30.国なんか文化で侵略できる。
①イスラム教が成立
ユスティアヌス帝が死去してからほどなくして、アラビア半島に新たな預言者が生まれた。
ムハンマドだ。
ムハンマドは言う。
「神の名をみだりに唱えてはならぬ。ただ神とお呼びしろ。」
「ユダヤもキリストも間違いではない、同じ神から言葉を授かった。しかし完全ではない。完全なる最新の言葉はイスラム教である。」
「我々も偶像の崇拝を禁止している。・・・ん?」
②キリスト教同士が揉め出す。
ムハンマド「キリスト教よ。そなたらの教会にあるその像は偶像ではないのか?神は偶像を禁しているぞ?これはどういうことか?」
キリスト教徒「・・・。」
イスラム教信者は年々増加していき、東ローマ皇帝は焦っていた。
皇帝「このままでは、ローマ帝国はイスラムに乗っ取られてしまう!」
ビザンツ皇帝は聖像禁止令を出した。しかしキリスト教のローマ教会は認めなかった。
ローマ教会「我々はペテロの後継者!イエスの正当なる後継者!言い換えれば地上における神の代理人!地上の支配者の皇帝ごときに従えるか!我々は今、文字もわからぬゲルマンに布教せねばならないのだ!そのためには偶像は必要なのだ!」
こうしてローマ教皇とビザンツ皇帝、どちらがキリスト教のトップにふさわしいか激しいバトルが始まったのだ。
首位権はどちらに!
③イスラムがキリストを飲み込む。
イスラム教が広まっていき、シリア、小アジアの一部を取られてしまった。ビザンツ皇帝は焦って、軍事力を高める。
軍管区制だ。地方に司令官を配置して迅速な対応を図ろうとした。
現地に権限を移譲して、お伺いを立てなくてもいいとしたのだ。
小アジアで軍管区制は機能した。イスラムはビザンツ帝国の抵抗に他の地域に広がることになった。
アフリカ、イベリア半島もイスラムの手に落ちた。ビザンツの周りはイスラム教だらけになっていった。
この勢いを止めたのはローマ帝国ではなく、ゲルマン人のフランク王国だった。当時、メロヴィング朝の宮宰カール=マルテルの指導の下、戦いが起こった。
ゲルマン人強し!!!!!!!!!!
イスラムを一蹴し、ヨーロッパを守った!!
これを見ていたのはローマ教皇。
教皇「あいつらは使える・・・。」
④武力ではなく、文化で侵略できる。
大航海時代のキリスト教も布教することで他国を精神的に侵略して国のあり方を変えた。(背景に武力はあったけども直接的な原因ではない。)
近代日本も明治になると個人主義が輸入されて、日本人のあり方が変化した。文学にも影響を与え、それを読んだ人々も感化されていく。
戦後の日本もGHQに教育をいじられ、日本の国体が大きく変化した。
毎週毎週ちびまる子ちゃんを観て、「普通の家庭の暮らし」を刷り込まれた。
TVでAKBやジャニーズを毎日観せて、「美しさ」の価値を規定していく。
You Tubeを一日中見て、ホリエモンに影響されて学校に価値を見出そうとしない人々が増える。
侵略されるのではなく、侵略すべきだとつくづく思う。
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