セクシュアリティ


中学に入ったあたりからだろうか、同級生の会話に恋愛が頻繁に出現するようになる。

私には「彼氏が欲しい」という感覚も、「〇〇と付き合いたい」という感覚も存在しない。

彼氏って何?付き合うって何?

人生に他人を必要としたことがないというか、他人と人生を共有することは考えられない。

それは他人を信用していない弱さだと、恥じた時期もあった。

誰かに自分をさらけ出して受け入れてもらおうとする恋愛行動は当時の私にとって人間関係における強さの表れとも受け取れた。

私には他人に自分を晒そうという考えがないし、相手のことを独占したいという欲求もない。そもそも他人を独占できるなんて思ったことない。

確かに「好き」と感じることはある。他人に興味を持つことだってある。

でもそれは恋心とは少し違うようで、理解されることはない。

好きな人は何をしていても好き。道端にポイ捨てしてようが、浮気していようが、犯罪行為に走っていようが。その人が笑っていても、泣いていても、怒っていても魅力的だと感じる。

でもその人を笑わせたいとも、幸せにしたいとも、その人が困っていたら助けたいとも思わない。

その人の人生を知りたいだけで、その人の人生に自分が参加したいとは思わない。

人間として興味があって、観察したいだけ。関係したいわけではない。

その人が死んだって、どうでもいい。

その存在が好きなだけだから。死んだって、その人の存在はなくならない。

冷たいのかもしれない。冷めてるんだと思う。

こんな自分を欠陥品だと認識して、上手に育たなかったことを親に申し訳なく思う。

誰かを愛する能力がない。

それだけではなく、私には愛される能力もない。

他人の優しさは素直に受け取れないし、恋愛感情を向けられるのが苦手だ。

20年間生きてきて、好意を寄せられた経験がないことはないが、すべて気持ち悪いと感じて避けてしまった。

恋愛に嫌悪感があるわけではない。

恋愛小説も少女漫画もロマンスのドラマもそれなりに楽しむ。

子孫繁栄のためにはセックスが必要で、セックスにはたいていの場合、愛情という前提条件がある。

それは理解しているし、心が満たされることなんだと感じることはできる。

でも当事者になることを考えたらすべてが色褪せる。

せっかく他人に好いてもらったのにそれを気持ち悪いと感じてしまう自分が申し訳なくて情けなくて恥ずかしい。

でも最近はそんな自分を受け入れてきた。

私には無理だ。

諦念ではない。事実として、無理なのである。

私には他人を性別を通してみる視点がない。みんな違う個人だ。

性的関心も希薄。

最近ではLGBTの話をよく聞くようになったが、なんでそこまで性別にこだわるのか理解できない。

性別は男と女だけじゃないんだ、とか、恋愛は異性間だけのものではないんだ、とか。

だから?って感じ。

そりゃそうだ、他人を男か女かで判断したって何の役にも立たないし、他人を好きになるのにルールなんていらないだろう。

男女に二分したがる人も、LGBTへの理解を求める人も、どうしてそこまで性にこだわれるのか不思議だ。

そんなの、「週1で爪を切る人」と「隔週で爪を切る人」で分類するのと同じくらい意味が分からないし意味がないと思う。「月1で爪を切る人もいるんですよ」なんて言われても、あっそ、って感じ。

そろそろ爪切らなきゃなぁ…


この年になって恋愛経験がないこともセックスの経験がないこともそれなりに驚かれるしなんで?と言われる。

いや、逆になんで?

恋愛が人生に存在する感覚が理解できないゆえに、同世代の人と理解しあえずハブかれることが多々ある。

私はおかしいんだな~、理解できない自分の低能さが人に嫌われる原因だよな~、なんて思ってきた。

自分には性という感覚が存在しないという意味で適当に「ノンセクシュアル」という言葉を使ってきたけれど、ちゃんと言葉の意味を知ろうと思って上述の記事を読んだら、私には恋愛感情がないのだから「アセクシュアル」なのではないかという結論に至った。

この前バイト先の人と恋愛経験の話になった時に「ノンセク」という言葉を使ったら、「男女以外に性があるの?どういうこと?」と聞かれた。

それって、「白と黒以外に色があるの?」って聞いてるのと同じじゃない?

赤や青や緑に対して、「あんたは白なの?それとも黒?」なんて質問はナンセンスだ。

とりあえずここで訂正しておこう、私ノンセクではなくて正しくはエイセクだったよ。多分。

他にもっと当てはまりそうなカテゴリがあるのかもしれないけど、自分がいわゆる”普通”に恋愛できる人間でないことが自覚できているからそれでいい。太陽の色が赤だろうが橙だろうが、黒じゃないことを知っていれば画用紙に描かれたぐるぐるを太陽だと判断できると思う。少なくとも私は太陽の色にそこまでこだわりを持っていない。


別に理解してほしいわけではない。

私に男女観が理解できないように、男女観を持っている人には私の感覚が理解できないだろう。

こういう存在もいるんだよって知らせたいわけでもない。

ただ、自分の感覚に照らし合わせて「なんで?」「どういうこと?」という疑問を抱くとき、その相手もまたあなたに同じ疑問を抱いているかもしれないことは全員が了承しておくべきではないだろうか。

セクシュアリティの話だけではない。

自分の常識と合わない人に出会ったら、その人にとってもあなたは常識に合わない人なのだ。

私の価値観に、価値を見出してくださりありがとうございます。