長年つきあった恋人がロボットだった

 こんにちは、花山です。

 ある方にロボットの倫理の問題として、このようなものを出題されました。

 もしも、あなたに数年間付き合い続けた恋人がいるとする。ある時,あなたは恋人はロボットであることが分かりました。
 恋人は、全てが人間と同等に作られており、表面上の違いは見当たらないとして、あなたはその後の恋人との関係をどう考えますか。

 とても切ない問題だと思いました。同時に、将来有り得なくもないお話だとも思いました。延々と考え続けてしまいそうな問題なので真剣に1000字くらいで書いてみようと思います。









 結論から言うと、私は、この恋人とは別れます。


 私は、この問題に回答する上で、まず人間とこのロボットの違いを明確にしなければならないと考えました。数年間付き合い続けて気付かないほど表情、ふるまい、感情表現が人間に近いつくりなのであれば、人間との違いは何があるのでしょうか。


 私は、人間とロボットとの違いは、自分自身を認識しているかどうかだと考えます。

 自分自身を認識するということ、つまり自己認識とはどういうことであるかと問われたとき、わかりやすいのは感覚の認識です。例えば、腕にガラスが刺さったとき、私たちは「痛い」という感触を皮膚から脳への信号で得ますが、このとき、脳の「痛い」という信号を観測している自分の意識があるはずです。

 この、身体、脳の機能から離れた、脳の信号を観測する意識こそが自己認識であると考えます。私以外の人間がそうなのかはわかりませんが、私がそうであることから、人間というものは自己認識を持つものであると仮定します。

 自己認識とは、現実の物質としては存在しませんが、科学では説明できない領域で確かに存在するものであるといえます。


 一方、ロボットは「痛い」という信号を脳に送ることまではできますが、それを認識する自己認識はないと私は考えます。なぜならロボットは人間が作り出した存在で、人間が自己認識を物理的なものとして認識できない以上、物理的存在であるロボットにそれを意図的に組み込むことはできないからです。

 つまりロボットは、信号に従って、泣いたり笑ったりしているだけで、それを認識する意識はないといえます。この点で人間と決定的に違うと考える。


 では、自己認識の存在によって何か行動に差が表れるか。人間が、意識を認識しているだけで意識が脳に影響を与えることがあるのか、結局はただ電気信号に従って動いているのを意識が眺めているだけではないのか。その意味では結局、人とロボットの違いはないのではないか。

この疑問に対して私は次のように考えます。


 意識は、確実に脳に影響を与えていると考えます。なぜなら、自己認識があるということを私は認識し、今それについて考え、この文章を書いているからです。これは自己認識が脳に干渉していることを証明しているといえます。


 以上の理由から、人間とロボットは決定的に違う存在であり、私はその違いこそが人を人たらしめることであると考えます。

 人ではない、ロボットとは恋人としてつきあうことはできません。


こんな風に私は考えました。皆さんはいかがお考えでしょうか。もしよろしければ、皆さんの意見をお聞かせください。

 また、慣れないnoteですので、ご不便おかけしていると思います。なにか思うところ、改善点があればお教えいただけると幸いです。

 それでは、ご覧いただきありがとうございました。またよろしくお願いいたします。


花山

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