宗教と政治と暴力

安倍元首相襲撃事件以来、旧統一教会問題でゆれている。教会という文字については、日本共産党は、協会という文字を使うようにしているようだ。彼らとしては、旧統一教会を宗教団体とは認めていないという主旨のことを、共産党の幹部がツイートしているのを見たことがある。日本共産党としては、国際勝共連合という反共組織を宗教団体を認めるわけにはいかないのだろう。

旧統一教会問題についていえば、政治評論家と称し、政権擁護派である三浦瑠麗氏が司会していた、前回の参議院選挙の特番で、社民党の福島瑞穂氏の当選会見を終えた後、安倍元首相襲撃事件についての発言内容で、哲学者、評論家、ゲンロンおよびシラスの創始者である東浩紀氏は怒りまくっていた。

東氏の場合は、宇野常寛氏が自身のブログで分析しているように、「第三極(日本維新の会)は、左翼アレルギーをこじらせている上に、SNSや動画配信のコメント欄で手に入るインスタントな承認(知力の低い保守層からの喝采)の中毒になっているプレイヤー」と見ることはできない。

しかしながら、哲学書の著作があり、知的レベルは、かなり高度ではあるが、結果的には、彼の立ち位置は、この第三極の人たちと同じとなっているとしか見えない。彼としては、福島氏のように、自分たちは正しいのだと主張している、Jリベラル(東の造語)たちの言動が我慢ならない、ということらしい。ちなみに、Jリベラルとは、自分たちは、正解を持っている、自分たちの意見は正しい、反対するのは自民党の手下だと思うような人のことを言っている。

だからといって、リベラル系からは悪名高い三浦瑠麗氏とつるんでいることの意味がよく分からない。先日、郷原氏が意見が対立している池田信夫を招いて対談していることとは、意味合いが違うように感じている。郷原氏は池田氏の意見を聞きいれながら、きっちりとその意見を包み込むようにして、反論していた。

安倍元首相襲撃事件の前日に、東氏は自身のツイッターを閉鎖したから、その日以降は、見かけていないが、その日までの三浦瑠麗氏とのツイートでは、ワインパーティーの誘いとかの個人的な投稿を何度も見かけた。こうした、にやけた個人的な事柄を、公開で発信している姿勢をどうのこうのという気持ちはないが、それはそれとして、別のツイートでは、きりっとしてJリベラル批判しても、何言ってんだという気分になる。

東氏が統一教会擁護派とは、思っていないし、彼自身も、noteで統一教会擁護派と誤解されたことについて、弁明の投稿もしていた。一方、三浦瑠麗氏は、今回の事件に限らず、常に、政権擁護の論陣をはっているが、彼女の文章については、Twitter上でも、何を言わんとしているのかさっぱり分からないと言われ、かつ政治学者と称していながら、事実に基づかない論考が多いと、批判されている人物であることを認識した上でのことなら、個人的なことであり、何も問題はないのだが。

先日、シラスで中国哲学の研究者である中島隆博氏の長時間にわたる講義を拝聴したが、この講義では、東氏は真摯に聴き入り、そして質問を投げかけていた態度には、信頼性はあったが、三浦瑠麗氏とは、それとは真逆となる。ゲンロンとシラスの運営に関わると、そうならざるえないのだろうか。

宇野氏はnote投稿で、下記のように書いている。

スクリーンショット 2022-07-27 160011 (2)


東氏も、単に、リベラルを皮肉ったり、批判して、叩いているだけではなく、宇野氏的な、視座をもつことが必要なのでないかと思う。Twitterを閉じる直前に、真面目な評論家になるぞとツイートしていたのを見かけたので、Twitterを閉鎖したのは、そのためなのかと、好意的に、解釈している。千葉雅也(著)『現代思想入門』でも、東氏は、度々引用されているぐらいだから、デリダ専門家、評論家、として活躍されることを期待している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?