75.30年も戦争するなんてあり得なくない?
①きっかけは反乱。
ハプスブルク家神聖ローマ帝国はカトリックの守護者。しかし、ここにルターが現れて宗教改革が起こった。
結果、アウクスブルク宗教和議で領邦ごとに宗派を選んでいいことになった。
問題はベーメン。ここは以前、異端者フスがいた地域。まだまだカトリックへの恨みは根強い。しかしベーメンの領邦はカトリックでいくと言い出した。ベーメンの人々は当然反乱するに決まっている。
②ベーメンに応援する領邦。
ベーメンを支援するザクセンをはじめにするルター派の領邦。
それに対して反乱を鎮圧する皇帝に支援するカトリックの領邦。内戦の勃発である。
②デンマークの侵入
デンマークがこの内戦に介入する。クリスチャン4世である。新教として影響力を残しておきたく、侵入してきた。神聖ローマ皇帝はかろうじてこれを退けた。
③スウェーデンの侵入
同じくスウェーデンのグスタフ・アドルフが侵入。北海のライオンと呼ばれ、その雄姿はヨーロッパに響き渡る。これにもなんとか神聖ローマ皇帝は耐えた。
④傭兵の存在。
神聖ローマ帝国の兵たちを率いていたのはヴァレンシュタイン。
なんと傭兵である。
この時代の戦争は傭兵たちが行なっていた。金で雇われているため忠誠心のカケラもない。お互いに死なないようにダラダラダラダラ攻撃を繰り返した。
だからこの時代の戦争はながーーーーーーーーーーーかったのだ。
⑤傭兵の心は醜いのか?
ヴァレンシュタインは次第に態度が大きくなる。金銭のUPを要求したりして、裏切りをチラつかせたりした。皇帝はこんなヴァレンシュタインを暗殺した。
さよならヴァレンシュタイン。
⑥フランスの侵入
ヴァレンシュタインのいない中、内戦は混乱状態だった。ここに隣国フランスが介入してくる。あのルイ13世の宰相リシュリューだ。フランスの攻撃にもなんとか耐えていたが、もう限界だった神聖ローマ帝国。戦争の終わりを申し出た。
ちなみに、イギリスはこの時、自分の国の革命の処理で手一杯だったので出てこない。
⑦ウェストファリア条約
主権国家体制が生まれた最初の近代条約と呼ばれるこのウェストファリア条約。神聖ローマ帝国は有名無実化し、ハプスブルク家がもつオーストリアだけになった。もはや歴史の表舞台に神聖ローマ帝国は登場しない。
神聖ローマ帝国がなくなったことで中の領邦がそれぞれ主権国家となった。
自治権だけではなく、外交権などもそれぞれの領邦に付与された国家として動き始めた。最後のアルザスロレーヌ地方は石炭鉄鋼が出る地域。ここを所有すれば経済力の発展がすごい。
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