私は魔法が使えない① ~自己紹介・仕事の話①~

私立四年制大学文学科を卒業。就活で上手く行かず本に関わる仕事を半分諦めた私は、小さい頃から祖父母と暮らしていた影響もあり、介護系の会社に就職する。その会社の介護施設で働き、職場は変わったが今でも介護職をしている。二回転職をして、現在三社目。介護歴は三年くらい。今年介護福祉士国家試験を受験して今は結果待ち。

介護の仕事を始めてからのことを三回に渡って書いていこうと思う。今回は新卒で入った一社目の会社での話。まだ癒えていない傷やトラウマがあるので、細かく書けなかったり、違う回で分けて書いていくかも。

新卒で入った会社は、様々な事業をしていたがその中で三つの高齢者施設を持っていて、私はまずその中の一つの施設の小規模多機能居宅介護という種類の施設で働いた。小規模多機能とは通い(デイサービス)・泊まり・訪問の三つのサービスを提供している。

新人教育に力を入れている会社で先輩社員によるOJTや月一の本社会議(目標設定と反省会をする)、色んな部署を経験するために三年間で色んな部署に異動になるという制度があった。

私は後々本社会議で救いの手を差しのべられ、異動に救われることになる。


その会社に入社した同期は社会福祉学部の人もいたが、皆介護の資格を持っておらず、入社してから休みの日を利用して会社が主催している「介護職員初任者研修」を受講して数ヶ月で資格を取った。資格を取るお金は要らないが、休みの日に行くため二週間休みなしみたいなのがあった。 

介護の勉強もしておらず介護現場のことを知らない、仕事ができない私はその小規模多機能施設で大変な目に遭った。

そこの所長には皆が逆らわないようにしていて、新入社員の私は上手くできないことが多くて何をしても怒られる、萎縮してしまって何もしなくても怒られる。施設の業務のことや利用者さんをことを少しずつしか教えてもらえず、聞いても「OJTの人に聞いて」「今はその段階じゃない」と教えてもらえないことも多い。でも聞かなかったり介助を見に行かないと怒られる。一度教えてもらったことがすぐできないと怒られ、その仕事はやらせてもらえなくなる。

私は不器用で何回も反復しないとできない。人見知りが強くて、人の目を気にするところがあって、一度頑張って話したり質問しに行っても、邪険にされると萎縮して何もできなくなってしまう。これは言い訳だが、そんな特性も相まって、私は半年間本当に仕事ができなかった。

始めての一人暮らし、始めての社会人としての仕事、介護現場、休みが少ない状況、救いのない職場でメンタルはギリギリだった。  

空が青いと恨めしくなり、電車の線路の誘惑に負けそうになる。

食事を取れずに寝落ちしたり、家族に電話で愚痴ったり、通勤中に泣いたり、ストレスで腕が真っ赤になるまでかきむしったりしていた。

半年位経った、毎月恒例の本社会議の日、少しおかしな空気を感じていた。違う施設で働いているのになぜか私のシフトを知っている同期。その日は会社内の一施設の職員さんが介護の研修をしてくれる日で、研修後、そこのケアマネさんから「(施設名)、来てな」と言われた。言われた瞬間何のことか全く分からなかった。

後からちゃんと話を聞くと、私は違う施設に異動が決まって、そこの施設の方や私のいた施設の上司や会社の教育担当の方はそれを知っていた。関係者で私だけが異動のことを聞かされていなかった。施設内に貼り紙は貼られていたらしいが(それを見ていなかった私が悪いのだが)直接上司から聞くことはなかった。

異動について聞かされていなかったことは、教育担当の方が知ることになり、私に言っていなかったことを教育担当の方が所長に注意し、私は所長から「何で私が怒られなきゃいけないの。あんなに頑張って指導したのに」的なことを半泣きで言われ逆ギレされ、私は「知らんがな。絶対許さない」と思ったのはもう終わった話。

何はともあれ、私にとって地獄だった環境から抜け出し、皆が仲のいい暖かい施設に拾ってもらえて介護を一から教えてもらえるようになった。その施設での話は次回かまたどこかで。楽しかった話を今後ちょこちょこ思い出して書けたらいいな。

今思うと、始めに働いた施設は完全に善ではないかもしれないけど、私があまりに不器用で仕事ができないことが原因だったりその時の運もあったと思うので、ここで悪い風に書いてしまったけど、一概に悪いとは言えないのです。私はすごく介護に向いていない人だと実感しているので。

今回は私の仕事についての話、第一弾。入社一社目の初めて働いた施設の話。過去の少し嫌な思い出の話でした。お付き合い頂きありがとうございます。

次回は、救われた施設の話を少しと転職した二社目の施設の話をしていけたら。

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