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私がこの世界に存在していたという事実

ある本を読んで人の死について深く考えさせられた。人はどうせ死んでしまうのにどうして生まれてきたのと。生きる意味を考えることさえ無駄な時間だと言えるけれど、考えずにはいられない。ある人は、生まれてきたことさえもが素晴らしいことだと他人を褒めた。果たしてそれは本当だろうか。周りの助けがないと生きてゆけない赤ん坊がお母さんを痛めつけてまで産声をあげることが素晴らしいことなのか。本当のところどうなのかはわからないけれど、この世界で絶えず赤ちゃんが産まれているということは、すなわち、生きることは素晴らしいことなのかもしれない。明石家さんまの言葉、『生きてるだけでまるもうけ』を私は信じきることはこの先もずっとないだろう。しかし、明石家さんまは、『生きる』ということを素晴らしいことだと認識しているのかもしれない。生きることに対して、どんな考え方であれ、私の考え方と違えど、自分なりの考えを持っている人はかっこいいなと感じる。私はいつ死んでもいいように生きているつもりだけれど、生きた証が欲しいなとは思う。私が私として存在していたという事実が。
もし、私を知る人が1人残らず死んだとして、果たして私が存在していたという事実はどこへいくのか。
そんな漠然とした感情と共に生きていくのも悪くないのかもしれない。
この文が誰かの心の中に生き続けてくれたら、本望ですね。たった一人でも。それが私の生きた証になるから。

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