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【連載小説】黒き夢みし vol.14

 翌週、いつものように明彦が出社するとオフィスの雰囲気が少し違うように感じた。隣の部屋から話し声が聞こえる。普段の朝は空気が重く、人の話し声など聞こえないのだ。
明彦はオフィスの様子を見たが、見た目に特段変わったところはない。積み上げられたサーバやネットワーク機器。何本ものケーブルが床を張っている。段ボールにキーボードや電源ケーブルが雑多に放り込まれている。確かに今日から馬ゾンビは出社しないが、それが原因ではなさそうだ。
 明彦は違和感を覚えたまま自席についた。やがて定刻が近くなるとギンガムや他の社員がオフィスにやってくる。彼らはいつも定刻のギリギリに出社しているのだ。
シャドウも定刻ギリギリにやってくるのだが、今日はシャドウがオフィスに現れない。二週間前に比べればシャドウにも慣れてきたが、できることなら顔を見たくない。シャドウが休みならラッキーと思った。
違和感を覚えつつも、明彦は自分のパソコンを起動し、メーラーソフトのサンダーバードを開いた。出社後のメールチェックは日課になっていた。特に月曜朝は金曜夜から土日分のメールが次々に受信するので時間がかかる。しかし今日はいつもよりも時間がかかっていた。
先週月曜も受信メールが多かったのだが、今日はその比ではない。普段は三百通程度のメール数なのだが、今日は千通以上のメールが雪崩のように受信している。受信処理だけでパソコンの挙動が重くなっている。
「昨日の夜はやばいことになっているね」
 少し離れた席のギンガムが言った。他の社員たちも顔をしかめながら同意する素振りを見せた。大量受信したメールのことに違いない。
「このメールってなんですか?」
 明彦はギンガムに尋ねた。
「これは大規模障害ってやつですね」
 ギンガムが明彦の方を向いて答えた。
「大規模障害?」
「ウチで監視しているシステムに障害が起きるとアラートメールが飛ぶんだけど、その障害にも、小規模・中規模・大規模っていうレベルがあるんですよ。多分今週あたりから、君らにそれをレクチャーすることになる予定だったと思うよ」
「そうなんですか」
「昨晩は年一回起きるかどうかの大障害が起きちゃったみたいですね。今日は一日その話がメインになるなぁ」
 ギンガムは腕組みをしながら上を向いた。今日は面倒なことになりそうだという不穏な顔をした。
「おい、みんな集まっているか。今から障害対応会議をするぞ」
 隣の部屋からタヌキ部長が顔を出した。顔つきは険しい。今から昨晩の大規模障害についての話があるらしく、全員集合するように言った。
 物々しい雰囲気で隣の部屋に会議卓に全員が集まった。全員集まったことを確認してタヌキ部長が口火を切った。
「たくさんのメールが飛んでいるかと思いますが、大障害が発生しました。昨晩二十三時頃、上位スイッチに障害発生して、その配下のサーバに影響が出ました。スイッチを再起動しても修復しなかたので、急遽スイッチ交換対応を行い、午前三時ごろには復旧したようです」
 タヌキ部長は全員に向けて大規模障害について説明した。その話によると、昨晩二十三時の障害連絡を受けて、シャドウがオフィスに向かい、障害調査を行い、スイッチを交換するという対応をしたようだ。シャドウが今日いないのは夜間対応をやったからだ。
「障害の影響があったサーバの一覧はまとまっているけど、そのサーバを使っている顧客に対してまだ全体メールしかしてないです。個別にメールを出して状況報告する対応をまずやってほしい」
 タヌキ部長は社員に指示を出した。ギンガムたちに障害発生サーバの担当が割り当てられた。明彦はどういう仕事をすればいいのか分からなかったが、他の社員と同様に担当が割り振られた。
「終わったら報告するように」
 タヌキ部長はそう言って、障害対応会議を終えた。明彦は何をしていいのか分からない。自席についたが、誰も何も教えてくれないのでギンガムに尋ねた。
「すいません、何をやったらいいのか分からないです……」
「ああ、うちの部長がすいませんね。あの人は良い意味でも悪い意味でも人を平等に扱うんで。新人さんにもベテラン社員と同じよううな知識があると思って、いろいろ言ってくるんですよ」
 ギンガムからはいつもメンソールの匂いがする。出社前にタバコを吸うのが日課なのだろう。
明彦はギンガムの隣の席に座った。ギンガムはパソコンをモニターに接続し、明彦にも見えるようにした。モニターにはExcelが表示され、そこにサーバが一覧になって表示されていた。
「ここにサーバ一覧表があるんですけど、今回障害が発生したサーバを確認して、それに紐づく顧客は何かをまず調べる」
 明彦はメモをとりながらギンガムの話を聞いた。サーバ一覧表は見たことがあったが、専門用語や書いてある項目の意味が分かっていなかったので、資料読解には時間がかかるかもしれない。
「障害のあったサーバのなかにはウチで使っているサーバもあるんだけど、それは今回飛ばしていいです。顧客サーバを見つけて、そのサーバが何サーバかを確認して、障害発生時間にどんな影響があったかを調べて、顧客に報告するっていうのが仕事ですね」
 ギンガムがモニターを指差しながら説明した。一覧表を見れば、対象の顧客サーバは割り出すことができるが、どういう障害影響があったのかを調べることは難しそうだと感じた。
「難しそうですね……」
「まずは顧客を割り出すことだけど、とりあえず一緒にやるか」
 ギンガムは明彦の担当分も引き受け、対象障害サーバを割り出した。
突発で依頼された仕事にも関わらず、てきぱきとこなすギンガムの仕事ぶりは素直に感心した。年齢が一緒なのに突発の仕事への対応やものの教え方など、社会人として大きな差を見せつけられているようでもあった。
 対象顧客の割り出し作業が終わると次は、その顧客が使っているサービスへの影響度の確認作業になった。
「対象顧客は全部で六社か」
「これは多いんですかね?」
「まあ、こんなものじゃないの。ちょっと手伝ってもらえる?」
 ギンガムは対象顧客へ送る報告メールの下書きを作るように明彦に依頼した。報告メールのテンプレート文を使って、メールアドレスを入力して、宛先を記入した。
「障害が発生するといろいろやることがあるんですね」
「実際のところ、サーバには問題がなくて通信ができなかっただけだから、W E Bサーバなら該当時間にW E B画面が閲覧不可になって、D BサーバならD B接続不可になったって感じかな」
 ギンガムは事実を整理して淡々と話している。
「起きてしまった障害はしょうがないんだけど、本来ならスイッチは冗長化しないといけないんだよね」
「冗長化?」
「スイッチを二つ用意して、一つが故障してももう一つに切り替わるようにしておかないといけないんだけど、何かの都合で今日のスイッチは元々一つしか設置してなかったんだよ」
「冗長化対応するっていう課題はあったはずなんだけど、後回しになってたんだな」
 ギンガムは障害について説明してくれたが、明彦にはまだ理解できないところがあった。ただ今は報告メールを作成するという優先事項があったので、不明点を質問するよりも作業を続けた。
やがてギンガムの迅速な対応により、タヌキ部長から依頼された報告メール作成業務は一時間ほどで完了した。メールを送信した後、ギンガムはタヌキ部長に完了した旨を伝えて、自席に戻ってきた。
「朝からお疲れ様でした」
 ギンガムはそう言ってくれたが、明彦の担当分も対応したギンガムの方が余計に仕事をしているので違和感を覚えてしまう。
「いえ、私は何もしてないです」
「メール作ってくれたじゃないか。ああいう細かい作業は嫌いなんだよ」
「そうですか。でも障害対応って大変ですね」
「俺らは大変じゃないよ。大変なのは夜勤監視スタッフだよ」
「あ、確かにそうですね」
「君もこの仕事を受けるなら、来週から夜勤だからね。今日みたいな障害が起きたら、てんやわんやだなあ。昨日の夜勤の人は大変だっただろうな」
 確かに障害発生時刻のメールを読むと夜間監視スタッフから、障害報告の第一報と進捗メールが定期的に送信されていた。二十四時を過ぎたあたりからシャドウの名前もメールに出てきていたので、その時間からオフィスにやってきたのだろう。夜中に呼び出されて機嫌の悪いシャドウがオフィスで障害対応の指揮をとっていたかと思うのと身の毛がよだつ。
「で、どうするの? 夜勤やるの?」
「土日考えましたけど、やるつもりでいます」
「ほぉ。今日の障害とか見ちゃうと俺は辞退するなあ〜」
 ギンガムは笑いながら言った。がんばってねと明彦の肩を叩いたあと、ギンガムはオフィスを出て喫煙所に向かった。

 昼休みになると明彦は一人で近くの喫茶店で休憩することにした。昼下がりで店内は混んでいたが、ソファ席がたまたま空いていたので、明彦はそこに座った。今朝は食欲がなく、何も食べずに出社していた。まだコーヒーを飲んでいなかったので、喫茶店でミックスサンドセットを注文した。明彦は喫茶店の雑音が好きなので、目をつむり椅子に身を委ねていたが、携帯電話が鳴った。営業の銀縁メガネからだ。明彦の働く意志の確認の電話だった。
「採用されるなら働く意思はありますよ」
「そうか、よかった」
 銀縁メガネは安堵の声をあげた。馬ゾンビが途中撤退したことについてタヌキ部長から叱責を受けたらしい。
「でも急に夜勤っていう方が悪くないですか」
「そうだけど、初めての僕の担当顧客だからね。大事にしたい思いはあるんだよ」
「そんなものですか」
「とにかく働く意思があるってことで了解しました。おそらく採用になると思うけど、正式に決まったらまた連絡します」
 銀縁メガネの電話が終わるとミックスサンドとコーヒーが運ばれてきた。焼いたトーストの中にレタスやトマトやハムが挟んであった。もし銀縁メガネが今日これからタヌキ部長に電話することがあれば、きっと機嫌は悪いだろうと思った。

 喫茶店からオフィスに戻るとシャドウが出勤していた。シャドウは明彦に目もくれず、パソコン作業をしていたが、やがてタヌキ部長に呼ばれて隣の部屋に消えていった。
「休めばいいのね」
 小さな声でギンガムが言った。主語がないが、シャドウのことを指しているに違いない。
「そうですね」
「仕事が趣味って感じですね」
 ギンガムはにやにや笑いながら言った。そのあとシャドウは隣の部屋から戻ってくることはなかった。定時になり、明彦が退社しようとするとタヌキ部長がやってきた。
「今日は大変だったな」
「いや、私はあまり力になれてないです」
「そうか。でも夜勤の前に一回障害を経験できたのはよかったかもしれない。じゃあ来週からも頼みますね」
 タヌキ部長はそう言ったあとに隣の部屋に戻っていった。何気ない雑談のような会話だったが、これは正式採用ということなのだろうか。明彦が携帯電話を見ると銀縁メガネからショートメールが届いていた。
 

採用決まりました。来週から夜勤です。詳細はまた。取り急ぎ。
 


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