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少しでも自分を好きになりたくて、やめたこと。

自分のことを素直に好きと言えなくなったのはいつからだろう。
大々的に言葉にするようなことでもないけれど、かと言って自信を持って頷くこともできなくて。


「もしかしたら、私は知らず知らずのうちに自分のことを傷つけていたのかもしれない。」

ふと思い立って、一つ一つノートに綴っていくうちに気がついた癖がある。
わざと傷つくようなことをしたり、誰かを褒めるために自分を下に下げるような発言たち。


そんなの、誰もハッピーにならないじゃん。

今日はそんな自分を改めるために、日々気をつけていることをnoteに残してみる。

自分が悲しむこと、傷つくことを言わない。

「どうせ私にはできない。」
「頑張ったところでムダなのに。」
「こんなことをして何になるんだろう。」

これは私の昔からの口ぐせ。

別の人の名前に置き換えると決して口に出しては言葉だらけ。なのに自分のこととなると口をついて出てきてしまう。


気がついたらその時がタイミング。
意識的に自分の口癖に耳を澄まして自分が悲しむ言葉を口に出さない練習を地道に続けていく、それしかない。

今でもちょっとした時にこの名残は出てくるものの頻度も少しづつ減ってきた。
まだまだ自分のことを褒めるのは難しいけれど、改善の一歩は踏み出せた。


誰かを貶すコミュニケーションはダメ、ゼッタイ。
たとえそれが自分であっても。

「〜しなければならない」と不必要に追い込まない。

大人になるということは、自分のしたことに責任を持つこと。
それは決して「しなければならないこと」をたくさん増やして自分を縛ることじゃない。


義務感からスタートしたことは体感8割くらい失敗する気がする。
昔は「頑張ったのにどうして…」なんて思っていたけれど、今ならその意味がわかる。


しなければならないことは結局やりたくないことなのだ。
やりたくないことを無理にやろうとすればそりゃあ失敗する。
生活していく中で逃れられないものも必ずあるけれど、なるべく必要最低限にする努力はできるはず。


いちいち自分を辛い目に合わせていたら、そりゃ嫌いになっちゃうよね。

誰かのせい、自分のせいで終わらせない。

思いがけない問題が起きたとき、期待していた結果が出なかったとき…私はいつも何かのせいにしていた。

誰かのせい、環境のせい、そして自分のせい。
何かのせいにしなければいけないと思い込んでいた。


でもそれは大きな間違い。
うまくいかなかったことはただうまくいかなかっただけのことなのだ。
結果を責めたってどうしようもないし、ましてや自分一人で抱え込んだところで何も変わらない。


大事なのは、これから。

「誰のせいにもしない」のはすごく勇気がいる。
でもこの勇気がきっと本当の意味での大人になることなのだと私は信じている。

ネガティブな感情を無理に溜め込まない。

ポジティブな感情は表に出しやすいけれど、悲しいとか怒っているようなネガティブな感情はどうしても押し殺してしまいがち。

かと言って取り扱いを間違えれば、誰かとの争いの火種にもなりかねない。
負の感情はちょっと厄介ものだったりする。


思い返すと私の20代はネガティブとの衝突だらけだった。
誰かを傷つけまいとして溜め込んで、爆発して逆にたくさんの人を悲しませてしまったこともたくさんある。

溜め込むのも撒き散らすのも方向が違うだけでどっちも変わらない。
大事なことは負の感情を受け入れて、自分のペースで歩んでいくこと。


溜め込むのがよくないのは、心も体も一緒なんだな。


やめたことで変わったのは、私自身だけじゃなかった。

自分の中に染み付いていた自虐癖や自己否定を手放して変わったのは私自身だけじゃない。

周りの人の私に対する態度も以前より柔らかくなったように感じる。


自分のことを軽く扱えば周りもそうやって扱うし、大切にしていれば相手からも大切にしてもらえる。(もちろん例外はあると思うけれども)


他人は自分の鑑なのだ。


すぐには変わらないかもしれないけれど、続けていくと自分との雪解けを感じられるはず。


どんな私も、私の一部。

これからも誇りに思いながら生きていけますように。



ほがらか


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