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ADHDっ子のお世話を思い出す…お盆。

私がADHDとわかったのは36歳だったけど、いとこには2歳で診断のおりていた子がいた。

お盆とか正月とか集まると、私によく懐いているから私がお世話担当。
5~6歳離れていたからおんぶも軽々と。

ってか、おんぶしていないとあっという間に行方不明。
そしてどこかの道路に飛び出し、
「バカヤロー」
とオジサンの声がしてくる。

そして、いとこは
「バカヤロー!うんこうんこー!!」
って言い返しちゃう(笑)。

だから、おんぶしているしかない。

が、私にはADHDであろう妹がいて、
「…お姉ちゃんは、みっちゃんのほうが可愛いんだ」
といじけはじめるから、おんぶと抱っこである。

私、スポーツはやっていたけどガリガリだったから、なかなかキツかった。



祖父宅に私と妹だけ残ったお盆もあった。
他のいとこたちはおらずヒグラシだけが鳴いていた。
夕方散歩に出て、

「これこれ、サエちゃん
なんでも拾うでないよ?」

「わかった。
いま手ぇ洗ってる」

「っえ!」

私、振り返る

「サエちゃん!
それ、肥溜め!!」

「こえだめ?」

「畑の肥料のための…
…おしっことうんこが溜めてあるの!」

「びぇ〜ん」

「あ〜、サエちゃん
おばけのポーズ!
お姉ちゃん後ろから抱っこして帰ってあげるから!
そのままじいちゃんちでお手々洗おう!
ね!」

妹を抱えて走り、抱えたまま蛇口をひねって手を洗わせた。

抱えた私は…笑っていた。

なんであんなに笑えるのかな。


ちょっと大きくなって、私がやっていたスポーツの合宿に妹も来るようになった。

体育館の外が見たいと、妹は格子窓から外を覗いた。

はまった。

格子にぴったりと妹の顔がはまっている。

抜けない。

もがく妹。

後ろから引っ張る私。

当然…私の顔は引きつるほど笑っていた。

妹が「笑うなー!」って言うから声が出せないんだもん。

20分くらい格闘して、妹の顔はめでたく外れたが、顔の横に格子のあとがついた。


なんというか…「なんで見てわからないの」ってことをやってくれちゃうから笑うしかないというか、笑えて仕方ない。



まさかね、私自身もADHDだったとはね。

う〜ん、お世話係だったんだけどなぁ。



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