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人生の分岐点

14歳の春休みに当時中学のサッカークラブに所属していた僕は、人生で初めて海外でサッカー出来るチャンスを手に入れた。
春休みにチームの皆でドイツに10日程、サッカーキャンプに参加して海外のサッカーを経験して、中学3年の最後に全国大会に出場するのが目的だった。だから僕もプラン通り、10日たったら日本に帰って自分達の大会に専念してどこか強い高校に行き、そこでも全国を目指すつもりでいた。

遠征出発の数日前に父親に「お前に会わせたい人がいる。」と言われ練習後、近くのファミリーレストランに連れていかれ、一人のスーツを着た男の人と会った。
僕の父親はチームの父母の会の会長をしていて、この遠征のお金の事や、代理人(.この遠征を手配してくれた人)とコーチの間に入って色々やり取りをしてくれていた。当時は僕も引く程アクティブな人だった。それくらいアクティブな人で、海外サッカーに対しても強い関心も持っていて代理人と僕を会わしてくれた。

代理人の人との話の内容は主に自分だけ良かったらドイツに長く残ることが出来て、ドイツでサッカーのキャリアを積むことが出来るとのことだった。
正直最初は興味なかったし、高校サッカーの方が興味があったので、話だけ聞いて10日間の遠征の後、僕もみんなと同じく日本に帰る予定でいた。
(その代理人のひとも何か怪しくて信用できなかったのも一つの理由だった笑)

ただ出発の日が近づいてくるにつれて考えも変わってきて「まぁ、長く残らんにせよ、少しだけなら残ろうかな」という気持ちも芽生えてきて、父親に「二か月の間ドイツに残りたい。その先はその二か月をやってから決めたい。」と伝えドイツに行った。
日本に友達がいたし、楽しく生活出来ていたから軽い気持ちで二か月という期間を決めて、日本にまた帰ってきたときに友達や親に自慢してやろうと正直浮かれた気持ちでいた。

そして全て準備が整い、チームメイト達とドイツに出発した。

フランクフルトの空港について、外に出て見えたものが全てが日本と違って、新鮮で新しかったのをたまに思い出す時がある。それくらい自分にとって貴重な経験だったのだなと今思う。 
バスに乗り込んで2時間くらいかけてDüren という町について、ホテルにチェックインしてその日は終わった。

次の日のプランは1.FC Köln の同い年のユースとの練習試合だった。当然気合も入るし、今まで以上に試合で燃えた。
その日の午前は町を散策して、リラックスして午後はケルンで試合をする予定だった。皆でケルンまで移動して、試合の準備をした。そこでも驚くことがあって、試合前なのに机の上にケーキや炭酸飲料が用意されていてそこでも、これが海外かと感じた。

試合のアップが始まって、相手の選手たちが出てきて、見えてきたのは自分よりもはるかにでかくゴツい選手達だった。それを見てこんな選手たちと今から対決できるのかと、ワクワクと緊張と恐怖が同時に来て、当時まだ感じた事のない感情を抱いた。アップをした時の自分の体の感覚、ボールタッチの感覚、全てが良くて「これはやれる」とその時は思った。
そして、笛が鳴って試合が始まる。
自分のポジション左サイドハーフで、マッチアップした選手は、あまり大きくなかったが、速く、体はもちろん強かった。
試合開始から相手プレスや、パススピード等全てにおいて相手が上だと、気づいた。自分も負けじと必死で食いついた。
試合は相手が試合開始から支配していて、守備に回るシーンの方が多かった。
前半30分に自分の人生を変えた出来事が起きる。
マッチアップした選手とボールの球際で負けて、吹き飛ばされて地面に手から強く倒れこんだ。手をついた瞬間にポキっと音が聞こえて、「これは終わった。」と思った。手を見たら手首の一部がへこんで反対側が少し出っ張ていた。それを見た瞬間に交代のサインを出して退場した。
救急車を呼んで貰って近くの病院に送ってもらい、応急処置をしてもらった。救急車での移動中は、いろんな感情が頭の中を駆け巡った。ここまで準備してもらった親に対しての申し訳なさ、自分的には調子が良かったのにかかわらず試合で全く通用しなかった自分の実力に対しての悔しさ。

治療が終わって自分1人ホテルに帰ってきたのが時間的に遅く、チームメイト達はみんなホテルで待機していた。着いた時に皆に見られて、あれはダサかったと思う。
そこからのキャンプは皆が練習や試合をしてる中自分1人だけ見学。FC Köln のプロの試合も病院診察のせいで見に行けず、人生初のブンデスリーガはそこでは見れなかった。手首は複雑骨折だったみたいでどっちみち手術のせいでドイツに長く残らないといけなくなった。

そしてそこでの自分の感情の変化は相当凄かったと思う。
初めての海外を体験して、楽しかったし自分の実力が全く通用しなかった悔しさ、ドイツ語を初めて聞いてかっこいいと思った。全てが新鮮で、残れるだけドイツに残りたいという気持ちに切り替わった。初めての手術後もドイツ語で看護婦さんに何か聞かれても全く分からず苦労をしたけど何とかして伝わったときはうれしかった。


ここで言いたいことは、人生は本当に何が起こるか分からないということ。
ドイツで生活して今もう8年経つが、沢山の思いがけない経験をすることができた。代理人の仕事も全く自分の中になかったプランだったし、こんな長くドイツに残ることも想像できなかった。本当に何が起こるか分からない。
それはそれで楽しいと思うし、自分のやるべきことを積み重ねが大事になってくると思う。
ここまでサポートしてくれた両親や今のホームステイ先の人たちには沢山の感謝がある。それにも応えたい。
正直今、やりたいこととか決まった目標はないけど、また人生の分岐点に出会ったときに柔軟な対応が出来るように力を蓄えたい。そしてまだまだドイツでの生活を楽しみたいと思う。


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