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付きもの


君がついてくる。ずっとついてくる。

ある日別れの手紙が来た。
もう随分と会っていない彼からの。
当然のように受け入れた。
手紙には、彼自身の言い訳と、私への心配。
数ヶ月も音沙汰なしだったのに、急に連絡をよこしてきたと思ったらこれ。しかも手紙だし。
でも彼の気難しいところを知っている。一人で答えが出せずずっと悩み続け、悩むのに疲れて考えないようにして逃げて、酒を飲み、夜中までそうやってひとしきり逃げた後、スマートフォンで動画サイトやSNSを行ったり来たりしていろんな情報で頭の中を満たして一旦は満足し、でも放っておいている彼女のことが気になって閉じたSNSをまた開き、友人達と楽しそうに過ごしている彼女を見てまた悩み、どうにも頭の中が答えの出ない問いでいっぱいになってパンクしそうでしない圧迫感で支配されて、そうこうしているうちに夜明けは近づいていて、寝られないから薬を飲み気絶するように深い眠りに落ち、朝起きてやるべき研究や学会の準備や教授の雑務に追われ、夕方から学費を稼ぎに予備校で講師をし、自宅と大学と予備校を行ったり来たりして、たまにデイリーヤマザキで酒を買う。そしてまた悩み、酒を飲み、薬を飲み、泥のように眠る。そういう日々を送っているのだろうことは、知っている。
だから、この手紙は、一人でうんうんと悩み立ち返りどうにもならなくなった男の結論だ。相談してよ、とか、一人で決めるな、とか、そういう安易な言葉で崩せるようなものではない。愚直で器用に生きられない男が一人で悩んでいるのを、私は遠く1,000kmほど離れた街から見守り──側から見れば放置しているように見えただろうけれど、私は彼の思考の中に余計な情報を入れずに出てくる答えを知りたかった。彼が一人で辛くなっているのに対し、手を差し伸べても彼は偽善の優しさは要らないと突っぱねると分かっていた。当時は、この寄り添いが偽善ではないのを懇々と説くだけの元気もなかった。その悩みは彼にとっては彼だけのものだけれど、私からみれば二人のものであるということも、理解されていなかった──いつ結論が出るのだろうかとただ辛抱強く待っていただけなのだから、そこに口を挟む義理もない。
彼の中から出てきた答えを、真摯に受け取り、私も数ヶ月かけてよく吟味して、応えを手紙に書いて送った。返答は最初から決まっていたけれど、すぐに返すのはあまりにも淡白で相手を追い詰めるような気がしたので、私はその手紙が来た冬の始めの頃から、手紙を持ったまま旅行をし、日本からカナダの友達の家に行くときも、台湾でご飯を食べるときも、オーストリアで建物を見ているときも、ずっとそのことを心に置いて過ごした。そうして冬が終わる頃に、やっと前々から決まっていたことを手紙にゆっくり書いて送った。
それからしばらくして、桜が咲く季節になった。私は春の陽気に当てられて、色んな友達とあっちこっちに日本を旅行した。旅行先での写真をSNSにあげる。みんなからの閲覧の履歴やスタンプやコメントが付く。冬が明けたのをみんな喜んでいるようだった。カナダも、台湾も、オーストリアも、どこもかしこも春を喜んでいた。
その中に、彼もいる。
閲覧の履歴の一番上に必ず。付き合っていた頃も、そのずっと前も、上には表示されていなかった。そもそもそんなに使いこなしている人ではなかったから、SNSでやり取りすることもあまりない。付き合ってからは、手紙がもっぱらで急ぎのことは電話だった。彼が投稿しないのを知っているから、私は彼のSNSをのぞいたことはほぼない。教えてもらったときのその一度きり。
だから、SNSで彼のアカウントが目につくようになって、今更なにさ、という拗ねた気持ちが芽生え始めていた。
とはいえ、何かコメントを送ってくることもなければ、手紙も届かない。ただ、見守っているのだろう。それが未練なのか心配なのか純粋な興味なのか無意識なのかは分からないけれど、少なくとも彼の世界の中に私という存在は抹消されることなく、地続きに存在していて、何らかの影響を与えているらしいことは、その閲覧の早さとこまめさから予想がついた。
彼の閲覧がある限り、私の中にしまってある彼もふわりと浮上して少し影が見えたところでまた沈んでいき、すっかりさっぱり消えてなくなることはない。しばらくはこれが続くのだろう。やがて、これらは過去になって、実家の部屋の隅に貼られている色褪せた両親の似顔絵のように、あるのかないのか分からないくらいに存在が薄くなり、壁と同化し、記憶の片隅に大切に仕舞われて、何かふとしたときに懐かしく愛しい思いが込み上げる、そんな存在になるのだろう。
今はまだ、何を見ても何を聞いても、彼のことを思い出す。ただひたすらに待つのが辛かった、あの頃の思いと共に。

題:付きもの

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