ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ 『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂病』(4)読書メモ

第二章 第八節 神経症と精神病

フロイト は、 1924年 に、 神経症 と 精神病 を 区別 する 簡単 な 基準 を 提示 し て い た。 神経症において、〈それ〉(エス)の諸欲動を抑圧するとしても、自我は現実のもろもの要求にしたがうのである。
ところが精神病において、自我は現実と断絶するとしても〈それ〉(エス)の支配下にある。

フロイト が、 独自 な 道 を たどり ながら、 伝統 的 な 精神医学 に おなじみ の 観念 を 再発見 し て いるということは、重要と思われる。それは、基本的に狂気とは現実の喪失に結びついているという観念である。これは精神医学が人格の遊離や自閉症の概念を練り上げたことと一致するのである。

ラカンの指摘にしたがって、次の事態を知ることになると、私たちはいっそう驚くほかはないからである。

すなわちオイディプスが「 発見」 さ れ た のは、 それ が 明白 で ある とさ れ て いる 精神病 において よりも、 むしろ 逆 に、 それ が 潜在的 で ある と みなさ れ て いる 神経症においてである。

ところが、このことは、精神病においては家族的なコンプレックスが、まさに任意の価値をもつ刺激として、組織者の役割を果たさない誘導子として、まったく別のもの(社会的、歴史亭、文化的平)を目指す現実の強度的備給として現れるということではないのか。

オイディプスが意識に侵入するのと、「組織体」として無能であることを証しながら自己解体することとは、同時進行するのだ。こうして、現実喪失という効果を確立するには、このまやかしの尺度によって精神病を測定し、それをオイディプスという偽の指標に連れ戻すだけで十分である。こうした作業は、抽象的な操作ではない。

つまり精神病患者において、彼の内部にオイディプスが欠如していることを指摘するためであろうと、患者には、このオイディプス的組織作用が押しつけられるのだ。それは肉全体、魂全体に対する作用である。精神病患者は、自閉症と現実喪失によって、これに反応することになる。

しかし、現実喪失は分裂症的プロセスの効果ではなく、このプロセスが無理にオイディプス化され、つまり中断されることによる効果なのだということが、ありうるのであろうか。

分裂 者 が 苦しむ のは、 分裂 し た 自我 でも、 破壊 さ れ た オイディプス でも ない。 逆 に 自分 が 棄て 去っ て き た すべて の もの に 連れ戻さ れる という こと を 苦しむ ので ある。 零度 として の 器官 なき 身体 にまで 強度 が 低下 する こと、 これ が 自閉症で ある。 現実 に対する 彼 の あらゆる 備給 を せきとめる もの に 反抗 する 手段 が、 彼 には ない の だ。

だから、 精神病 と 神経症 について は、 逆 の 関係 について 別 の 定式 化 が 可能 と なる。 精神病 患者 と 神経症 患者が 二つ の 集団 として 存在 し、 前者 は オイディプス 化 に 耐え られ ない 人びと で あり、 後者 は それ に 耐え、 それ に 満足 さえ し て、 その 中 で 進展 する 人びと で ある。

精神病における先天的な知と神経症の実験的な知 なの だ。 これ は 分裂 気質 の 離心 円 と、 神経症 の 三角形 の 対立 と いっ ても よい。 こうした 両 項 の 対立 について もっと 一般的 に いえば、ここには総合の二種類の使用法がある。 一方には欲望機械、他方にはナルシス的オイディプス機械がある。

この闘いの詳細を理解するためには、家族 が 欲望 的 生産 を 裁断 し、 たえず 裁断 し て やま ない こと を 考慮 し なけれ ば なら ない。

家族の第一の機能は確保することだ。要するに 問題 は、 家族 が 欲望 的 生産 から 何 を 棄てよ う と し て いる のか、 何 を 確保 しよ う と し て いる のか、 知る こと で ある。

オイディプス を 破壊 し、 あるいは 沈没 さ せる 精神病 的 転覆 に しろ、 オイディプス を 構成 する 神経症 的 共振 に しろ、 これら の 最終 的 原因 は 欲望 的 生産 なの だ。

このような原理は、これを「 現 働 的 因子」 の 問題 に 関係 づけ て みれ ば、 その 意味 の 全貌 が 見え て くる。 精神分析 の 最も 重要 な点のひとつは、神経症の場合においてさえ、これらの現 働 的 因子の役割を、家族的幼児的因子から区別されるものとして評価したことである。あらゆる重大な内紛は、この評価に関係していた。そして、いくつかの側面に難題があった。

①こうした 現 働 的 因子 の 本性はどんなものか。
②こうした現 働 的 因子の様態はいかなるものか。
③これが作用する瞬間、時期はいつなのか。

彼岸は、は、 オイディプス に 分析 的 に 所属 する のでは なく、 オイディプス によって、 神秘的 に 意味 さ れ なけれ ば なら ない ので ある。 したがって、必然的に事後が、時間性の差異のなかに再導入される。これはユングの提唱する驚くべき配分が示しているとおりだ。

すなわち、 家族 や 愛 を 問題 に する 若者 の ため には フロイト の 方法。 社会的 適応 を 問題 に する、 それほど 若く ない 人びとには アドラー。 そして、〈 理想〉 を 問題 と する 大人 や 老人 の ため には ユング……。

私 たち が 言い たい のは、 神経症 で あれ、 精神病 で あれ、 障碍 の 原因 は、 常に 欲望 的 生産 の 中 に あり、 欲望 的 生産 と 社会的 生産 の 関係 の 中 に あり、 この 二つ の 生産の 体制 の 差異 あるいは 葛藤、 欲望 的 生産 が 社会的 生産 に対して 行う 備給 の 様式 の 中 に ある という こと で ある。 この 関係、 この 葛藤、 これら の 様相 の 中 に 入る もの として の 欲望 的 生産、 まさに これ が 現 働 的 因子 で ある。 だから、この因子は排他的ではなく、事後的でもない。

逆 に、 オイディプス の 方 が、 任意 の 価値 を もつ 刺戟 として、 欲望 的 生産 の 非 オイディプス 的 組織 を 幼年 期 から 作動 さ せる 単なる 誘導 子 として、 また 社会的 再生産が 家族 を通して 欲望 的 生産 に 強いる 抑制-抑圧 の 効果 として、 現 働 的 因子 に 依存 し て いる。

そして 潜在的 な もの とは、 オイディプス・コンプレックス なので ある。 それ は 現 働 的 因子 から 派生 し た 効果 として、 神経症 的 形成 において 現 働 化 さ れ なけれ ば なら ない もの で あり、 また この 同じ 因子 の 直接的効果として、精神病的形成において解体され解消されなければならないものである。

ひとりの分裂症者にほどこされた身体的治療の例、マッサージ、水浴、湿布などを取りあげて、ジズラ・パンコウ は、 いったい 問題 は 患者 の 退行 に 狙い を 定める こと で ある か どう か 問う て いる。

そこで彼女がいうのだ、「 分裂 症 者 が 赤ん坊 の とき に 受け なかっ た もろもろ の 介護 を 与える こと」 が 問題 なのでは ない。「 そう では なく て、 患者 に 触覚 的 な 身体 感覚 や、 また その他 の 感覚 を 与え、 彼 が 自分 の 身体 の 限界 を 認知 する よう に する こと が 問題 なのである……。 無意識的 な 欲望 の 認知 が 問題 なので あっ て、 欲望 の 満足 が 問題 では ない」 と。 欲望 を 認知 する という こと は、 まさに 器官 なき 身体 の 上 で、 欲望 的 生産 を 再び 作動 さ せる こと で ある。

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