアップデートするならば,ルールや規範,法の意義などを学ぶ「公共」などの科目と連携しながら,校則問題の見直しについて取り組むことができるのではないでしょうか。そのようなことができるのであれば,「公共」における学習要素としては,次のような事項をあげることができるでしょう。
日本国憲法に規定される個人の尊重(自己決定権や選択の自由などを含む),1970年代には存在しなかった子どもの権利条約に規定される表現の自由,意見表明の権利などを取り上げ,これらが学校生活を営む中でどのような意義を持つかを深く考察することが求められます。実際に校則の制定・改廃に取り組む場合は,生徒の表現の自由や意見表明権を校則の制定・改廃のプロセスに適切に位置づけ,手続的な保障の意義と役割を理解することもあわせて取り上げることができるでしょう。この際,生徒がなお発展途上であるとしても,1個の人格を持った存在であることを教師もまた承認していることが大切です(註16)。生徒と教師の対話が成立するにはこのような相互承認が欠かせないからです。また,現代では,そのような校則改訂のプロセスに保護者が参加する見通しを立てられるかどうかも検討材料となることでしょう。こうしてみると,実体面と手続面の双方から校則問題に取り組んでいくことが大切な課題になることがわかります。
このように見てくると,学校のルールを分析し,評価し,改善策を考えていくような取り組みは,法的な見方・考え方を育み,それを活用しながら,実際に社会に関与していくことができるという点で,大きな可能性をもった実践であると評価することができるでしょう。「公共」などの教科学習において法関連の知識を身につけることはもちろん,特別活動とも連携しながら学校における民主的な自治の経験を積むことによって若者の社会・政治参加の能力が育まれていく可能性が高まってきているのです。
【7】おわりに:本連載を閉じるにあたり
いよいよ本連載を閉じる時がやってきました。最終回において50年も前に取り組まれた柏崎高校の「服装自由化」の実践を紹介させていただきました。こんなローカルの古めかしい取り組みを本プロジェクトで紹介するのは,少し場違いのような気がしないわけではありません。にもかかわらず,この実践を取り上げましたのは,何を隠そう,執筆者である私自身がこのときの柏崎高校の3年生として服装自由化のプロセスに参加してきた当事者であったからです。(とはいっても,私の場合,生徒会執行部の果敢なチャレンジを遠くに眺め,一番後ろからついていった1人にすぎないのですが…。)
服装自由化の初日(1973年12月1日),自分がどんな服を着て登校したのか,着用した服装を今でも鮮明に覚えているのは,やはり自身の人生においてインパクトのある出来事だったからでしょう。いま思い返すと,服装自由化をめぐるホームルームでの討議,全校生徒による投票,「服装自由化宣言」の決議,生徒の主体的な取組みを見守り受け入れてくれた教師集団や保護者の存在,これらすべてが生徒の自主自立の精神を育んでくれたのではないかという思いを強くしています。私が「法学部で学ぼう」プロジェクトに参加させていただき,このような連載を続けることができたのも,その始まり(原点)は,ここにあったのかもしれません。私自身が,日常の学習と社会との関係を意識したり,法について考えたりするようになったきっかけの1つが服装の自由化にあったのは間違いないからです。
* * *
それにしても,何とかここまで連載を続けることができたのは,熱心に読んで下さった読者の皆さんのお陰です。連載を閉じるにあたり,読者の皆さん,そして,毎回,丁寧に編集作業にあたってくださった有斐閣「法学部で学ぼう」プロジェクトのスタッフの皆さんにこの場を借りて御礼を申し上げます。長い間,ありがとうございました。
【「公共」を教える・学ぶための参考文献――ルールづくり・子どもの人権・校則を中心に】
●ルール・校則をめぐる教育論からのアプローチ
法教育推進協議会『はじめての法教育Q&A』(ぎょうせい、2007年)……ルールづくりに関する授業例を紹介した最も初期の一冊。法教育委員会とその後継組織である法教育推進協議会が示した授業プランが解説付きで載っています。指導プランの中のコメントをもとに読んでいくと,教材指導のポイントがつかめるようになります。
内田良=山本宏樹編『だれが校則を決めるのか――民主主義と学校』(岩波書店、2022年)……校則問題をトータルに把握するうえで有益な1冊です。本稿では触れることができませんでしたが、校則を決定・運用する教師の意識,実際に校則がどのように運用されているかを理解するには鈴木雅博「校則を決定・運用する教師たち」,校則の国際比較などを通して校則の意義を考えるためには大津尚志「自由と相互尊重のルール」を読まれるとよいでしょう。校則の目的を考える際には国際比較の視点はきわめて有益です。
登坂学「校則制定・改廃に果たす特別活動の意義と可能性に関する一試論」九州保健福祉大学研究紀要23号(2022年)……タイトルの通り,校則の制定・改廃において特別活動はどのような意義を持つのか,その可能性も含めて考えることができる論考です。校則の課題を掴むための材料も豊富に示されているため「公共」の学習において参考文献として活用することをお薦めします。オンライン上でも読むことができます。
●校則・子どもの人権をめぐる法学からのアプローチ
遠藤美奈「校則――排除しないルールへ」法学教室518号(2023年)……校則に関わる法的問題が的確かつコンパクトにまとめてあります。「排除」「包摂」「相互承認」などのキーワードを軸に読み進めると,何が大切なのかが見えてくるのではないでしょうか。授業づくりだけでなく,特別活動を含む学校運営の全般に有益な視点が紹介されています。
木村草太「校則問題への法的対処」書斎の窓682号(2022年)・「制服の法的位置づけ――歴史と意義から考える」書斎の窓683号(2022年)……682号論文では、「校則」を取り上げ、校則裁判の傾向を分析したうえで、契約論と平等論からのアプローチとその意義を検討しています。また、683号論文では、制服が現代社会にも残っている理由や意義について歴史的に分析し、制服をめぐるトラブルについてどのように考えるか論点を整理しています。いずれの論考も校則と法の関係を「公民」の授業で取り上げたり、実際の生活において考えたりするときの法的な視点を示してくれます。
星野豊「『校則』に基づく生徒指導の法的性格とその評価」月刊高校教育51巻3号(2018年)……民事法学や新領域法学の研究者である著者が、「校則」に基づく生徒指導の法的性格について解説を行っています。法的な観点から分類した「校則」は、「学校によって定められた生徒指導の具体化ないし定型化」という性格と、「学校と児童生徒ないし保護者との合意」としての2つの性格があり、現実の局面ではこの両方の性格が混在し議論が混乱するおそれがあることに注意を向けています。
佐藤幸治『現代国家と人権』(有斐閣、2008年)……憲法研究の大家によって書かれた論文集です。同書の中の「Ⅴ 子どもの『人権』」「Ⅵ 子どもと参政権的権利」は,従来,必ずしも十分に取り上げられてこなかった「子どもの人権」に焦点を当てています。「公共」の授業を構想する際に,「国民主権と未成年者」(213頁以下),「人権保障と未成年者」(224頁以下)は大切な視点を提供してくれます。
堀口悟郎「18歳成人と『子どもの人権』」憲法理論研究会編『多様化する社会と憲法学』(敬文堂、2023年)……成年年齢の引下げによる18歳成人の実現を受け,子どもの人権における「自律」と「保護」をどのように捉えたらよいかを論じています。従来,あまり触れてこなかった領域について積極的に切り込み,課題を明らかにしてくれる論考です。
結城忠『青少年の政治的基本権と政治参加――日本とドイツ』(信山社、2023年)……日本とドイツの生徒法制、とくに学校における生徒の法的地位と政治活動を比較・分析する本格的な研究書です。政治教育をめぐる法的な論点を1つひとつ丁寧に分析しており、大いに参考になります。本稿との関係でいえば、第Ⅲ部 第4章「主権者教育政策の憲法・学校法学的評価」(170頁以下)を参照してください。学校における生徒の法的地位や生徒会活動についても法的な視点から分析が加えられており、授業や特別活動などを進める際の手がかりを得ることができます。
【註】
8. 付言すれば,2022年制定のこども基本法の基本理念(3条)には,すべてのこどもが個人として尊重されること,自己に直接関係する全ての事項に関して意見を表明する機会が確保されることなどが規定されています。
9. 登坂学「校則制定・改廃に果たす特別活動の意義と可能性に関する一試論」九州保健福祉大学研究紀要23号(2022年)15頁も参照。同論文は,校則の目的が「大人の価値観」=「大人の都合」から語られるのが現実となっており,それが子ども不在の議論であることに警鐘を鳴らしています。
10. 佐藤幸治『現代国家と人権』(有斐閣,2008年)229-230頁参照。この点についてもう少し付言すれば,佐藤さんは,「人間は成年に達すると突如として自律的人格性を獲得するというものではなく,未成年期から継続的に形成されていくものである」(229頁)との認識を示したうえで,「自律への能力の現実化の過程にある子どもについては,国は,①その過程を妨げるような環境を除去することを求められる…とともに,②その過程に必要な条件を積極的に充足し…,さらに③その過程にとって障害となると考えられる場合にその過程そのものに介入することが求められる」(204頁)と述べておられます。子どもの発達のプロセスに国がどのように関わるのか,その場面ごとに整理して述べてある点に注目してください。
11. 遠藤美奈「校則――排除しないルールへ」法学教室518号(2023年)6頁。遠藤さんは,このことが「憲法13条前段が志向するはずの『個人が尊重される社会』が前提とするところでもある」(6頁)と述べています。
12. ここまでの内容は,生徒が校則について学習し,その見直しについて自身の意見を表明するなどの生徒参加型のアプローチを取り上げてきました。他方,校則問題については,明らかに人権侵害を伴うようなケースが発生し,その解決が急がれるようなケースも考えられます。この場合には,生徒参加型のアプローチによる問題解決が適切であるとは限りません。生徒に何か月,何年間も話し合いをさせるなどの指導は精神的・肉体的な苦痛を長引かせる要因となるだけであり,かえって個々の生徒にマイナスに働く余地が生まれるからです。このようなときは,学校側の判断によって校則の廃止や改訂を進んで行うことが望まれます。人権侵害ともいえる問題になっているからこそ学校側の迅速で適切な判断が求められるのです。
13. 18歳への成年年齢の引下げと子どもの人権の関係について検討を進める論考としては,堀口悟郎「18歳成人と『子どもの人権』」――憲法理論研究会編『多様化する社会と憲法学』(敬文堂,2023年)251頁以下があります。その中には,「18歳成人と校則」(253頁以下)についても取り上げられており,参考になります。
14. 柏崎高校生徒会の「服装自由化宣言」を下記に掲載しました。なお,親友会とは,柏崎高校の生徒会の名称です。
なお、本稿においては,前掲の登坂論文に依拠しながらその経緯を執筆させていただいたことを付記しておきます。
15. 登坂さんは,校則の制定・改廃に果たす特別活動の意義を柏崎高校の取り組みを通して見出しています。
16. 遠藤・前掲註11)6頁。遠藤美奈さんは,「子どもの,1人の人格を持った存在としての承認とは,子どもたちそれぞれの個性・アイデンティティや差異を認めることではなく,その手前のレベルで,他のすべての個人と『等しい価値』を持つことの承認であり,子どもと相対する教師自身が,相手を自分と対等なコミュニケーションの相手方として承認することを意味する」(6頁)と述べています。ここは,とても大切なところです。
【連載テーマ一覧】
Ⅰ 「契約」の基礎 〔連載第1回~第3回〕
Ⅱ 「契約」の応用:消費者契約と労働契約を中心に〔連載第4回~第6回〕
Ⅲ 「刑事法と刑事手続」の基礎と問題提起 〔連載第7回~第10回〕
Ⅳ 「憲法」:「公共」の憲法学習の特徴と教材づくり 〔連載第11回・第12回〕
Ⅴ 「校則」:身近なルールから法の学習へ 〔連載第13回・第14回〕
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