5日目:アディッターナ

昨日の悪夢から空けて、瞑想ホールに行って掲示板を見るとそこには師からのメッセージ。「アディッターナ(決意の時間)では1時間動いてはダメと言いましたが、どうしてもの時はいいですよ。苦行じゃないですからね」と。先に言ってくれ。ということで、気は楽になり、姿勢変えまくりながら、瞑想を続けていきます。さすがに5日目にもなると、息を1回フンッとすると邪念が飛んでいき、30分ぐらいは無心で集中できるようになってきます。しかしすぐに眠くなってしまい、残りの30分はスヤスヤと別の無心状態に…

足がしびれて痛くなった時は組み替えてOK。しかしその前に約束。1分間その痛みを観察しなさいと。自分の足が痛いではなく、そこに痛みが存在する。どのくらいの範囲?強さ?その痛みを客観的に観察しなさいと。なかなかのオブジェクト思考。そういえば、何度も何度も繰り返された言葉が「客観的に観察しろ」、すなわち、いかなるときも冷静に心の平静さを保てということ。

師によると、日常生活では、様々な嫌悪と渇望(=欲求)が生まれては「執着」へと増幅し、身体に汚濁として蓄積されていく。心を疲労させるこの執着から身を守るためにには、1にも2にも平静さ。嫌悪や渇望に負けないバランス感。苦行で精神を強くするのではなく、ただ身体に起っている事実を客観的に観察する訓練をすることで、どんな変化にも平静さを保つようにする。もうすっかりそっち系の話ですが、毎日の瞑想やってると、身体で少しずつわかってくることになります。

そして、熱心に瞑想すれば、10日間のうちに「身体の中を自由に流れる心地よい感覚」が現れるのだという。そしてその流れが身体を浄化するのだと。もちろん個人差はあるので、感じなくても悲観することはまったくない。でも、せっかく来たからにはこのシュワシュワ現象を味わって帰りたい。浄化したい。俄然ヤル気がわいてきます。けれど、まず身体の部分ごとに変化を感じ取っていく。この地味な作業ができないとダメと。先は長そう。

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