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ニーチェの「ルサンチマン史観」とハイデガーの「存在忘却史観」

後期ハイデガーの反ーヨーロッパ形而上学主義、反ー人間主義(反ーヒューマニズム)、反ー近代技術、反ー理性主義は、「頽落」のモチーフから導かれた、と竹田青嗣は主張する。

ハイデガーは「存在忘却」に由来する現代ヨーロッパのニヒリズムについて語っているが、そもそも「ヨーロッパのニヒリズム」をはじめに宣言したのはニーチェだ、と述べる。

キリスト教をその典型とするヨーロッパの人間の理想は、官能の否認、 此岸の否認、生の 否認を特質とする。つまりデカダンスをその本質とする。

そのことで人間は弱体化し、凡庸 なものとなり、ますます貧血した理想を積み重ね、そのことが結局ヨーロッパのニヒリズム必然的なものとする。その根本原因は何か。

ヨーロッパの思想と哲学において、「ルサン チマン」が思想と理想の根底的な動機(モチーフ)になっているからだ。

竹田青嗣著『ハイデガー入門』P267

これがニーチェの ヨーロッパ形而上学批判の大筋である。

一方、後期ハイデガーの形而上学批判については下記の通りです。

ヨーロッパ人の存在は近代技術の「立て 組」へと挑発されており、また浮薄な大衆社会 の「頽落」した日常性へと落ち込んでいる。 機械論と無神論と享楽的生活のデカダンス、そ して、そこから由来するニヒリズム。

これが近代人の存在本質となっているが、その根本の理由はどこにあるか。あの「存在忘却」、「存在」の思考を忘れ、「存在の真理」を聴き従う態度を忘れた点にある。

それはまた 「イデア」の思考が「ピュシス」の根源性を隠蔽し、世 界を「超感性的なもの」と「感性的なもの」へと分割したことに起因する。 世界の一切を人 間中心主義的に利用、挑発する近代の人間中心主義、自分の存在の本来を忘れてデカダンス へと魂を投げ入れる人間の生活態度は、ここにその起源を有する――。

竹田青嗣著『ハイデガー入門』P267-P268

〈「イデア」の思考が「ピュシス」の根源性を隠蔽し、世 界を「超感性的なもの」と「感性的なもの」へと分割したことに起因する。〉の意味するところは、ハイデガーによれば、プラトンのイデア論以降、人間中心主義的な価値観から見た無機的自然と、理念的世界(超越性の世界)に分割された、と言うのである。

古代ギリシャ人にとっての「ピュシス」とは、世界の森羅万象の本来あるべ姿を意味していた。ところが、プラトンとアリストテレスによってイデアがエイドス(形相)という概念となったために、この本源的な「ピュシス」の概念が失われた、とハイデガーは述べているのである。

ニーチェとハイデガーのヨーロッパ形而上学批判は、一見似ているようで違っている。

ニーチェの反ーヨーロッパは、ヨーロッパ近代思想がルサンチマンによってキリスト教を払拭できないものとなっていること自体に対する批判になっている。

ハイデガーの反ーヨーロッパは、理想状態をモデルとして現実の堕落を嘆くキリスト教的ー近代ロマン主義の典型である。

この二つのヨーロッパ批判において、どちらが強靭で根源的な可能性をもっているかをよく吟味すべきだ、と竹田は指摘している。

ニーチェの次の言葉が両者の違いを示していると言う。

おわかりであろう、問題は苦悩の意味いかんであるということが、すなわち、はたしてキリスト教的意味なのかということである。

前者の場合には、苦悩は或る神聖な存在にいたる道たるべきものである。

後者の場合には、存在その ものが、巨大な苦悩をもなお是認するほど十分神聖であるとみなされる。 悲劇的人間は 最も苛烈な苦悩をもなお肯定する。

彼は、そうしうるほど十分強く、豊満であり、神化 されているからである。

キリスト教的人間は地上の最も幸福な運命をもなお否定する。
(「権力への意志』四四二頁)

竹田青嗣著『ハイデガー入門』P271-P272


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