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スライドで授業する世界史

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#イギリス

94.イギリス産業革命その3

①産業革命が起きた理由。 理由は三角貿易での奴隷を売買し、綿花産業で儲けるあの産業構造を壊さないようするため。 もう一つは、都市への人口流入による労働力の急増。人々は農村から追い出されたのだ。 イギリスは北海道の寒さ。だから自給するには食料が足りず、フランスから輸入していた。しかし、フランスと仲が悪く、輸入が止まることもしばしばあった。 イギリスの農民は次第に自給する道を模索しだした。 ②農業革命 農作物を増やす方法は二つ。 ①生産面積を増やす。 ②生産性をU

93.イギリス産業革命その2

①鉄鋼業 上は鉄鉱石。これは酸化しているためにこんな色をいている。錆びているだけなので還元反応を起こして純粋な鉄にする。 木を燃やして鉄を作っていたために大規模な森林伐採が行われた。 よって使用されたのが石炭。植物の化石だ。しかし石炭には硫黄が含まれており、鉄をボロボロにしてしまう。だから石炭を熱して硫黄を熱で飛ばして純粋な石炭にした。 ダービー父子がコークス製鉄法を編み出す。 石炭を掘り出すために炭鉱が次々に出現し、顔が真っ黒な人々がたくさん街に現れた。炭鉱では水

92.イギリス産業革命

①機械の導入 イギリスで発生した産業革命は機械が導入されて生産効率が爆発的に上昇したことで生活様式や思考方法すら変化してしまった。 ②工業の進化形態 最初は問屋制家内工業。個人で問屋から原料を買ってきて生産する方法。しかし効率が悪いので次第に個人から集合して生産し始めた。これが工場制手工業。別名マニュファクチュアという。江戸時代にはマニュファクチュアで生産されていた。 ③軽工業の発達 工程の名称のまとめ。 綿繰り:綿花から綺麗に綿を取り出す。 紡績:綿を糸状にす

91.三角貿易

イギリスから銃がアフリカへ。 アフリカで奴隷を乗せてアメリカへ アメリカでタバコと砂糖を乗せてイギリスへ これが三角貿易。 しかし、銃がだんだん売れなくなる。争いが沈静化したのか。そしたら次は。毛織物を売る。しかし売れない。 暑いから。 どうする。 毛織物ではなく、綿織物なら暑くないだろう。 しかし、綿はインドから輸入して作る。キャラコは質がいい。 結局、貿易で一番儲かったのはイギリスではなくインドだ。 イギリスはなんとか綿を自作しようと考えた。これが

90.奴隷貿易とアシエント権

①人間が商品になるまで今回のタイトルはなんとなく歴史の教科書っぽいな。 大航海時代。インディアンたちはタバコを吸っていた。ヨーロッパ人が吸ってみたら気持ちよかったので輸入することにした。しかし、病気や戦いで働いてくれる人口がどんどん減少していった。 アメリカ大陸にいる労働力を補わないといけない。どこから連れてくるのか。 ポルトガルはアフリカ大陸に武器を輸出していた。 アフリカで部族同士の対立が激化していたからだ。ベニー王国やアシャンティ王国は銃を持って弓をもっていた他

89.イギリスのアメリカ進出

①イギリスの海外進出 大航海時代ではポルトガルスペインが各地に植民地を形成した。スペインはポルトガルを併合し、太陽の沈まぬ国と言われていた。 全部スペイン王フェリペ2世の領地。フィリピンなどはフィリペ王子の島で名前がついた。 アルマダ海戦でスペインがイギリスオランダに敗北すると、スペイン植民地がイギリスとオランダに奪われていく。 イギリスは新大陸に植民地を苦労しながら作った。技術を蓄積しながら数回。ローリーという人物が開拓に成功し、ここのエリザベス陛下の土地という意味

88.名誉革命

①ステュアート家の王政復古 フランスのルイ14世のところへ亡命していたチャールズ1世の息子たち。 チャールズ2世とジェームズ2世。 長いことフランスにいたためにゴリゴリのカトリックとなっていた。そしてルイ14世にかりがある。 王政復古はいいが、イギリス国教会がなくなるのは貴族たちはよしとはしなかった。だから議会でこのカトリック息子たちの横暴を防ぐ方法を考えた。 審査法:公務員がイギリス国教会のみ 人身保護法:国王が勝手に逮捕することはできない。 カトリックかどう

87.独裁は王がやることではない。

①王がいなくなった後。 リーダーを貴族の不満によって処刑してしまった。次に政治を行うのはクロムウェルだ。 クロムウェルがイギリスを引っ張るということで市民たちも応援した。こいつらを水平派という。 そしてクロムウェルは水平派を弾圧した。文字もかけない奴らが政治なんかわかるわけないだろう。愚民は黙ってろということ。 学がない者は何もいう資格はないし、戦えもしない。弾圧されたとしても対抗する手段すら知らない。不満だけ言ってストレス発散して酒飲んで寝ていろ。 ②クロムウェル

86.ピューリタン革命

①スコットランド反乱 ステュアート家だけではこの反乱を抑えられないから貴族も手伝ってもらおうと協力を要請するも貴族はこれを拒否。理由は議会を停止したから。 議会をしぶしぶ開くチャールズ1世。 チャールズ「さあ、議会を開いだぞ。兵を集めるから金を出せ!」 議会「我々はそんな話はしない。代わりに11年間にも及ぶチャールズ1世の独裁を強く非難する!」 チャールズ「うるさい。やはり貴族どもは・・・。議会を解散する。」 これが短期議会。 ②続くスコットランド反乱。 つい

85. ステュアート家

①テューダー家断絶 「私はイギリスと結婚しました。」 そういったエリザベスは子供を作らずにそのまま家は断絶。 議会は次の王を選ぼうと探した。ヘンリ8世の姉がスコットランドへ嫁に行っている。その子孫のジェームズ1世をイングランド王として招くことになった。 ジェームズはスコットランドとイングランドを往復しながら小さな島の王になった。こうしてステュアート家が次の王朝になった。 ②誤算だった議会。 なんとジェームズ1世は絶対王政を強制。イギリス議会のルールを全部無視した。

81. イギリス宗教改革

①薔薇戦争を終わらせたもの イギリスはノルマン人が作った国。その後、フランスとの領土問題に荒れ、百年戦争。フランスのジャンヌ=ダルクの登場によって形勢逆転負け。イギリスは戦争の余波から貴族同士の争いが勃発、これが薔薇戦争。30年余り続いた薔薇戦争を終わらせたのがテューダー家だった。 テューダー家のヘンリ7世は反抗する貴族を星室庁裁判所で次々と処罰。地さらに地方はジェントリの自治に任せた。フランスは中央から長官を任命したわけだが、イギリスは違う。 ②ジェントリの存在 主

55.中世のイギリスとフランスNo.2

①十字軍の要請に。 十字軍の派遣を教皇からされてしまったフランスとイギリス。留守の間、お互いの領地を攻め込むことのないように約束し、イェルサレムへ。 道中、バルバロッサ(フリードリヒ1世)が川に落ちて溺れて死んでしまう。リチャードとフィリップはもう喧嘩ばかり。 終いには、フィリップは帰路についてしまった。 フィリップ「もともとこんな計画は無謀だったのだ。帰る。」 リチャードは冒険心やら野心やらで支配されており、そのままイェルサレムのサラディンと衝突。 ②帰ってきた

54.中世のイギリスとフランス

①終わるノルマン朝。 ノルマンコンクエストでウィリアム1世がイングランドの国王になった。そしてウィリアム1世はフランスではノルマンディー公だった。フランスの家臣でありながらイギリスの王という謎な関係になった。ウィリアム1世からノルマン朝が始まり、時代はヘンリ1世。問題が起こった。後継ぎを乗せた船がドーバー海峡に飲み込まれたのだ。 ホワイトシップの遭難だ。ドーバー海峡はとても流れが早く多くの船が沈んでいた。例に漏れず王子たちの船も海の藻屑となった。 これは痛い。 ②始ま