見出し画像

宗教2世の母が癌摘出手術をした話


前回noteに書いたKing Gnuの記事が多くの人に読んでもらい、有難い気持ちです。
沢山、King Gnuのファンの方から励ましのお言葉を貰い、有難うオリゴ糖…と皆様の優しさを噛み締めております。

さて、King Gnuの記事を書いた際にDome TourTHE GREATEST UNKNOWNの東京ドームに参戦すること書いたのですが、無事参戦してきました!
ライブ自体はめちゃくちゃ楽しかったのですが、その前後で私のメンタルは死んでおりました。
というのも前々回の記事で書きましたが、ライブの前々日の1/25、奇しくも私の誕生日の日に母が、癌の摘出手術の為、入院をしました。

とんだ誕生日プレゼントになったなと思い、ライブの前日に手術と決まった際は、誕生日どころかライブに行けるかも、危うかったのですが、コロナ明けということもあり、寧ろ来ないでくれ。と病院側から言われ、なら入院当日は病院に行かず、好きに過ごすぜ!!ということで、好きに過ごさせて頂きました。
しかし、母は情けないことに携帯料金を払えず、携帯が月末まで止まり連絡が取れないという始末。(母は現在、生保なので私が代わりに払うこともできません)
そんな不安のまま、入院手術当日を迎えた。


1/26、前日の誕生日で至る所に連れてってもらい疲れ切った私は、病院からの電話で起床。
母は全摘は免れ転移はなかったものの、リンパまで癌細胞が散っていた事から、リンパは全摘になった。
そう淡々と先生が伝えるので、母は大変な手術をしたんだ…きっと疲弊してるだろうな…と思ったのも束の間、
「お母さん、めちゃくちゃ元気で今日も夕飯は食べれると思いますよ〜」
というので拍子抜けした。
流石、我が母。生への執着が強い。
夕方になれば面会ももうできるというので、疲れてる場合じゃねえなと体を無理やり起こして、叔母と一緒に面会に行くことに。

叔母は当たり前だけど母のことをとても心配していて、足腰が痛い中自転車をすっ飛ばし、駆けつけてくれた。
「でも、もう夕飯も食べれるくらいらしいよ」
なんて言うと
「それでも疲れてるよ…」
と不安そうな声を出し、恐る恐る病室に入ると盛大ないびきが聞こえ、聞こえたベッドのカーテンを開けると口を開けて涎を垂らし、ニコニコで心地よく寝てる母がいた。
「…この人、本当に手術したの?」
と口をあんぐりさせながら叔母が呆れた様に言った。あなたのお姉さんの図太さ凄いですよ。と思う。

私達に気づい起きた母は開口一番「癌無くなりました〜」とピースした。
癌が体の中から消えた安心感と嬉しさで、笑みが絶えない母の脇からはリンパを切除したこともあり、管が入っていた。
この管が取れ、癌細胞の検査をして1ヶ月後から、放射線治療が始まることになる。
それと同時に各所から決まったお金が貰えることになった母は、生保も辞めることになる。
ようやく安心した生活に戻れるのだ。
不安はまだあるがそれでも安心した生活に戻れるまた元気でいられるそう思ったら、母は終始笑顔で、「不安なこともあるけど、仏様を信じて来たお陰」と宗教2世の鑑と言える言葉を口にした。

病室を去ってから叔母とご飯を食べに行ったけど、叔母も神社巡りをし母の回復祈願をした。と流石、宗教2世姉妹と思える話をずっとしていた。
ただ、私も凄く安心したのかその日は久々によく寝れたのだった。

それから一週間が経った2/3。
母は無事退院した。
朝から障害年金のことで社労士さんと話し、あんだけ念入りに時間をかけて準備した障害年金が不受給になってしまい、社労士さんにも難しいと言われ気苦労からか、朝から嘔吐していた私は母を迎えに行くことができなかった。
しかし、夕方少し気分も気持ちも落ち着いて来て、散歩がてら外に出たら母にたまたま会い、満面の笑みを浮かべ「人生最高よ!」とスーパーではしゃぐ母を見て、学生の頃、あんだけ死ねばいいと思ってた母への感情は消えて、ただただ、生きててよかったと思えたのだった。
そんなこんなで、まだまだステルス癌の可能性こともお金の問題も沢山不安もあるけど、母のことは一旦落ち着いきました。

ただ、母よ、まだ塞がってないであろう傷口をニコニコで見せてくるのはやめて下さい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?