脳の事象がデジタル化されつつあるが、心的事象も同時にデジタル化が可能だろうか?
脳科学、認知科学、生物学、心理学、神経科学、現代量子力学、人工知能などの実証的な現代科学の知見の進展によって、可能だとして、突っ走っている。
われわれは、心的存在、魂、精神の存在を見出すことはできないでいる。だが、現代科学はすべての心的事象は事物的な事象に還元可能であると確信している。
だから、2045年には、人工知能は人間の知性を上回るとされている。確かに、将棋、囲碁、チェスのどのゲームの世界では、すでに人口知能の方がが優っているので、説得力はある。
しかし、認知科学の研究領域の中から、批判者が現われている。たとえば、ヒューバート・ L・ドレイファスは次のように「四つの誤った前提」の上に立てられていると主張する。
生物学 的前提
生物学 的前 提 とは、 脳 の 生物学 的 過程 は スイッチ の オン/ オフ の 状態 を 基礎 と する情報処理 と 相似形 で ある( あるいは 等しい)、 という 見解。
心理学 的前提
心理学 的前 提 とは、 心 の 作用 は「 形式的 規則 に従って 単位 情報(ビット) を 操作 する 装置」 と みなし うる という 見解。
認識論 的前提
認識論 的前 提 とは、 すべて の 知識 は、 論理 関係 として 形式 化 できるという 考え。
存在論 的前提
存在論 的前 提 とは、 一切 の 事象 は「 原理 的 には 状況 に 依存 し ない 確定 的 要素 の 集合 として 分析可能」 で ある、 という 前提 を 指す。
その他ジョン・サールによる批判もある。
心的なものの起源でもある「意識」についてボンヤリ、つまり思考の始発点(土台)がしっかりしていないのであれば、その上に何を重ねてもグラつくことは自明なことである。
端的にいえば事物存在の審級は心的存在の審級とは本質的に異なり、前者から後者に移行することは不可能である。
事物存在の存在審級については、現前意識に定位する洞察によってその基本性格を規定できる、つまり、内省によって確信・信憑を得ることができる。
一方、「心的なもの」については、竹田青嗣氏は下記のように述べる。
引用図書:竹田青嗣著『欲望論 第1巻「意味」の原理論』