ニーチェの「ルサンチマン史観」とハイデガーの「存在忘却史観」
後期ハイデガーの反ーヨーロッパ形而上学主義、反ー人間主義(反ーヒューマニズム)、反ー近代技術、反ー理性主義は、「頽落」のモチーフから導かれた、と竹田青嗣は主張する。
ハイデガーは「存在忘却」に由来する現代ヨーロッパのニヒリズムについて語っているが、そもそも「ヨーロッパのニヒリズム」をはじめに宣言したのはニーチェだ、と述べる。
これがニーチェの ヨーロッパ形而上学批判の大筋である。
一方、後期ハイデガーの形而上学批判については下記の通りです。
〈「イデア」の思考が「ピュシス」の根源性を隠蔽し、世 界を「超感性的なもの」と「感性的なもの」へと分割したことに起因する。〉の意味するところは、ハイデガーによれば、プラトンのイデア論以降、人間中心主義的な価値観から見た無機的自然と、理念的世界(超越性の世界)に分割された、と言うのである。
古代ギリシャ人にとっての「ピュシス」とは、世界の森羅万象の本来あるべ姿を意味していた。ところが、プラトンとアリストテレスによってイデアがエイドス(形相)という概念となったために、この本源的な「ピュシス」の概念が失われた、とハイデガーは述べているのである。
ニーチェとハイデガーのヨーロッパ形而上学批判は、一見似ているようで違っている。
ニーチェの反ーヨーロッパは、ヨーロッパ近代思想がルサンチマンによってキリスト教を払拭できないものとなっていること自体に対する批判になっている。
ハイデガーの反ーヨーロッパは、理想状態をモデルとして現実の堕落を嘆くキリスト教的ー近代ロマン主義の典型である。
この二つのヨーロッパ批判において、どちらが強靭で根源的な可能性をもっているかをよく吟味すべきだ、と竹田は指摘している。
ニーチェの次の言葉が両者の違いを示していると言う。
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