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コロナ禍を超えて子どもたちはどんな人生を送るのだろうか

コロナにかかったクラスメイトの個人情報を守るために「親にさえ絶対に言ってはいけない」

個人情報を守るためという体で「親にさえ欠席したお友達を絶対に言ってはいけない」と言われている学校がある。公立の学校はほぼそうだと思うのだけれど、これ怖いなって思っています。

多くの親にもぜひ違和感持ってほしいって思っている。

欠席した友達を噂しろと言っているのではないので誤解しないでいただきたいのだけれど、これだけコロナが騒がれていて「大変な感染症」という認識は幼稚園児にでさえある。死ぬ人がいることも知っている。
友達がコロナで休んだら純粋に心配にならないかな?不安に思う気持ちが心の中にあるのに「親にさえ絶対に言ってはいけない」っていう教育はどうなんだろう。
私はその部分がとても心配。大きな声で「何年何組の〇〇さんがコロナにかかりました。」という必要はないけれど、かかってしまったお友達が心配な気持ちや自分の不安な気持ちを親とシェアしながら昇華していく方法を見つけ出さずにウチにこめて行き、みてみぬふりをして過ごしていく。そこから子どもたちは何を体得するんだろうと心配が募ってくる。

不安なとき、信頼できる大人に不安を打ち明けて昇華していくのが子どもだと思うのだけれど、自分の気持ちより相手のプライバシーを尊重して言えなくなっていかないかなと本当に心配になる。

私は子どもたちに詮索しないし、何か言ってきたことを他言もしない。
「**が休みだったんだけど、コロナかも、でも学級閉鎖にならないから濃厚接触者になったのかな。昨日電話したら来たいけど来れないって言ってたから。家族の誰かがコロナなのかもしれない。」と、そんな風に言ってくる時は「そっか心配だね。コロナじゃないにしてもどっちにしても大変な病気じゃないといいね。軽く済むことだといいね。」などなど小さな胸に秘めている本当は飛び出しそうな不安と心配に耳を傾けてる。
「親にさえ絶対に言ってはいけない」って言いつけを守れる子どもの心が心配。心、閉じてない?不安に蓋してない?気持ちどこかに置いてきてない?大丈夫?

タブレットでのオンライン授業なんかしたら、テーブルの下にスイッチ隠してゲームするわ(我が子)

タブレットを通じたオンライン授業は子どもたちにとっても学びになるんだとは思う。これからの時代は端末が使えれば便利だし、受験の出願だってオンラインだし必要なのはわかるのだけれど、小学生から必要なのかと日々心のどこかで疑問に思っている。

私たち大人は人と面と向かって言葉を交わし、心を交わした土台があるからデジタルツールとしてオンラインでも対応できている感がある。けれど、それでも本来のライブ感に勝るものはない。

怖いなって思う理由の一つに、タブレットでの授業や課題と提出とかを子どもたちが受け入れていることがあるんだけれど、それってできてる感だけを得てないか大丈夫かなって心配になる。乱暴な言い方だけれど、勘違いの達成感みたいな。

オンラインで授業ができること、文科省のギガスクール構想(https://www.mext.go.jp/a_menu/other/index_00001.htm)には理念もあるんだなってことはホームページを見るとわかる。
でも、本当の使い方はどうあるべきなのかを現場をみて、子どもたちの学びを実際に見てそれで決めたの?そんな思いが沸々と湧いてきてしまう。

ギガスクール構想で子どもらしくいることを奪われてしまってないのだろうか。
実はアダルトチルドレンを育成してしまっていないかと案じている。オンライン授業を受けている子ども、確かにできてる感はあるのだけれど、本当にそれでいいの?子どもらしいの?そして身につくのだろうか。何か大切なものをすっ飛ばしてないか。
土の匂いを知らずして土を語るのか、ICT教育を通じて土に興味を持ち本物に触れにいくのか。
本物の土に触れてからそれ以上の情報を得るために端末を使うのか。

我が子が通っている学校でもギガスクール構想の一環でiPadが支給されていて、遠く離れた学校との交流に使っている。本来なら会いにいくところ、コロナで会えないのでそういった使い方はもちろん便利だし、テクノロジーに助けられている学びもあるのは事実。でも、私の心のありどころとしては本当は実際に会ってほしいし、その地に足を運んでそこの地の空気の匂いとか風とか色々感じ取ってきて欲しいなと思うところだけれど・・・今は叶わないのでiPadでのオンライン交流の機会は貴重なものになっている。

我が子の通う学校でオンライン授業やオンラインによる課題提出等はまだなく、手を動かし頭を使う感じなのでホッとしているところです。
我が子は「もしオンライン授業になったら、飲み物とお菓子とスイッチをここにおいてカメラオフとかしながらゲームする」と言っている。なるほど。それが子どもの真の姿よね。と苦笑い。
家でお友達とオンラインで画面を繋いでゲームをしたり折り紙したり、絵を描いたり宿題したりしているので、ミュートとかカメラオフとかお手のものなんですよね。
そんなこともあって、オンライン授業をお利口に受ける姿勢がアダルトチルドレンの育成に繋がっちゃうんじゃないかって思ったってことです。

オンライン授業なんて絶対やだよ

オンライン授業なんて絶対やだよと我が家の子どもたちはいう。
コンサートやライブを会場で見るのと配信で見るのとじゃ受けるものが全然違う。
家でテレビもスピーカーもいい感じにしても、ライブで生でそこにある全部を音も照明も空気感もその場にいる人の思いとか全部を体で感じるから心が動くのに。と娘に言われた。
確かにそうだよね。うん。というとさらに続ける「生で感じて目で見て考えるから勉強しようと思うけど、オンラインで先生の顔見て何か言われても何も面白くないし学ぼうなんて思えないと思う」と、言われてしまった。ですよねぇ〜

パソコン等ガジェットが使えるようになること=大人ではないし立派でもない。
パソコンとかは単なるツールだから、道具をうまく使うための土台を人としての土台を積み重ねてほしい小学生時代にタブレット、使いすぎは怖いなと

高い山は裾野が広いんだよなぁ。富士山とか。小さいうちは裾野をできるだけ広くして行きたい。

行事の少なさが与える心の踊る感覚の足りなさ

「学校に行きたくない」と感じるお子さんが増えているのかな、そういう声を聞くことが増えている気がします。(気のせいだといいのですが)

その理由の一つに学校での楽しい行事、お勉強ではない部分が減っていることがあるのではないかと思わずにいられません。事実、感染症対策でたくさんの行事がなくなっている。
移動教室や社会科見学、運動会、秋には劇の会、音楽発表会とかそういったものが設定されている学校も多いと思うんだけれど行けずに2年過ごしている学校も多い。

そもそも勉強が苦手で学校では課外活動が得意な子にはしんどいだろうなぁとも思ってしまう。

入学式をせずに高校生になった友人の子(高3)がオンライン授業も多くて高校に入った気がしないといっていた。それを聞いて心がズーンとなったよ。

運動会も無くしたり、学年別にしたり短縮したりしてる。
短い運動会や行事は保護者は楽だけれども本当にそれでいいのかなって、文化って伝承されていくものだと思う。
悪しき文化は無くなってしまえと思うこともあるけれど
自分のレベルより遥か上にいる人を見るから見習うことって多くて、語られて学ぶことばかりが学びではなくて、目で見て真似る。これって結構子どもは自然にしてることが多いのかなって。
そのようにして身につけていくことって多いのでは?と疑問に思ったり

幼稚園の年長児のリレーは毎年、猛烈に熱い戦いで親も先生ももちろん子どもも涙するほどの熱い戦いだったんだけど昨年はぼんやりしちゃっていた。
周回遅れに気づかない子どもたちを見て、成長できてない部分があるのかなとも思ったりした(素人のくせに)

この年長の子達が熱いリレーを見たのは年少の一回きりだから
今まで易々と伝えられていったことが、途切れ始めている。そんな感じがしてしまった。
学校行事がなくなって功を奏するケースもあるとは思う。学校行事が苦手だった子にはラッキーとしか言えない状況もあるでしょう。
ただ、失っているものも多いよなぁと日々思う。
我が子を見てもそう感じてしまう。

人生で一番楽しいはずの子ども時代

子ども時代なんて人生で一番いうこと聞かなくてよくて、人生で一番自由で、一番楽しいはずの時。そんなときに、命を脅かす感染症が流行り、感染対策で自由も奪われる。

幼稚園の遠足はお弁当がなくなって、劇の会はオンライン配信になった
幕が開いたときに見えるたくさんの観客のこちらを見る顔に緊張し、それをはねのけ踏ん張り自分だけのセリフを言うという場面を経験するチャンスを逃したなと思っている。

年長は必ずセリフを一つ言うんだったんだけど、マスクを外して言葉を発するのは無しになったので音楽に合わせて踊るだけ。それでも幼稚園の先生方は、最大限のできることを考えてくださっている。感謝しかないけれど、経験の差が否めない。
子どもたち全体的に眺めていて、なんとなく幼さを感じてしまうんだよね。でも、その幼さは感染対策で減らされたふれあいの機会とか、その他もろもろいろいろなことが子どもたちに影響しているのではと案じている。

人の顔、全体が見えないことの影響

基本、マスクの生活なので顔が見えない目から上の情報しかない中でコロナ前に出会った人もマスクを外した顔を忘れてしまうほど。
そして、マスクしているから誰だかわからない。
私がこんなんだから、子どもたちはもっとだろうなと思うんだけど。

でも、子どもたち結構ちゃんと見つけてくれるよね。
すごいなと思う。目から上だけの情報と体型で判断してるんだろうか。
口が隠れているから笑っている顔をちゃんと見ることが少ない。
笑ってる顔って見てるだけでハッピーだから、それを見る機会が減ってると自分の幸せも減ってそうでハラハラするわ。
表情から読み取る力とか、薄れていかないのかなとか心配。
心からの笑顔を子どもたちがいつでも見れる時代、はよ来い。

必然的に増えるテレビの時間とゲームの時間

スクリーンタイム、めーーーーっちゃ増えていませんか?
うちは一日1時間、休みの日は1.5時間と決めていたのですが、やはり出かけられない日が増えて、親もゲームやテレビをしている姿に慣れてしまって気づいたら3時間とか(午後まるまる)経っていて驚愕します。
これは大変と思って「復活カード」を導入しました。お外で10分体を動かすとか、雨なら室内でトランポリンでもいいしボードゲームをしても30分復活します。


スクリータイム管理表
スクリーンタイムの管理表です

ゲームから学ぶこともたくさんあるし、悪影響だけではないのもわかっているのだけれども・・・
スクリーンに向かう時間が増えれば増えるほど、脳の発達に影響があるとわかっている。視力も育たない、骨も育たない、コミュ力も育たない。
今の成長期にしか得られないものと引き換えにしなきゃならなすぎて、戸惑う。とても悩む。
そんなこと思いながら、雨が続く休日には付き合いきれなくてテレビやiPadに頼ってしまうこと多い。
Netflixも解禁してはや一年。すっかりオンデマンドな暮らしをしている。永遠にテレビが見れる。
これではいけないと気を引き締めているけれど、お出かけがしにくいのでどうしても家の周りとか自然の中で遊ぶことが多くて
そして、今年の春、雨が多くないですか?
ゲーム三昧です。

斜視になるお子さんも多くて、特にスマホみたいな小さい画面に焦点を合わせようとすることが子どもの未熟な目には良くないと。手術が必要なケースもあって、手術しても治らないほど悪化してしまうこともあるのだと医師との雑談の中で伺い、我が子たちは気をつけています。(スイッチはテレビの画面でする)

これでいいのかな。そんなことを思いながら、子どもたちの毎日が多くの幸せに溢れかえってることを祈ってやまないです。

手仕事もしてみるんだけれど、こちらの気持ち的に
付き合いきれない日も多々あるのも事実、ゲーム便利、テレビありがとうと思ってしまうことも多い。でも、私がしんどくなったらどうにもならないのです。悩ましい本当に。コロナ、早くおさまってほしい。
ワクチン3回目までの接種率46.7%(4月12日のgoogleによる)

この低さでなんでも解禁したら感染者は減らないだろうと思ってしまうよ。

カービーフエルト
フエルトでチクチク


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