感受性の話

もういやだ、本当にいらない、感受性なんて。いや0だと困るけど無駄に高いのも困る。人が苦しんでたり悲しんでたり葛藤してるのを見つけただけで狂いそうになる。とにかく叫びたくなる。だからTwitterで叫ぶ。ああああああああって。

しばらくTwitter見る頻度が落ちて気付いたことは、花車ざくろを運営している時が1番病んでいる、ということである。あの垢は基本精神が病んでる時に使っているので、フォロー中もオススメも割と病んでるやつが流れてくる。いちばん面倒なのは、そのフォローしてる人達の事は好きだということだ。

見なければいいのだ。嫌いなものは。でもたまたま見えてしまうこともあるのだ。辛い。嫌いだ。この世界が。とりあえず作詞をしたい。作詞した所で、それが曲になる訳でもないのだが。そう、感受性は作詞だけに役立っているのだ。もう少し感受性無くなっちまえと思う時もあるが、無くなると私の特別性も無くなるので困るのだ。

あぁ、めんどくさいなぁ…最終的に他人の辛い話見ると死にたくなるんだよな…本当に全てめんどくさい楽になりたい

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