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別れたけど愛していること



2人で朝から布団の中で抱き合って、最近考えたこと、思ってたことをお互い言い合って、また抱き合って、気づいたら昼寝してて…起きてまた話していたら気づくと夜の21時になっている。一日中2人で布団の中で過ごす。そんな休日が大好きだった。愛おしかった。人とこんなにくっついて過ごしたのはお互い初めてで「前世は双子だったかもね」と笑った。
「ねえ!歌思いついた!」と即興オリジナルソングを歌ってくれて死ぬほど笑っていた愛おしい時間だった。ここまではただの思い出話。

布団の中の彼は、私の腕の中でとても穏やかで平和で優しかった。
外の世界では、強くないとダメだと考え、暴力的な思考を持ち、弱さを見せられず弱い部分を認められない、そんな彼だったが、抱きしめているときは子供のように無防備で弱々しく穏やかな顔をしていた。
この時間がずっと続けばいいのにと思った。世界に彼と私の2人だけだったらいいのにと思った。
この空間がずっと続けば、彼は強くある必要なんかなくて、そのままの君で十分素晴らしくて、暴力なんかに染まる必要もないのだ。
彼が弱い自分を愛し愛されることができて、穏やかに平和に生きることができますようにと私は祈り続けている。

私は別に彼に優れたスペックがあったから付き合っていたわけでは無いし、彼が私のことを愛してくれるからとか守ってくれるからとかそういう理由で彼のことを愛しているわけでもない。私は彼のこと、年収が低かろうが、社会的に弱い立場だろうが、私に危害を加えようが、誇れるようなことが何一つなくたって彼の存在そのものを愛している。
危害を加えたことに関しては、さすがに一緒にいることは難しいので別れる選択をしたけれど許しているし、彼自身が自分自身の行動をきちんと反省し本当の意味で自分を許して生きていけることを願ってやまない。
そのままの君で十分素敵だよ!ということを伝えまくっていたつもりだったのだが、それでも彼は「弱い奴は自分のせいでそうなっているから弱い奴が悪い」とか言っており、全然私の愛が伝わっていなくて本当にすごく悲しかった。
そんな考え方をしていたら生きづらいだろうな。一番憎んでいるのは、彼を生きづらい思考にさせた社会である。男は強くあれとか、男が稼ぎ頭にならなくてはみたいな家父長制にめちゃくちゃ怒っている。
別に男だって働くのが苦手なら、適当に安い給料で働いてたっていいじゃないか!それでその人の価値は変わらないじゃないか!男だって辛い時は辛いと弱みを見せたっていいじゃないか!社会よこれ以上彼のことを追い詰めて強くあれとプレッシャーをかけないでくれ!!みんな生きてるだけで素敵なんだよ!!

私は別れているけど、彼のことを愛している。
彼が生きづらさから解放されて穏やかに過ごせることを祈っているし、私が隣にいなくてもたくさん愛されて許されて生きてほしいと心の底から思っている。
私の愛なんかちっぽけで何もできなかったから、もう祈ることしかできないけれど、私の名前は「祈りの人」から由来があるように、愛と平和を祈り続けていきたい。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。(コリント人への手紙I 13:4〜8)

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