『中国哲学史』 中島隆博(著)    陽明学について《中島隆博×東浩紀「中国において正しさとはなにか──『中国哲学史』刊行記念」 @hazuma #ゲンロン220513》より

王陽明の陽明学は、朱熹が格物到知においてこだわった外部性を消去し、内部性に徹した方法であった。それは何故か


王陽明が竹の理を窮めようとして精神を病んだ結果、内部に根拠を求めた朱子学の原点に立ち返り、心にこそ理があるのだから、そもそも外に物に理を求めてはならないとなったため。


陽明は朱子学の思弁的(知性的)な知を退け、直観的 で 実践的 な 知 を 据える こと によって、 知 と 行 の 一致 で ある 知行 合一 を 基礎 づけ、 社会 に 深く 関わる 実践 において、 理 を 求めよ う と し た ので ある。


外部を消去したことは独我論となるのか?

『伝習録』の中に、「この花はあなたの心の外には存在しない」という一文があるが、これは一見独我論のようにみえる。ここで陽明は、友人と話しており、独り言をつぶやいているのではない。陽明が強い意味での独我論者であれば、「この花はわたしの心の外には存在しない」と述べるべきだが、そうなっていない。

陽明は「あなたの心」と「あなたの心の外」という仕方なのであり、これは独我論の限界にすでに触れてしまっている。そうすると陽明の立場はある種の弱い独我論と言った方がより適切となる。 実在を認識することはそれぞれの心に強く依存していて、心が成立すれば、その認識を通じて実在が成立する。別の言葉で言えば、この構造は、誰にとっても普遍的に妥当するものであり、しかもこの構造自体は心に依存していない。


【所感:これは、まさにフッサールの現象学的還元を彷彿とさせる。15ー16世紀の陽明学に、現象学的な思考の萌芽があったというのは驚きである。さらに、中島氏が、《中島隆博×東浩紀「中国において正しさとはなにか──『中国哲学史』刊行記念」 @hazuma #ゲンロン220513》というシラスの番組で語っていたことは、「陽明学が江戸時代に流行っていたということになっているが、実は明治時代になって後付けされたことであり、西郷隆盛が陽明学を学んだというのは噂に過ぎない。江戸時代は朱子学が主であり、こっそりと学んでいた人がいたのはありうることではあるが・・・」と述べていた、ということにも驚いた。】


この構造が何故普遍的といえるのか?

「天地 万物 と 人 は もともと 一体 で ある」。 もし そう で あれ ば、「 あなた の 心」 も また「 わたし の 心」 と 一体 の はずであるから、それぞれの心において成立する実在という構造は普遍的なものとなる。つまり「わたしの心」の外部とは何かという問題を、この一体という概念で消去し、そしてその一体を支えているのが良知という知である。


朱子学が悪について苦しんでいたように、陽明にも、次のような問いが成り立つ


①心の深いところに悪がないのに、同じ心の現象である意において悪が生じるのか 


②その生じた悪を、なぜ良知という心の内部の働きによって抑えることができるのか


③他人のなす悪についてどう立ち向かえばよいか


この問に対する陽明が取った方途は、小人の君子化(聖人化)であった。

良知の特徴として「自ら知る」という自己反省的な構造がある。この良知は君子のみならず小人も当然有している。したがって、小人も善悪を「自ら知る」ことになる。この良知は外に訴えない自知でなければならない。外はあくまでも、わが心の良知を事物に致すという陽明流の格物到知の構造の中で、内の拡大として理解されなければならない。


無善無悪の論争
陽明の高弟(王龍渓、銭徳洪)二入の論争
「無善無悪が心の体、有善有悪が意の動、善を知るのが良知、善をいて悪を去るのが格物」という陽明の四句教の解釈について

銭徳洪の意見:心の本体は無善無悪であるにしても、意においては善悪が現れるのだから、格物致死・誠意・正心・修身といった「功夫(工夫)」は必要と考える。心の至善を前提した上で、その心に向かって修養努力して悟りを開く。(王学右派 東林派)

王龍渓の意見:「権法(時に従って変化する法)」であって、心・意・知・物は一つである以上、意にもまた善悪はないと考えた。その心から一挙に悟りを開く。(王学左派)


これに対する陽明の応答
「中根以下の人」に対しては、銭徳洪の見解がふさわしく、「利根の人」もしくは「上根の人」に対しては、王龍渓の見解がふさわしいと裁いた。

公共空間論とは
繆昌期は、是非の判断の場所を、人々の言論にあたる公論に求めた。
中国哲学において、天下の是非の根源を、天子や士大夫(知識人)ではなく、一般民衆の公論の中にここまで理論的に位置づけた議論は、他にはない。この時代に公共空間論が提案されていたことに重要な意義がある。

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