長崎に引っ越してからも 地元の福岡県には年に数回帰省していました。 この時ぐらいから2個上の従兄弟から 性的な悪戯をされるようになっていきます。 もちろんそんなことは親にも叔母にも誰にも言えないし 私は元々身長も低くて小柄だったのと 従兄弟が体格が良くて身長も高かったので 力では敵わないというのを理解していて、諦めていました。 最初は軽く触られたりする程度だったのがどんどんエスカレートしていって 忘れもしない小学5年生の夏休み 痛かったし暑かったし汗だくでエアコンもついて
母親の再婚相手の父親の地元である 長崎県に引っ越しました。 7年ほど住むことになるのですが 本当に色んな思い出があります。 まず父親の地元の五島に引っ越す予定だったものが 父親が全て嘘をついており長崎市に住むことになりました(もうやばい) 本当に死ぬほど苦労したし母親は大変だったろうし父親はクズだったけど優しかった 妹と私は楽しく暮らせてました ただ父親が金を持って逃げるので極貧生活でしたが、母がなんとか死ぬ気で働いて私たち姉妹を養ってくれました。 母親はこれまでに何度
私は保育園の時からちょこちょこ ここから飛び降りたら死ねるかな?とか よく分からないことを考えてました。 今思うと筋金入りでめちゃくちゃメンヘラだったんだなと思います。 母は料理や裁縫、お菓子作りなど 本当に多才で母を超える人には出会ってません。 母は若い頃本当に美人で 私の父親である男と出会わなければ 多分苦労せず幸せに生きたと思います。 母親のことは本当に尊敬しています。 私は結婚したら 母親のような母親になれる自信が無いぐらい 母は偉大です。 よく殴られたり暴言
産まれる前からエリートメンヘラと 言うのには理由があって 母親も家庭環境が非常に複雑であり もちろんその家庭環境の複雑さから 母親も大変な思いをしてきました。 ここでは詳細を省きますが。(後日別でこれは記したい) まず私がこの世に生を受けたとき 父親に「俺の子じゃない」と言われたそうです。 まぁ私は父親そっくりに生まれてきて 後に生まれる妹も父親に似てました。 成長した今母親に似てきたねと 周りの人に言われるようになりましたが。 母親は本当に苦労して私たち姉妹を育ててく
はじめまして あまりこういうことは長く続かず 一日坊主になってしまう可能性が 非常に高いですが始めてみようかと思います。 文才がないので読みにくいですが よろしくお願いいたします。