ホッケータウンプロジェクト

日本におけるフィールドホッケーを積極的に普及している地域を「ホッケータウン」と呼び、 …

ホッケータウンプロジェクト

日本におけるフィールドホッケーを積極的に普及している地域を「ホッケータウン」と呼び、 そのまちにおけるキーパーソンのインタビューを紹介させていただきます。

最近の記事

ホッケータウン インタビュー 松村 洋介氏 U-15 男子日本代表ヘッドコーチ (岩手県)

全国で通用したことが、自信に繋がった 私がホッケーを始めたのは小学校1年生の頃です。 私には5つ上の兄がおりまして、兄はスポーツ少年団でホッケーをやっていました。 兄の練習に付き合ってスティックに触れたことが、私のホッケーとの出逢いです。 当時は、兄の一方的な指導を受けた時期だったので「面白くなかった」印象です(笑)。 気持ちが変わったのは小学校6年生の時です。その年、ホッケーの2004年全国大会が秋田県で行われました。 全国の都道府県優勝チームのみの参加が基本だったので

    • ホッケータウン インタビュー 山本 和樹 氏 山口県ホッケー協会理事 (山口県 岩国)

      きっかけは、息子 2011年 第66回国民体育大会が行われました。先行して、2005年KUGAスポーツクラブが設立され、そのひとつとしてジュニアのホッケークラブ(スポーツ少年団)ができました。私には、子どもが2人いまして、当時長男がそのホッケークラブに近所の子供と一緒に体験で参加しました。小学校1年生の終わりの時です。 (私は)元々は野球をやっており、長男にも小学校3年生からは野球をやってもらいたいと思っていました。小学校3年になる前の期間、いろんなスポーツに触れる機会の

      • ホッケータウン インタビュー 小矢部RED OX 監督 沼田 秀樹 氏(富山県 小矢部市)

        怒られる時代、試合の中で褒められた 私は小学校6年生の時に、ホッケーに出逢いました。
 ホッケーに携わる前は野球をしていました。 1962年に旧西礪波郡石動町と、津沢地区を中心とする同郡砺中町とが合併して小矢部市が出来ました。当時学校の統合があって、そのときに学童ホッケー大会という小矢部市の学校対抗の大会が開催されました。私は、そのタイミングでホッケーをやることになったんです。クラスみんなでホッケーを体験して、選抜チームに選ばれ大会に出場しました。 それまでは、ホッケー

        • ホッケータウン インタビュー 福井県ホッケー協会理事 松村 徹治 氏(福井県 越前町)

          唯一のスポーツ、ホッケー 私が一番最初にホッケーに触れたのは、ホッケースポーツ少年団に加入したことがきっかけです。小学校4年生でした。 常磐小学校の中で、学校の先生がホッケーを教えてくれました。 小さな学校だったので、その競技(ホッケー)しかなかったのです。 最初は体育館の中で先生にインドアホッケーを教えてもらいました。 そこから屋外に出ていきました。 サッカーも体育の授業でやっていましたが、ホッケーはスピーディーだと感じます。 ボールスピードの速さが他の競技と全然違う

        ホッケータウン インタビュー 松村 洋介氏 U-15 男子日本代表ヘッドコーチ (岩手県)