先日亡くなった喫茶店のマスターの話。
私が若い頃(19歳から)入り浸っていたアクセサリー店がある。
彼(マスター)は彫金師で、金や銀を加工する仕事をしていた。
ただ、仲良くしていた隣の店舗の喫茶店のマスターが蒸発してしまったのだ。
彫金師だった彼は、仲良くしている仲間たちの集いの場がなくなることを悲しみ、この喫茶店も経営することにした。
彼(以後、マスター)は子どもの頃に父親に入水自殺されている。
私の大好きな海は、マスターのお父さんが命を絶った場でもある。
マスターは齢70で癌で亡くなったけれど。
お父さんに会えたのかな。
お人好しのお父さんは、他人の借金を肩代わりして死を選んだ。
幼かったマスターは何を思ったろう。
上がった土左衛門を、
「…父ちゃんです」
そう言った少年マスターは何を思ったろう。
私は、50超えたマスターに寄ってくる仲間たちのなかで最も若輩で、19歳だった。
言わばおじいちゃん達のなかに少女が紛れ込んで談笑していたのだ。
私の病名は当時は明らかになっておらず、自分でも困惑していた。
親を恨みながらも、恨みきれず。
そんな私に、
「簡単に気持ちなんて割り切れねぇよなぁ〜〇〇ちゃん」
と答えてくれたマスター。
私の親批判を批判する輩から庇ってくれた。
私の親を恨みきれない気持ちに対して「お前の親はクズだ」という輩からは、「この子の気持ちはまだ揺れ動いてる。まだ、恨み切る段階じゃないんだ。他人が言わないでやってくれ」と庇ってくれた。
正直、マスターの周りに集まるのは鼻つまみ者ばかりだった。
私もその一人。
虐待されている自覚もなく、
父親と母親の間を、彼らの都合で行ったり来たりさせられ、何もかも信じられず…
抜け殻みたいな私を、
働く体験ができる場として、喫茶店の洗い場を任せてくれて。
賃金は私が要求しなかったから、もらわなかった。
虐待されていると「自身に対価が払われる」のが恐ろしいのだ。
さらに要求される気がして、対価という物自体が恐ろしいからだ。
その洗い場からやがて私は旅立ち、
ラーメン屋の看板娘となるのだった。
私の社会復帰のワンステップになってくれた場だったのだ。
精神障害を負ったお客さんが多いお店だった。
人の痛みがわかるマスターだったからだろう。
実際のところ、マスターは離婚はしていたが性に奔放で、愛人や恋人をあちこちに作っていたし、息子さんも奥さんいるのに同様。
似なくていいところが似た。
尊敬できないところも多々あったけれど、私には心の拠り所となってくれた方だ。
そんなマスターは生前葬をしてから、この世を去った。
父親が何の整理もせずいなくなったから。
それを悪く言う人もいた(生保非難オジサン)。
「どーせ、誰が来てくれるか楽しみにしてただけでしょ。
自己満じゃん」
「……マスターはお父さんに入水自殺されてるから…だと思いますよ」
「へー、知らんわ」
その程度なんですよね。
マスターのお墓…わからないかな。
一度手をあわせに行きたい。
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