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セルフコンパッションが難しすぎてぴーぴー泣いている話。

引きこもりになっちゃっても自分を許してあげよう…うん。
そう言ってPTSD治療に専念するため生保手続きをしていた頃。
『セルフコンパッション』(「マインドフルネス」や「セルフカインドネス」みたいな今ここを…自分を…いたわりましょう、優しくしましょう的なものをひっくるめた感じの本)の教科書みたいなものを読み始めたのだけど、これがまた難しい。
半分も読めていない。
読書は好きだし、文章や語彙力は人並みより強い私は読めるの。
理解はできるの。

でも、自分に重ねて読んでいくと、どんどん連想ゲームみたいにあれやこれやと記憶が引っ張り出されて、脳内引き出し開け放題祭りが開催されてしまう…。

ああ、私「衝動性が表面化しない脳内のみであっちこっち走り回るADHDさん」だから余計に難しいんだ…。

瞑想にならない。
脳内迷走してる😅
いーんだけどね、やってみるのが大事だから。

自分を労る、慈しむ、一緒に悲しむって本当に難しい。

未知との遭遇。

だけど、最近は
「自分を好きになれたらいいけど、自分を好きになりきれなくてもいいや。
そういう経緯がある人間だし、控えめに自分を❝ちょっと好き❞でも十分だよね」

「まずは自分を助けよう」

「お風呂は入れなかったけど、髪は洗えたし、洗顔してスキンケアはやれたよ。
明日は髪をまとめて、身体だけでもシャワー出来たら合格だね」

何となく自分の味方になれてきてる気はする。


実際にPTSDにマインドフルネスが必ずしもいいとは言い切れないという側面もあるため、自分に合いそうなものだけ取り入れてみたいなぁと読み進めているが…。


やっぱり実践型教科書みたいな本だと、
「さぁ、やってみましょう」
となったときに余計なこと思い出したり、
「大切な人を思いながらやってみましょう」
と言われて「誰がいる…?」となったり。

ここでの大切な人は「気の置けない人=気を遣わなくていい人」のため私には該当者ナシなのだ。
この本ではやはり家族、友人、パートナーと表現されている。

ご近所さんや行きつけのお店の店員さんは、よくお話はするけど気を遣わないわけじゃないから。

すると、子供の頃一緒に暮らしたワンコだけで。
ワンコも一緒にイメージして「私たちが幸せでありますように…」と瞑想するのだが…。

ワンコはとっくに両親の離婚に巻き込まれ私は看取れず亡くなっており、私はワンコの骨の一部だけをまだ大切に持っている。

泣きながら瞑想して、続きが読めなくなる。



いやぁ、難しい。

自分を甘やかすのと自分を労るのは違うから、結構厳しい性格をした自分向きだと思うのだけど。

でも、まずはクリニックで出された『筋弛緩法』をマスターしなくてはいけないのに、こちらもちっとも上達しない。
実は整形外科や整体なんかでも筋弛緩法を教わってきて→全く力が抜けず→叱られてしまう、の繰り返しだったため「そもそも『筋弛緩法』を警戒している」。


自分を慈悲るって難しい…。

当たり前だよ、よしよしされて育ってないんだから。
ってか、そもそも触られるのが嫌いだからセルフコンパッションの難易度が上がってる気がする。
もうこうなったら、お気に入りのガーゼケットに包まるしかない。

まふっ💨



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