問題児

産まれる前からエリートメンヘラと
言うのには理由があって
母親も家庭環境が非常に複雑であり
もちろんその家庭環境の複雑さから
母親も大変な思いをしてきました。
ここでは詳細を省きますが。(後日別でこれは記したい)

まず私がこの世に生を受けたとき
父親に「俺の子じゃない」と言われたそうです。
まぁ私は父親そっくりに生まれてきて
後に生まれる妹も父親に似てました。

成長した今母親に似てきたねと
周りの人に言われるようになりましたが。

母親は本当に苦労して私たち姉妹を育ててくれました。
父親はクズだったので母は離婚して
女手一つで死ぬ思いで昼夜働いて
私たちを養ってきてくれました。

母親に恋人ができることもありましたが
母は恋人に対して
「我が子達最優先にしてくれるなら付き合ってもいい」
そう言った条件で相手を選んでいました。

確かにその辺に関して嫌な思い出はないし楽しかったです。

離婚する前は私は制服の可愛い幼稚園に通っており
離婚後は保育園に通っていました。

私にまともな記憶があるのは保育園の年中さん位の時からかな?
母親がまだよくヒステリックを起こしたりする頃で
正直私は文才がないので時系列がバラバラになったり
感情がごちゃごちゃになったりして
読みにくいと思います、
ですが書きます。

昼間仕事をし夜も働いて必死に育ててくれたことには感謝しかないです。
未就学児ふたり抱えて生きるのは本当に大変なことです。
でも寂しいとか父親がいないことで嫌だったことはないです。
母親には「あんたが1番手がかかる子だった」
とよく言われますが
過去を振り返るとマジで本当に大変な思いさせて生きてきたなって思います。

それこそ小学校に入る前
睡眠時無呼吸症候群になって寝てる時に息してないことがわかって
大きめな病院に入院し、手術しました。
めちゃくちゃ手術後がしんどすぎて
食べ物も飲み物も禁止で母親をボコボコに蹴りあげました。
母親は「ごめんね、ごめんね」と言うばかりでした。
今思うと本当に申し訳なさ過ぎて
母親のせいじゃないので胸が苦しくなりますね。
あとは
母親が仕事に行く時に預けられた際
母親にバイバイしようとする一心で
妹と走って足がもつれて転けて
治安悪めなアスファルトの上で盛大に転けて
顎がぐちゃぐちゃになって血が止まらず
4針ぐらい縫いました。
超母親に心配かけたと思います。実際かけましたね。

と言った感じで小学校に入る前の大きな出来事はこんな感じで

まとめると
・ワイ産まれる
・父親に俺の子じゃないと言われる
・母親、父親からのモラハラで苦しむ
・妹産まれる
・妹も俺の子じゃないと言われる
・母親離婚決意
・母子家庭になる
・ワイ怪我とか病気ばっかりで心配かける
・幼稚園も保育園も行けてラッキー!とか思う

そんな感じの人生でした。

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