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天敵彼女 (19)

(シュン、お前は戦場にでもいるノカ?)

 それは、サルマンさんとのレッスンの後だった。

 俺達と入れ替わりになる女性会員たちがスタジオに入って来て、近くで喋り始めた。

 呆然と立ち尽くす俺。さっきまでの緊迫した雰囲気が一変し、甲高い声が部屋中に響いた。

 女性会員達は騒がしかった。俺は、全身が硬直していくのを感じていた。

 当時は、大人の女性が今よりもずっと苦手だった。

 ふとした拍子に「何か」を連想する羽目になるからだ。

 俺は、すぐに荷物を持ち、部屋から出た。

 いつもならそこでサルマンさんと別れるのだが、何故かサルマンさんは俺
を追ってきた。

「どうしてそんな顔シテル? ナーバスになる理由ないダロウ?」

 驚いた俺は、サルマンさんに質問返しをした。

「サルマンさん、苦手な事ってありますか?」

 サルマンさんは、しばらく考えた後で言った。

「アルよ。モチロン。知りタイカ?」

 俺は、首を横に振った。

 その時の俺は、サルマンさんの苦手に対する興味よりも、デリケートな話
題を避けたい気持ちが勝っていた。

 俺は、話を変えようとした。

「何だか珍しいですね。サルマンさんが追いかけてくるなんて。次のレッス
ンの相談ですか?」

「チガウ! 逃げルナ!」

 サルマンさんが俺を睨んだ。

 まるで何もかも見透かされているようだった。

 俺は、サルマンさんから目を反らした。

「誰にだって苦手はありますよね? 俺にとっては、ああいう雰囲気がそれにあたるんです」

「ソレって何ダ?」

「それは、それっていうか……」

「分からナイ。ちゃんと言いナサイ」

 サルマンさんがレッスン以外でこんなに真剣な顔をすることはなかった。

 一見、強面でとっつきにくい印象のあるサルマンさんだが、気を許した相
手には意外な程気さくな顔を見せる。普段は、絶えずジョークを言っているような人だ。

 その人がこれだけ真顔になるのは珍しい。さすがにこれ以上誤魔化すことは出来ないと思った。

 俺は、観念した様子で呟いた。

「俺、苦手なんです。女性が」

 俺は、スタジオを指さした。

 すると、女性会員の一人が、何か喚きながら手を振って来た。

 俺は、すぐに目を反らし、わなわなと震え始めた。

 多分、誰が見ても異様な状態だったと思う。

 サルマンさんは、大袈裟に両手を広げた。

「何故、ソウナル? 君位の男は、女に興味アルモノだろう?」
 俺は、黙り込んだ。一瞬、嫌なものが鮮やかに目の前に浮かんだ。
 膝ががくがく震えだし、自分でも頬が引きつっているのが分かった。

 サルマンさんは、驚いた様子で俺の肩に手を置いた。

「ドウシテ? 何故こんな事にナッタ? 何がアッタンダ?」

 サルマンさんの質問が、俺の中の嫌な記憶とリンクし、目の前に毒母の姿
がはっきりと浮かんだ。

 俺は、全身が震えてくるのを感じていた。

 サルマンさんが俺の背中をさすってくれた。

「どうしてそんなにナーバスなんダ? まるで、戦場にいるようダゾ。リラックス、リラックス」

 俺は、サルマンさんが言いたい事は何となく分かっていたが、人には自分の意思だけではどうにもならない事がある。

 俺は、首を何度も振った。

「すみません、俺にはどうしても難しいです。両親が離婚して、俺には女性
に対するトラウマがあるんです」

 サルマンさんがそれから何を言ったのかよく覚えていない。

 ただ、最後に俺の肩に手を置いて、こう呟いた。

「君にトッテ、女がいる場所は戦場なんダロウ。辛いのは分カル。デモ、逃げ続けルノモ難しい。嫌デモ関係スル事になる。ダカラ、戦友を見つけナサイ。背中預け、預けラレル、仲間見つけナサイ。トモダチいればきっと乗り越えられるヨ」

 サルマンさんの言葉を思い出し、俺は緊張が和らぐのを感じていた。

 そろそろ六時間目のロングホームルームが始まる。

 もしかしたら、辛い話になるかもしれない。もっと女子が怖くなって、自分を保てなくなる可能性もある。

 最悪、フラバに襲われて、自分が何を言っているのか分からない内に倒れてしまうかもしれない。

 でも、やるしかない。

 俺にとって、奏は家族だ。

 毒母が出ていき、父さんが壊れてしまって、生きる術を失った俺を、八木崎のおばさんと奏が助けてくれた。

 毒母に踏みにじられ、何もかも壊れてしまった家庭を一緒につなぎとめてくれた。

 俺がこうして生きてられるのも、あの二人のお陰だ。

 今、奏の人生が理不尽に踏みにじられようとしている。

 警察にも学校にも頼れない中で、奏も八木崎のおばさんも毎日不安な日々を送っている。

 俺は、奏に幸せになって欲しい。自分の意思で、自分の道を切り拓いてもらいたいと思っている。

 だから、何としても守らないといけない。奏を踏みにじろうとするものを、どんな犠牲を払ってでも遠ざけないといけない。

 その為なら、俺は……。

 良く分からないが、きっとあの時の恩を返す時が来たんだと思う。

 俺は、奏の背中を守る。その為ならなんだってするつもりだ。

 ずっと一緒に育ってきて、いつだって俺を助けてくれた。

 多分、俺が奏の為に何かできる機会はそれ程残されていない。

 奏を天敵認定しない為に、本当の家族だと思うことにした俺は、どこかで奏に関われなくなる時が来るからだ。

「よしっ」

 俺は、顔をあげた。

 丁度担任が教室に入って来るのが見えた。

 先生の目を見て、俺は頷いた。

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