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西成はニューヨークみたいだったvol.31


私が以前住んでいた街、
西成は正に日本のニューヨークだとおもっている。

性格の人種もバラバラ
ルーツもバラバラ
老若男女関係なく普通に話す

歩いてると爪楊枝で、シーシー言いながら
話しかけてくるおっちゃんにも私は
普通にそのままタメ語で返事する

雨が降るとビニル袋を頭にかぶって自転車を漕いでるマダムがいる

本当にみんな飴ちゃんをもっているし、
豹柄も大好きなのである。

そんな街に、この前帰った

周りには結構品がない街だと言われる。
確かに品はない。全くない。

でも様々な常識や、モラル、礼儀が多く存在するこの社会で、適当にいることを許してくれるこの街が私はそれなりに好きだった。

当時、付き合っていた彼氏と別れて
引きずっていた時も、
仕事で嫌なことがあって、
もう明日から行きたくないと思った時も、
残業で遅くなって終電でヘトヘトになったときも

帰り道は西成の商店街にあるノリコさんのお店に寄った。

ノリコさんは昼間、ヨガやサーフィンをしていて太陽が似合うし性格も大きな声でよく笑うさっぱりした人

そして人の神経に触れるようなことは言わない

それでも言うことはしっかりと言うので肝っ玉母ちゃんみたいな雰囲気も兼ね備えている。

私的に魔女の宅急便の、おそのさんの様なイメージ。

そんなノリコさんのご飯は、健康で、家庭的なご飯だから、夜遅くなってもダイエットのことや明日の浮腫のことをあんまり考えなくてよかった。ちなみに私の好物は、里芋の煮物。

入るといつもみたいに、常連さんがいて、
おー、ひまちゃん、そこ座り。といって席を詰めてもらう。カウンターに座ってからその日の日替わりの料理を選んでいく。里芋の煮物もあった。

さっきみたいに、当時の彼と別れたときや、仕事でうまく行かないことがあったときに、それを食べるとついつい張っていた心が緩んだ。

その瞬間からポロポロと泣きそうになるのをバレない様に、必死にグッと堪えたことが多分ちょっとある

そんな風になんとなく何かを包み込んでくれるノリコさんのご飯🍚

そんなノリコさんが一人で経営する店内は、ノリコさんのあの豊かさがそのまま現れているような柔らかい雰囲気がある。

冬でも気軽にはいれるように入り口は大きく開けているし、ターコイズブルーの色をした壁や、食器も可愛い。

そんなハワイアンな空気が流れるお店をなぜこんなおっちゃんが爪楊枝でCCしてる西成に建てたんだろうと思うけど、いつも賑わうお客さんのメンツの濃すぎるキャラクターがあまりに対照的。清々しくて逆にいい。

いつもふらっと行くと、元極道だと思う、とても雰囲気のある強面なおじさんは毎晩いる。
その人はめちゃくちゃかっこいい。極道俳優みたいなかっこよさ。

生き別れた娘と私が同い年らしく、ご馳走するからなんでもたらふく食べろと言ってくれる!

スケベな目で見て来ないカッコいいおじさんが面白い話をしてくれるのは、とても楽しいし、安心できる場所なのである。

他のお客さんの面々もいい。よく、へべれけになってお店の前で転んでいたり、不倫相手に振られてカウンターでさめざめと泣いてる人がいたり、痴話喧嘩をする40代のカップルがいたりする。そうしてそれらを特に大したこともないように、周りは適当にあやしたり、眺めている。

大喧嘩して帰っていったその人たちも何事もなかったように、次もノリコさんのお店に普通にいる。

私の文才があれば、これで小説が書けるのにと何度思ったか。

まさに観ている人だけがわかる私の大好きなドラマ、深夜食堂のお店のように、クセの強いひとたち皆と囲ってご飯を食べたり、お酒を楽しめるのだ。

ちなみに、連絡先もみんなしらない
会いたい時はそこにいく、それがい

西成に住む前、わたしは緑が多い綺麗なニュータウンに10年位ぬくぬくと住んでいた。

西成に引っ越すと決まって、
正直ちょっといやだった。

なんか、うるさくて品のない街なのかな(ごぺんなさい)と思って。

しかし!実際に引っ越してみるといろんなバックグラウンドを持った人が多い街だからなのか、コミニュケーションに一切の壁はなくとも、むやみに相手の過去についてとやかく聞いてくる人がとにかく少なかった。

自分から話せば、聞いてくれるし、否定も肯定もしない。

何事も、本当に何事もないようにみんながしてる空間の心地よさと言ったらよ。語彙力

お淑やかであることを美徳としている
日本では本当に稀な街だぜ

そうしてなんとなく、どこかににている。

と思ったら、私が大好きだったニューヨークだった。

だからやっぱりすぐに私の大好きな街になった。

みんな楽しくて酔っ払って、お客さんがギターをもってきて、みんなで歌ったりする。

この前帰ったときも、もらったお土産が美味しかったんだっていって、わざわざ一度家に帰り、またもってきてくれた美味しいお土産をみんなで囲ってたべた。

んもーーホッとしちゃうよねそんなのーー

大人になると、社会のルールやあるべき姿、マナーやモラルなんていう抽象的な言葉は多く存在する。

だけど、それらの言葉が先行しすぎると時々、なんとなく何か大事なものを忘れてないかと自分に思うときがある。

ちゃんとしないと。と思う場所が日に日に増えていく中で、私にとってそのままの自分でいられる一つの休憩場所だった。

なんとなーく、ちょっと心が疲れたなーて時、帰り道に寄る

あのあったかいご飯を食べて、それぞれの持っているものや、年齢、職業も何の関係もなく、みんなで適当にどうでもいい話をして笑っていると、
明日からまたちょっと頑張ってみるか、なんておもうのだ。

そこは、定食屋なのか、飲み屋なのか、小料理屋なのか、どれに値するのか私にはよくわからない。でも、色んな人間模様があって、お店ごと、生きているような、そんな場所。

これからどれだけ住まいを転々としても
あんなに、人間らしくて居心地のいいお店を見つけるのは中々難しい気がするなぁ。

大阪に帰ると、実家はない。親戚もいない。
帰るおうちはないけど、それでも、ただいま。なんて顔を出したくなる、そんなお店。

帰ってくる場所があるって、嬉しいんだ。

こっちでもそんな場所があったらいいな

のりこさんと出会うまえまで、なんとなくいつも、全てを丁寧にしなきゃって思っていたけど、

最近は誰かにとって肩肘張らないでいられる居場所をつくれるフランクな人、

それでいて、神経にふれるようなことは言わない居心地の良い人になりたいなーとおもう。

最近の大阪振り返り🐙

お店で撮った写真があったかな、と思ったけどそれは一枚もなかった😂🤣


また春にいきたいねー

ふるさとを語ろうの会でした

おしまい

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