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もう1つのザッピング

ザッピング(zapping)とは、テレビ視聴において、リモコンでチャンネルを頻繁に切り替えながら視聴する行為のことである。

wikipediaより

これ、テレビだけではなく、スマホでも同じことが言えるなと思いました。特に用はないけど、ただただアプリを開いては閉じて、また別のを開いて閉じて、いろんなアプリをザッピングしている気がする。それは自分も周りの多くの人も。

電車に乗っている時に、たまに目の前の人のスマホ画面が目に入るんだけど、大抵、親指で画面をスワイプやタッチしてはまた戻ってを繰り返している。その画面の内容はホーム画面やLINEやtwitterやyoutubeで、ずっとスワイプとタッチを繰り返している。

それは自分にも当てはまって、いつも使ってるアプリを習慣のようになんとなく開いて閉じてを繰り返してる。何か通知・連絡が来てないか、何か面白いことが更新・投稿されてないか、テレビのチャンネルを変えるようにザッピングしている。それに気付きながらも、やはり暇をすると既に手にスマホを携えてザッピングしている。そんなことをしていると意外と時間は経っている。この惰性を早くやめないといけない。

「スマホ ザッピング」で調べてみると、一件似たことを書いてる人がいた。

(上略)
漫画アプリを開き1秒で閉じ、
ニュースアプリを開いては閉じ、
はてなを開いて閉じ、
ツイッターを開いて閉じ、
音楽アプリを開いて音楽を聴かずに閉じる。
どれも1秒から長くて3秒。

何かがしたくてスマホを持ってるわけじゃないけど、何かしたいけど、何もする気にならない。結局何もしないのでスマホを置くけど、しばらくすると、またスマホを持ってザッピングしている。多分、スマホ依存ってこともないと思うし、スマホ以外でもなんでもいいから何かしてないと落ち着かない。でも何にも集中出来ないんだよね。こういう人居るんだろうか。時間の無駄だし、イライラしてるし、辞めたいんだけど…

引用元:https://anond.hatelabo.jp/20190426144915

イライラはしてないけど、
分かりすぎる。同じだ。


もう一つ、ソシャゲのザッピングについて語っている人を見つけた。

(前略)
なので、スマホのソーシャルゲームをザッピングして、挙げ句の果てには中途半端な課金を繰り返しながら時間を潰す行為は「時間の壮大な無駄遣い」でしかないのです。数万円、数十万円課金して、サービス停止になったら全てが水の泡となるものにお金と時間を費やすよりも、パソコン1台買う・旅行1回行く・英会話週1回始める・プログラミングの本1冊買って学ぶ・その他習い事1種類始める等の具体的な行動に落とし込んだ方が遥かにQOLを高めるのに役立ちます。
(中略)
毎日スマホのゲームに2時間かけていた場合、1年間で730時間も浪費していることになります。攻略サイトのブラウジングなども含めるとおよそ1000時間でしょう。

引用元:https://nanairo-taiyou.com/stop_mobilegame_zapping/

だいぶゲームには否定的な人なようですが、その通りだなと思います。時間と金の無駄。ただそれを知れば、すぐにやめれるかと言うと多分そうはならない。染みついた習慣はなかなか落ちない。抜け出し方が分からない。




どうしてだろう。

ダイエットしたいのに我慢できなくて食べてしまう。
筋トレしたいけど今日はいいかとサボってしまう。
勉強したいけど楽しいことをしてしまう。
そんな話がいつどこにでもある。

楽しいことは進んでやり、辛いことは極力拒む。
そんな甘い毎日に浸かりきっている気がする。

でも「それじゃダメだ」と思う自分と、
でも「ちょっとだけ」と思う自分が
喧嘩して、板挟みになって、
だから
落ち着かなくて、ソワソワして、
逃げるように無意識に手癖となって
ザッピングしているんだと思う。

あるいは複数の自分がいて思考がまとまらず乱れている。

もう一つは単純に従来通りの意味で、
面白いものを探しているけど見当たらなくて
ザッピングしている場合が考えられる。



どうすればいい。

前者の板挟みによるザッピング対策を考えてみたい。

「それじゃダメだ」の勢力と「ちょっとだけ」の勢力、この二つが自分の中でぶつかったら、板挟みザッピングで悩んでいる人にとっては「ちょっとだけ」の勢力の方がおそらく強い。2つの勢力にちゃんと名前をつけてみる。努力的思考と快楽的思考としてみる。行動に移せばそれは努力行為と快楽行為になるという意味で。

努力行為は自分を鼓舞して苦労を伴い、する行為。
快楽行為は自然な欲求として感じるがままに、する行為。

この快楽は本能に近い。後悔や反省などの念は心地よい訳ではないが、努力なしにどんどん湧き出てくる。ただ本能というと意味の幅が広くなるので、快楽という言葉に留めた。

あまり長くなってもあれなので、簡潔に方法を書き出してみる。


方法1 快楽的思考を小さくする。

まずは頭の中に出しっぱなしののケーキをしまう。自分を幼い子供だと思ったほうがいい。「ケーキはダメ。ケーキはダメ。」と唱えても頭の中は食べたい気持ちでいっぱいになる。注意をそらして忘れさせよう。

方法2 思考の数を減らす。

やるべきこと、やりたいことが複数あっても自分の頭の中がパンパンになってしまう。沢山ある別次元の努力的思考は1つに絞る。優先順位をつけて、順番をしっかり守ろう。割り込むと、列は乱れて、頭はカオスになっていく。

方法3 努力を強制し、快楽を禁止する。

自分に鞭を打つ強制力を手にいれる。親や先生はそういう意味で、自分を努力行為に導く存在だった。自分の意志とは無関係に優しく追い込む人や組織やシステムを手に入れよう。飴と鞭を自分ではない者に委託しよう。

方法4◎ 認識を変えて、快楽的思考に変える。

好きはものの上手なれ。努力しなくても快楽で努力行為ができたら、ものすごい早さで理想に近づく。努力行為の一連の作業の中に遊び・ゲーム性を見つけてみよう、あるいは作ってみよう。

方法5◎ 努力の先にある夢を最上の快楽にして、心に据える。

本来やりたいこと、夢というのは快楽行為のはずなのに、努力になってしまうのは2つの理由がある。❶好きのパッケージ(やりたいことの過程全てが快楽な訳ではない。)👉方法4。❷快楽も複数あるから、他の快楽に負けて、相対的に努力側になる。👉一番叶えたいことを常に妄想して、心に据えて最上の快楽へ鍛え上げる。



「ザッピングしてるなっ」と思ったら、一度手を止めてこの方法を試してみたい。


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