私の音楽人生

歌って楽しいな~~
私の音楽人生を忘れないようにまとめておこうと思う。
最後まで自分語りです。苦手な人は気をつけてね。







きっかけ

音楽のきっかけはピアノだった。
姉がピアノを始めたから、と後を追いかけるように3歳の時に始めた。
たくさん練習するのは大変だけど、それを経て曲を弾けるようになるのはとても楽しい。
最初のころは夢中だった。

でも姉は一度聞いた曲を即興で弾くことができる。
アレンジを加えたりして何度も繰り返し弾いてすごく楽しそう。

絶対音感の存在を知った。
才能は先天性だと7歳のときに気が付いた。

10歳のころには義務になっていて楽しいと思えなくなってきた。

それなりに努力はしたけど惰性でやっていたし、今思えば努力とは言えなかったかもしれない。

12歳の発表会の時、姉の演奏に2度の拍手が起こったのをきっかけに心が折れてしまった。


ピアノをやめると決めた12歳、最後の一曲に私は弾き語りの曲、Goose houseのSingを選んで練習した。
ピアノ教室で弾き語ったとき、先生に声がよく通ると褒めてもらったことがとても嬉しくて、よく覚えている。

弾き語りの楽しさを知ったのはこの頃だった。




私と歌

歌うことは小さいころからずっと好きだった。
9歳、学校で声が出せなかったときも音楽の授業で歌う時だけは声が出せた。
そのくらい歌は支えてくれるものだった。
姉も歌うことが好きで、よく一緒に歌ったり、10歳くらいからnanaで歌の配信をして拍手の数で競ったりしてた。(#拍手返します文化ってなんだったんだろうね)
姉は私より声がきれいで、毎回惜敗してたけど不思議とピアノの時みたいに心が折れなかった。
何度も録音と修正を繰り返して、ここの声はもう少し掠れさせた方がいいな、とか笑顔で歌った方が楽しげな声になるな、とか試行錯誤が何より楽しかった。




中学、ギターを始める

中学に上がり、私はピアノをやめた。
一年間楽器には触れず、進級した。

二年生になり、Orangestarやめありーにより心酔するようになった。
思春期だからか、衝動を歌って発散することがとても気持ちよかった。nana乱用期。

歌うことが楽しくなり、ギターで弾き語りしたらもっと楽しいのでは…?と家にあったアコースティックギターを練習しだした。

めっちゃ楽しかった!!!

このあたりで弾き語り欲が爆発して崎山蒼志、君島大空あたりにはまっていった。
アカペラの何倍も楽しい~~!
姉へのコンプレックスも薄まっていって、憧れと尊敬の対象として確立されていった。
いまだに少しうらやましいけど。




高校、誰かと音楽がしたい

高校にあがって、ギター一本と歌だけでは表現しきれない音楽がたくさんあると気付いた。
中高一貫の学校で、中高共に吹奏楽部も軽音楽部もなかったので、メンバーと顧問を集めて、軽音楽部を設立しようとした。

防音室がないので即却下された。

でもまだ文化祭という希望があった!
文化祭の昼休みのみ、ステージ発表としてバンド演奏が許される学校だった。
小学生の時オープンスクールで高校生のバンド演奏をきいてなんて楽しそうなんだろう!!と感動した。
この高校に行きたい!と思った。

絶対ステージに立つぞ!とメンバーを集めようとしたが、田舎の学校でドラム、ベースをやってる人なんてなかなかいない。
メンバーは集まらなかった…

路線変更で、歌好きの友達とピアノ、ギターの二本で弾き語りで立つことにした。
その子との出会いは中学2年の文化祭、学年演劇のアカペラでソロパートをやっていたとても綺麗な声の女の子。
仲良くなりたいな~と思ってた。
毎週水曜、三年間市内の音楽室を借りて部活みたいに練習し続けた。
これがすごい楽しかった。
その子とは今も会いに行くくらい仲良くなれて、間違いなく青春の日々だった。

しかし、高校入学の年からコロナが始まった年代のため、綺麗に3年間ステージ発表が中止になった。
ほんとに悔しかった。

幸いなことに、三年目は録画したものを教室で放映できるようになった。
それを見たあまり関わりのなかった子に初めて歌で泣きそうになったと言われ、泣いた。
憧れの先生にも綺麗な声だね、と声をかけてもらえて死ぬほど嬉しかった。
この出来事は私の人生嬉しかったこと五本指に入る。

悔しい想いはたくさんしたけどやってみてよかったと心から思った。
一緒に歌った子とは帰省するたびにカラオケに行ってる。

そして高校卒業、死んでしまいそうだった受験期を乗り越え、無事大学に入学できた。


ここからが音楽人生の本番だった。



大学、世界広すぎ、バンド楽しすぎ

私の所属してる軽音サークルはマニアックな音楽好きが多い。多すぎ。
地元では君島大空や諭吉佳作/men知ってる人なんていなかったし、正直自分は音楽に詳しい方だと思ってた。
ところがどっこいサークルで好きなアーティストの話をしたら大体の人が知っていて衝撃だった。
それどころかなんでそのアーティストすきでこの人を知らないの?みたいな空気があった。つよい。
新歓のアーティストほとんどわからなくて悔しかった。
GEZAN、Genesis、The Nationl、Bon Jovi、Franz Feldinand etc…なんですかこれは…と。
音楽ジャンルも知らなすぎる。井の中のなんちゃら。


まあいろいろ準備して小学生の時から念願だった、初めて立ったステージは緊張と楽しさで手足が震えっぱなしだった。
照明が暑くてまぶしくて、すごく楽しくて綺麗だった。
てっきりギターボーカルじゃなきゃいけないとおもってたからピンボーカルできて嬉しかった。(相対性理論とヨルシカをやったよ)

歌が上手い人も多かったから、私はここで生き残れるのか、固定バンド制じゃないし、バンドちゃんと組めるのかな、とかいろいろ不安だったが、女性ボーカルが好きな方がいて、私の声を良いと言ってくれて、バンドも誘ってもらえた。
もう卒業してしまったけどその人のおかげで今、少し自信がついてサークルになじむことができた。ありがとうKさん!!!

11月に学校祭があり、サークルも活発に動き出すのだが、私はありがたいことにたくさん誘っていただいて5バンド18曲を4日間発表した。
ボーカルとダンスだけだったが、さすがに大変だった。(ももクロとかダンスボーカルもある)
歌詞を全然覚えられない。
歌い方も一曲一曲、ここの部分はこうして~~~みたいな考えてたけど全部ふっとんだ。
精神力も鍛えなきゃいけないし、声量、肺活量、滑舌などなど問題点がたくさん浮かんできて、

なんかもう、楽しい~~~!!!歌って本当に楽しい!!!

まだまだかなわないなあ、と思う憧れの先輩はたくさんいるし、うますぎる、悔しい!と泣いてしまうくらい上手な友達がいたりするけど、自分だけの声で自分だけの音楽を歌うことが本当に楽しい。(人様の曲だけど)
それと同時に自分のオリジナル曲がなんて薄っぺらいんだろう、という出来で恥ずかしい。作曲も勉強したい。

打ち上げで出会った方と意気投合して渋谷系に片足突っ込んだり、そこからアイカツが渋谷系と関わり深いことに気づいたり、他の人ともバンド組む約束をしたり、学校祭で良い経験をたくさん重ねることができたんだな~

先月初めてサークルでピンボではなく、弾き語りをした。
穏やかな春の空気の中、各々がゆったりと好きな曲を演奏するのは心地よく、いい空間だった。
ボーカルに限らないかもしれないが、基本普段は楽器隊に支えられて私の声は成り立っている。
それを一年間実感した後に一人で演奏とボーカルを担うのは、中高生の時の弾き語りとは感覚が違う。
歌う道具として扱っていたギターに申し訳なく思って、丁寧に演奏するようになった。
これもまたいい経験だった。



最後に

地元にいたころにはこんなに音楽を謳歌できるとは思ってなかった。
辛くて悲しくて泣きながら歌ってた時代の自分に言ってあげたい。
世界は広いし、好きな音楽を熱く語りあえる、好きなだけ歌ってもいい場所がある。
毎日めっちゃ楽しいよ!

歌は喜びになる。
浄化されていく。

小学生、中学生のころ、衝動を音楽にぶつけていたのは正しかった。
あの時の経験で今の自分がある。

想いを祈りにして自分を慰めることができる。
私の歌は私のためのものだけど、ついでに誰かの心に響いたら嬉しいな。

以前Kさんに、このまま歌い続けたら卒業時にはものすごいボーカリストになる、と言っていただいた。うれしすぎ。

卒業するころには、私はどんな声でどんな気持ちで歌っているんだろう。

年老いても私は歌っているんだろうな~寄り添ってくれる音楽を口ずさみながらこれからも歩いていきたい。



ここまで読んでくださりありがとうございました。

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