89.イギリスのアメリカ進出
①イギリスの海外進出
大航海時代ではポルトガルスペインが各地に植民地を形成した。スペインはポルトガルを併合し、太陽の沈まぬ国と言われていた。
全部スペイン王フェリペ2世の領地。フィリピンなどはフィリペ王子の島で名前がついた。
アルマダ海戦でスペインがイギリスオランダに敗北すると、スペイン植民地がイギリスとオランダに奪われていく。
イギリスは新大陸に植民地を苦労しながら作った。技術を蓄積しながら数回。ローリーという人物が開拓に成功し、ここのエリザベス陛下の土地という意味の「ヴァージニア」と名付けた。
さらにここにピューリタンたちがやってくる。こうして本格的に拡大を見せるわけだが、アメリカの始祖たちピルグリム=ファーザーズたちはイギリスから追われてきたのだった。
ステュアート家のジェームズ1世が絶対王政を強いて、ピューリタンを迫害したからだ。
数十年かけて、徐々に植民地を拡大していく。(地図は本当にざっくりしています。)
②オランダも進出
ここでオランダもニューアムステルダムを建設。ここでイギリスに変わって商品の運搬業を行なっていた。中継貿易。
③ぶつかる英蘭
世界でぶつかってきた英蘭。ここ新大陸でもぶつかる。オランダに利益を独占させないためにクロムウェルは公開法を制定。イギリスの荷物はイギリスの船のみが運ぶことができる。
こうしてオランダが批判し、戦争がスタート。そしてイギリスが勝利する。
ニューアムステルダムは名前をニューヨークと改める。現在は金融の中心のウォール・ストリートがある場所だ。
④イギリスとフランス
イギリスは人口を新大陸へ逃がすために真剣に植民地経営に取り組んだ。フランスとは力の掛け方が違う。フランスの植民地を排除しないと。
ということでフランスがヨーロッパで戦争している時に合わせてイギリスはフランス植民地に攻撃を仕掛けた。
一番大規模だったのが、フレンチ=インディアン戦争。
原住民がフランス側についたのでもろとも攻撃した。
そもそもなぜインディアンがフランスについたのか。フランスが友好的に商売していたからだ。
イギリスはインディアンを力で排除したが、フランスは懐柔し、商売した。これが大きな差となった。
しかし戦争はイギリスに軍配が上がってしまった。
結果、イギリスは植民地をさらに拡大。
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