余命わずかな家族にかける言葉

1歳の娘の昼寝の時間。

寝かしつけながら娘の頭に触れた時

じんわりあたたかさが伝わってきて
わぁ〜、あったかいな〜
そう感じた瞬間に
ふと、姉が亡くなった時のことを思い出した。

人が亡くなる瞬間って、いつなのか分からない。


姉の最期は、呼吸器で精一杯呼吸しながら
途中、最大の痛い〜痛い〜の叫びを迎え

そのうち少しずつ静かになり
わずかな呼吸になり、、、

生きているのか
ついにその瞬間が来てしまうのか、分からないような段階になった。

私はただひたすら

"お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん大好き"
としか言えなかったけど

その時のことを考えると
今でも自分の接し方が、あれで良かったのか分からない。

本当は
"お姉ちゃん、よく頑張ったね"とか
"お姉ちゃんはすごいよ、偉いよ"
と言いたい気持ちもあった。

ありがとうと言いたい気持ちもあった。

もう生きている時間が残りわずかな姉
今までの努力を認める言葉、尊敬の言葉を伝えたかった。

でもなぜその言葉を言えなかったのか、、、

それは、姉の命の終わりを私が決めてしまうような気がしたから。

姉がもし、かすかな意識の中で
私どうなるの?もう死んでしまうの?
と不安に思っていたり

まだ死にたくない!と思っていたとしたら、、、

私からの、"姉ちゃん頑張ったね"が聞こえたら
あ、私もう死ぬんだと、ショックを受けて
悲しい寂しい思いで死んでしまうのではないかと思って

姉の最期に寂しい思いをされるのが怖くて怖くて、、、。

最期の最期まで
みんながただそばにいて、生きているというか

まだこれからもみんなといる日々が続くような感覚のままでいてほしいという気持ちだった。

いざ、姉が息を引き取った瞬間は

お姉ちゃん、、、お姉ちゃん、、、と泣くしかできず
とにかく私も家族も
名前を呼んで泣くしかできなかった。

もちろん、お通夜、お葬式の時にはお姉ちゃんありがとう
お姉ちゃん頑張ったねと
姉のなきがらに向かって何度も伝えた。

棺の中の姉の表情がなんだか笑っているようにも見えて、私も姉に向かって笑いながら話しかけたりもした。

けれど、亡くなった後にいくら伝えても生身の姉に、私の生の言葉は届いていないのだ。

きっと伝わっているという思いもあるし
これを読んでいる方もきっとそういう風に思ってくださっているだろう。

それでも私はいまだに
その時のことを思い出す

命わずかな姉にかけた言葉は 最善の言葉だったのだろうか

姉は一体どんな思いで最期を迎えたのだろうか

そんな事を
脳裏に浮かぶ姉の姿に心の中で問いかけながら
胸がキューっと苦しくなる時を過ごす

姉が亡くなった日から1年半の間
こんな時が何度もある。

言葉に表せない感情で
1人涙ぐむ。

そして、なんとも言えない悲しみを感じながら
遺族にとって、こういう感情を感じることで
生きるという事はどういうことか学ばせてもらうことこそ
姉の命に敬意を払うということなのではないか、という答えに辿り着く。

後悔したり、泣いたり、途方に暮れたり
そんな気持ちで悩む時があるからこそ
日常の些細な出来事で笑いがあったり
ふと空に虹が見えて心が和んだり

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そういう幸せを感じられるようになっているんだろうなぁ。

そうか、気持ちを伝えるチャンスはまだあるかもしれない。

いつの日か、私も最期を迎える時がきて
また姉と再会すると思う。

その時に言おう。

姉ちゃんよく頑張ったね
姉ちゃんはすごいよ
姉ちゃん ありがとう

その日がくるまで
私は私の日々、最善の選択をしながら生きたいなと思う。


私の書く記事は多分、伝わる人が限られています。いじめ、機能不全家族、HSP、病気などの記事多めなので。それでも深くせまく伝えたくて書いています。サポートとても嬉しいです。感謝します。コメントも嬉しいです🍀