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没頭すると疲れが認識できない同志へ

こちらの記事は、2024年7月発売の小鳥遊著作「『発達障害』『うつ』を乗り越え@小鳥遊がたどりついた 『生きづらい』がラクになる メンタルを守る仕事術&暮らし方」(ナツメ社)の内容に関連したものです。

「無理がきく」は幻想

以前、こちらの記事で「無理をしている自分が好きだった」という話をしました。

そもそも、無理ができるのは、若くて体力があるからというのもあったと思いますが、それだけではないと思います。私にとっては、「疲れを感じない」という理由もあったりします。

特に没頭すると疲れを忘れてドップリはまってしまいます。そのままであれば何の問題もないのですが、その没頭している時間の間にたまった疲労が、せき止めたダムの水を一気に放流するようにドバーッと出てくるのです。

放水されてしまういくらか前段階で、せめて気がつけばと思うのですが、そううまくいかないことが私はほとんどです。「あれ、なんか思考が働かない」「動く気が失せた」という最終段階になってやっと気がつくというのがオチです。

自分にとって無理がきくというのは実は思い込みであって、それは疲労の後ろ倒しでしかない、というのが私の考えです。

せめて、「疲れ」を把握したい

そこで、とにかく「自分は疲れている」という認識を早めに持つためにどうしたらいいか、というのを考えて実行しています。

「いつもの傾向からすると、この行動をこのくらいの量やってしまうと、自分は疲れるはず」という予測(あくまで予測です)のもと、疲れは感じていないながらも「あ、これはやばいやつだ」と口に出して言うようにしています。

これが「あ、自分は疲れているんだ」と認識するきっかけとなって、「そういえば、、、」と、現在の自分の状態をいくぶんか客観的に振り返ることができるのです。

私は、一気に集中して仕事をしたあとにこの会話を妻としています。「あ、疲れていない!これはやばいやつだ」「そうだね、やばいやつだね」という具合です。

私の認識では、「没頭して作業をして、疲労感を覚える」は、実はそんなに疲れていなくて、むしろ「没頭して作業をしたにも関わらず、疲労感がない」状態の方が疲労度が高いものだと考えています。

「これはやばいやつ」と、独り言でもいいので口に出すと、ちょっとハッとして自分の状態を振り返りやすくなります。


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